2024年1月9日火曜日

20240109 株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.25-27より抜粋

株式会社平凡社刊 ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」pp.25-27より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4582532071
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4582532074

イギリスでも、その他の国でも、機関銃は第一次世界大戦の勃発まで日の目を見なかった。しかし世界の一部では、機関銃のすさまじいまでの威力はすでに証明されていた。アフリカに乗り込んだヨーロッパ人たち、兵士および武装した入植者たちの少人数の部隊は、たびたび多人数の原住民による抵抗を受けた。原住民は貧弱な武器しかもっていなかったが、数の上では圧倒的に優位だったために、白人たちはもっていた火器という火器をすべて活用せざるをえなくなった。後装式小銃を使っていた白人にとって、機関銃はこのうえない助っ人だった。アフリカ大陸のあらゆる場所で、ズールー族、デルウィーシュ[過激なイスラム教徒の一派]、ヘレロ族、マタベレ族など、大英帝国の行く手を阻むものはすべて、ガトリング銃、ガードナー銃、マクシム銃が根こそぎ蹴散らしていった。これらの機関銃は、ヨーロッパ人が領土を拡大するために、足掛かりを確保し、一息つくのに必要不可欠なものだった。機関銃を使わなかったら、イギリス南アフリカ会社はローデシアを失っていただろうし、ルガードはウガンダから、ドイツ軍はタンガニーカから追い出されていただろう。ハイラム・マクシムがいなければ、その後の世界の歴史はだいぶ変わっいたはずだ。ヒレア・ベラクがこう書いている。

ありがたや、われわれにはマクシム銃がある

だが、やつらにはない

しかし、帝国主義者たちによるこうした余興は、見る目のある者にとってはきわめて強烈な印象を与えただろうが、本国にいる軍部のエリートたちのにはほとんど何の影響も及ぼさなかった。ヨーロッパ人、とくにイギリス人は、わずかな数の英雄の手柄を讃えることばかりに夢中になっていたため、これらの大勝利がじつは機関銃によってもたらされたものだと認めることができなかったのだ。この並外れた武器の価値をいったん認めてしまえば、栄光はどうなる?武器に勲章をぶら下げるわけにはいかないではないか。第一、勝敗の決め手となったのがただの兵器にすぎなかったといってしまえば、イギリス人が優れている証拠だとは吹聴できなくなってしまう。

 実のところ、機関銃もパーマー、パクル、レブニッツ、ベセマーの時代以来、長い道程を歩んできた。彼らのような、本業でない者はもちろん、ガトリングやマクシムですら、自分たちがどんなに恐ろしい武器をつくりだしたか、人類が地球上から人間を一掃する能力をどれほど高めたか、想像もしていなかった。帝国主義者の体験はこの事実を明らかにしていたが、誰もそれを認めたがらなかった。そもそも、少人数のみすぼらしい〈カフィル〉(黒人)相手の軍事作戦から、ヨーロッパ人が自分たちの大陸で将来起こる戦争について教訓を得ることなどありえようか。こうしたわけで、機関銃は相変わらず調達品リストの末尾にかろうじて載っているにすぎなかった。それもせいぜい、敵が機関銃を装備している場合に何丁かもつというだけのことだったようで、機関銃があればほんの少しでも優位にたてるなどと言い張っても、何の効用もなかったのは確かだ。

 しかしあいにくなことに、一九一四年に、ドイツ軍、イギリス軍、フランス群の手中にあったこれら少数の機関銃でさえ、実際に重大な影響を及ぼした。それは防衛に関して圧倒的な優位ももたらし、ヨーロッパにおける大戦争について両陣営が抱いていた見方を根底からくつがえした。