2023年3月9日木曜日

20230309 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」 pp.204‐205より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」
pp.204‐205より抜粋
ISBN-10 : 4163646205
ISBN-13 : 978-4163646206

大分前のことだが、源田実氏が「ベトナム戦争は、純軍事的に見れば北ベトナムの実質的敗北に終ることは明らかだ」といった意味のことをいわれ、当時これが「勇気ある発言だ」と書かれていたのを何かの雑誌で見たが、瞬間ムカッとしたのである。今それを言うなら、なぜ、太平洋戦争の前にそれを言わないのか!米・英・中三国との戦争の結果は、あなたには「純軍事的に見れば、はじめから明らか」であったではないか。あなたは軍人ではなかったのか。軍事の専門家ではなかったか。他国のことに発言するくらいなら、なぜ自らの祖国とその同胞のために発言しなかったのか。

 もちろんベトナムについて発言することすら勇気がいるのだから、当時の日本で、日本について同じような発言をすることは、死を覚悟しなければ出来なかったであろう。しかし、たとえ、代表的な新聞が社説で「対米開戦」を主張しようと、それは本多勝一氏のように「百人斬り」を近代戦の実態と考え、これを確固たる「事実」と主張しているアマのハッスルにすぎず、それに対したとえ一知半解人が双手をあげてこれに賛同しようと、それは専門家の判断の基準にはならないはずである。

 その場合、専門家は、たとえいかなる罵詈雑言がとんで来ようと、たとえ、いわゆる「世論」なるものに、袋叩きにあおうと、殺されようと、専門家には専門家としての意見を言う義務があり、それをはっきり口にする人が、専門家と呼ばれるべきであろう。ただ私は、宮沢浩一教授の「ペンの魔力」という一文を読んだとき、つくづく戦争中を思い出したのである。次にその一部を引用させていただく。

 わが国では、各地のいわゆる公害裁判で、原告に加担するマスコミがすでに結論がでているとばかりに、被告の訴訟活動に不当な圧力をかけている。被告会社の主張を科学的に裏づけようとする鑑定証人に加えられるペンの暴力によって、専門家は発現を事実上封ぜられる。裁判の場では、両当事者は対等の立場で、使用しうる限りの科学的知識を動員して、その主張の合理性を争わねば、真実を誤る。

 法律の適用についていかにすぐれた能力を持つ裁判官でも、科学的な判断には、専門家の助けを借りなければならない。冷静に戦わされる専門家の意見に耳を傾け、原告・被告の言い分をじっくり聞いて判断を下さなければならないのに、先走った感情論から、被告側の鑑定人の足をひっぱる応援部隊が、「資本家の走狗」よばわりする図は、中世の暗黒裁判に似ている。

 金沢大学の学長が、イタイイタイ病問題での、まわりの付和雷同性をたしなめると、今度は学生が騒ぎ、マスコミが弾劾の論陣をはる。いつになったら、この頓馬なセンセーショナリズムがなくなることだろう。

 教授は「この頓馬なセンセーショナリズム」と書いておられるが、戦争中は文字通り「この頓馬なセンセーショナリズム」の連続であり、「百人斬り競争」という記事は、その一つだったにすぎない。

 そしてこういったセンセーショナルな記事の連続が、専門家の口を封じ、アマだけを異常にハッスルさせるという結果になった。それが、秦郁彦氏の指摘した戦争末期の実情であろう。そして小規模ならば、太平洋戦争と同じのこのパターンの事件は、国内の至るところでくりひろげられているように思われる。