2015年9月25日金曜日

ジョセフ・コンラッド著「闇の奥」藤永茂訳 三交社刊pp.31-35より抜粋

林屋辰三郎著「日本の古代文化」岩波書店刊pp141-146より抜粋とあわせて読んでみてください。

「僕は少々不安になりかけていた。
こうした儀式ばったことには慣れていなかったし、その上、あたりには何か不吉な気配が漂っていた。
いかにも、僕がある陰謀に―はっきりはしないんだが―何かよからぬことに引き込まれてしまったような感じだった。
部屋から出るとほっとした。
外の部屋では、例の二人の女がいやに熱心に黒い毛糸の編み物をしていた。
来訪者は次々にあって、若いほうの女は行ったり来たりして客を招じ入れていた。
年寄りのほうは、椅子に座ったまま、足につっかけた平たい布地のスリッパを足暖めの上に乗せ、その膝の上には猫が一匹うずくまっていた。
頭には何か糊のきいた白い物をかぶり、片方の頬にはいぼが一つ、そして銀縁の眼鏡が鼻の先っちょに引っかかっている。その眼鏡越しに彼女は僕をジロリと見た。
その素早さと冷淡さがいやに気になった。
間抜けた、陽気な顔つきの若い男が二人案内されて通ってきたが、彼女はこの二人にも、同じように、何でもお見通しといわんばかりの冷たく素早い一瞥を投げかけた。彼女はその二人について、いや、僕についても、何もかも知っている感じだ。背筋がゾッと寒くなった。
薄気味悪く不吉な女に見えた。遠い奥地に行ってからも、僕はこの二人の女のことをよく考えた。
棺に掛ける暖かい布にでもするつもりのような黒い毛糸の編み物をしながら、あの「暗黒」の門をまもっていた二人をね。
陽気で間抜けた面をした男たちを、ひとりは次から次へと未知の世界に招じ入れ、もうひとりは、冷然とした老女の眼差しで詮索している。
Ave(御機嫌よう)!黒い編み物をする女よ。
Morituri te salutant(まさに死に赴く者が挨拶を呈する)
彼女からじろりとやられた者で、再び、彼女に会えた者は多くはあるまい―半分?いや、とてもとても。

「また医者のところに行くことが残っていた。
「ほんの型式だけですよ」と例の秘書が慰めてくれた。
あなたの悲しみはよく分かっていますよ、とでも言いたげな顔でね。
しばらくして、左の眉毛がかくれるほど深々と帽子をかぶった青年が上の階から降りてきて、僕の案内に立ってくれた。多分、ここの社員なんだろう。
建物は死者の町の家みたいに静まり返っていたが、会社だから社員がいるに違いなかった。
みすぼらしい、なりを構わない風の男で、上衣の袖はインキの染みだらけ、古靴のかかとのような格好をした顎の下に、大きなよれよれのネクタイが結んであった。
医者に行くにはまだ少し時刻が早すぎたので、一杯どうですと僕のほうからもちかけると、とたんに相手は陽気になってきた。
バーに座り込んでベルモットを飲んでいると、彼は会社のやっていることは大したもんだと褒め上げるものだから、しばらくして、僕は、何食わぬ顔で、おかしいねえ、それじゃなぜ君は出かけて行かないんだ、と驚いてみせた。
すると、彼は急に醒めきって落ち着きを取り戻した様子になって「プラトン、その弟子に曰く、余はかく見えても愚者にはあらず」といやにもったいぶって宣うと、ぐいと一気にグラスを飲み干した。それから僕らは席を立った。

「老人の医者は僕の脈をとっていたが、その間にも、明らかに他のことを考えている様子だった。
「よしよし、これならあそこに行っても大丈夫」と彼は呟いた。
それから、あらたまって気を入れた調子で、僕の頭の寸法を測らせてはもらえないだろうかと頼むのだ。
いささかびっくりしたが、ええいいですよと言うと、彼はコンパスのような二脚の道具を持ち出してきて、後部、前部、あらゆる工合に僕の頭の寸法をとって、注意深くノートに書き込んだ。
無精髭を生やした小男で、擦り切れたユダヤ服風の上衣を着て、スリッパをはいていた。見受けたところ、無害の間抜けた人物らしかった。
「わたしは、いつも、奥地に出かける人の頭蓋骨を測らせてもらえないかと頼むことにしているのでね、科学のために」と彼は言った。
「じゃ、帰ってきた時にもまたですか?」と僕は聞いてみた。
「いやあ、二度と会わないね。それに、変化が起こるのは脳の中側でだろうからねえ」と答えると、差し障りのないジョークでも口にしたかのように薄笑いをした。
「これで、あんたも奥地に出かけることになったわけだ。素敵だな。面白いこともあるだろうし」と医者は探りを入れるかのように僕を見ると、また何かノートに書き込み「ところで、あんたの家族に気違いの筋は?」と事務的な調子で問いかけてきた。
僕はひどくムカッときて「それも科学のための質問ですか?」と返した。
「そんなところです、まあ」とこちらが苛ついているのを気にもかけない様子で、彼は言う。
「奥地に行ってその場で一人ひとりの心理的変化のさまを観察すると、科学的には面白いでしょうがね。
しかし・・」僕はその言葉を遮った。
「あんたは精神病医なんですか?」するとこの変な野郎は「医者なら誰でもそうでなくちゃね―多少ともは」と落ち着き払っている。
「わたしはちょっとした理論を持っていてね。
それを証明するために、あそこに出かけるあなた方に是非ひと役買ってもらいたいということなんだな。
この仕事はね、あの膨大な属領を持っていることからこの国に転がり込んでくる大層なご利益から、私がお裾分けしてもらう分け前のようなものだ。
ただの金儲けはほかの連中に任せておく。
根掘り葉堀り聞いてすまないが、あんたはわたしの観察資料としては、はじめてのイギリス人なんでね・・・」自分は典型的なイギリス人なんかじゃない、と僕は急いで断言した。
「もしそうだったら、とてもこんな風にあんたと話してなんかいませんよ」すると彼は「おっしゃることはなかなか穿っていなさるが、多分間違ってますな」と笑って言うのだ。
「強い陽に当たるのもからだに悪いが、それより苛々するのも避けなさい。
アディユー、ええっと英語で何と言ったっけ、ああそうそう、グッドバイ!熱帯じゃ何はさておき、心を冷静に保つのが一番だからね」・・・奴さん、警告するみたいに人差し指を立てて・・・「Du calme, du calme, Adieu(カッカしない、じゃ、さようなら)

・ISBN-10: 4879191620
・ISBN-13: 978-4879191625

ジョセフ・コンラッド

藤永茂













                               

ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」三交社刊pp.95-99より抜粋

漠々と続く河筋に沿い、河の静かな曲がりに従い、あるいは、くねくねした航路の両側にそそり立つ絶壁に、重々しく船尾外輪がバタンバタンと水を打つ音を反響させながら、進んで行った。

樹また樹、何百万という鬱蒼たる巨大な樹々が、天を衝いてそびえ立っている。

その根元のあたりを、薄汚れた小さな蒸気船が、まるで、豪壮な柱廊の床をのろのろと這う一匹の甲虫のように、岸にしがみつくようにして、河の流れを這い上がって行く。

それは、人間の卑小さ、喪失感をひしひしと感じさせるものだったが、だからといって、憂鬱一点張りの感じでもなかった。

いくら卑小だとはいえ、この汚れっ面の甲虫は、とにもかくにも這い上がりを続けていく―それが、まさしく、船にやらせようとしたことなのだ。

巡礼たちはどこにたどり着くつもりだったのか、僕の知ったことじゃない。

何かを手に入れることのできる場所に行き当たりたいと思っていたに違いないさ!

僕としては、船はクルツに向って一歩一歩と近づいている―ただ、それ一筋の思いだった。ところが、困ったことに、蒸気のパイプが漏りはじめ、船足はガタ落ちになってしまった。

河筋は、僕らが進む前方には開けていったが、船が過ぎた跡は、また閉ざされてしまう感じだった。

それは、まるで、森がのっそりと河の流れに踏み入ってきて、僕らの帰りの路を塞いでしまうように見えた。

僕らは深く、より深く、闇の奥へ入り込んで行った。

死んだような静けさだった。夜中に、時々、樹々のカーテンの向こう側で鳴る太鼓のひびきが河を上がって来ることもあったが、それは、われわれの頭上はるかの大気のなかでたゆたうかのように、空が白むまで、仄かに残っていた。

その太鼓の音が、戦いを意味したのか、平和を意味したのか、それとも祈祷であったのか、知る由もなかった。

その音が絶えて、冷たい静寂が降りて来ると、ほどなく朝が明けるのだった。

木こりたちは眠りをとり、焚き火も燃え尽きて、誰かが焚き火の小枝を一本ポキンと折る音にもハッと驚かされることもにもなる。

いうなれば、僕らは、見知らぬ遊星のような様相を帯びた地球、歴史以前の地球の上を彷徨っていたのだ。

僕らは、深甚な苦痛と過酷な労役の末に手が届いた、ある呪われた遺産を所有しようとする最初の人間たちのように、自分らに思い描くこともできたかもしれぬ。

ところがだ。船が、流れの曲がり角をやっとこ回り終えたところで、重く、動きのない樹々の繁みの垂れ下がった際に、突然、イグサ造りの壁や尖った草葺き屋根がチラリと見え、ほとぼしる叫び声が聞こえ、黒い肢体の群れが乱舞し、手を打ち、足を踏み鳴らし、からだをゆさぶり、目玉をぎょろぎょろさせているのが、視界に飛び込んできた。

この黒々とした不可解な狂乱のへりをスレスレに、船はゆっくりと遡航の骨折りを続けた。

あの先史時代の人間たちが、僕らを呪っていたのか、祈っていたのか、それとも喜び迎えていたのか―誰が分かるだろうか?

僕らを取り巻くものへの理解から、僕らは断ち切られてしまっていた。狂人病院の中の熱狂的な狂躁に直面した正気の人間のように、僕らは仰天し、心中ぞっとしながら、まるで亡霊のように、その場を滑り抜けていったのだ。

理解もできなければ、記憶をたどることもできなかった。

なぜなら、僕らはあまりにも遠い所に来てしまったのであり、原始時代の夜を、ほとんど何の痕跡も―何の記憶も残していなく遠くに去ってしまった時代の夜を、いま旅しているのだったから。

「大地は大地とは思えぬ様相を呈していた。屈服した怪物が繋がれた姿なら、僕らも見慣れているが、しかし、あそこでは―あそこでは自由なままの怪物が目の当たりにすることができるのだ。
この世のものとは思えない―そして、あの男たちも―いや、彼らも人間でないのではなかった。
分かるかい、彼らも人間でなくはないのだという疑念―これが一番厄介なことだった。その疑念は、じわじわ迫って来る。彼らは、唸りを上げ、跳ね上がり、ぐるぐる回り、すさまじい形相をひけらかす。
だが、こちらを戦慄させるのは、彼らも人間だ―君らと同じような―という想い、眼前の熱狂的な叫びと、僕らは、遥かな血縁で結ばれているという想念だ。

醜悪、そうたしかに醜悪だった。しかし、もし君に十分の男らしさがあれば、君のうちにも、ほんの微かとはいえ、あの喧噪のおぞましいまでの率直さに共鳴する何かがあることを認めるのじゃないかな。
そのなかには、君にも―原始時代の夜から遠く遥かに離れてしまった君にも理解できる意味が込められているのはないか、という朧げな疑念だ。
考えてみれば何も驚くにあたらない。人間の心は何でもやれる―なぜなら、そのなかに、過去のすべて、未来のすべて、あらゆるものが入っているのだから。
あそこには、いったい何があったのだろう?
喜びか、恐怖か、悲嘆か、献身か、勇気か、怒りか―誰が分かろう?―しかし、真実というもの―時という覆いをはぎ取られた裸の真実のたしかにあった。
馬鹿な奴どもは仰天し震え上がるに任せておこう。
―男たるものは、その真実を知っている。
瞬ぎもせずにそれを直視できる。
だが、それには、河岸にいた連中と少なくとも同じぐらい赤裸の人間でなければならぬ。
その真実に自分の本当の素質をもって―生まれながらに備わった力で立ち向かわねばならないのだ。
主義?そんなものは役に立たぬ。あとから身につけたもの、衣装、見た目だけの服、そんなボロの類いは、一度揺さぶられると、たちまち飛び散ってしまう。
そんなものじゃない、一つのしっかりした信仰が必要なのだ。
この悪魔じみた騒ぎのなかに、訴えかけてくるものがあるかって?よかろう。僕にはそれが聞こえる。しかし、僕には僕の声もある。そして、それは、善きにしと、悪しきにしろ、黙らせることのできない言葉なのだ。
いうまでもないが、馬鹿者なら、すっかり腰を抜かしてしまうとか、繊細な感情とかいうやつのおかげで、いつも安全だ。
誰が、そこでぶつくさ言っているのは?
お前は、岸に上がって、一緒に叫んだり、踊ったりはしなかったじゃないか、と言うんだな?
そう、たしかに―僕はそうしなかった。繊細な感情からかって?冗談じゃない。繊細な感情なんて糞食らえ!そんな暇はなかったのだ。
いいかね。漏れ出した蒸気管に包帯をするのを手助けするために、僕は白鉛と裂いた毛布を持って右往左往していたし、舵取りを見張り、河床の倒木を避けて通り、どうにかこうにポンコツ蒸気船を動かすことで精一杯だったのだ。
闇の奥
闇の奥
ISBN-10: 4879191620
ISBN-13: 978-4879191625
ジョゼフ・コンラッド

藤永茂

闇の奥



King Kong Heart of Darkness





 


G・バタイユ著 酒井健訳「ニーチェについて 好運への意志」現代思潮社刊pp.179-182より抜粋

突然そのときがやってくる―困難、不運、そして裏切られた大きな興奮。そのうえ試練の脅威も加わる。私はぐらつく。
しかもたったひとりのままで。
私はどのようにして生に耐えてよいのか分からなくなる。
いやむしろ私はどうすればよいのかは分かっている。
自分を強固にし、己れの衰弱を笑いとばし、以前のように自分の道を行けばよいのだ。
だが今の私は神経がいらだっている。それに私は、酒を飲んだためにしまりなく乱れてしまっており、たったひとりであることを、待ち望んでいることを不幸だと感じている。
この苦痛は耐えがたい。ただしこれは、この苦痛がいかなる不幸の結果でもなく、単に好運が一時的に隠れてしまったことの結果にすぎないという限りでの耐え難さであるのだが。
(もろくて、つねに賭けの不安定さのなかにある好運。私を魅了するとともに消耗し尽くす好運。)
今こそ私は、自分を強固にし、自分の道を進もうと思う(私はもう開始した)。
行動するという条件で!
私は細心の注意をはらって自分の作品を書き表してゆく。
あたかもこの仕事に価値があるかのように。
行動するという条件で!
なすべきことを持つという条件で!
それ以外に私はどうやって自分を強固にできるというのだろう。
私はどうやって、何ものも癒してくれそうにないこの空虚に、このむなしさと渇きの感覚に、耐えうるというのだろう。
とはいえ、なすべきこととして私が持っているのは、唯一、これを書くということ、この本、すなわち私が、この世に何一つすべきことを持たないという自分の失望(絶望)を語ったこの本を書き上げるということだけなのだ。
衰弱の低点にあるこのときに、(衰弱といってもたしかに軽度のものであるが)、私は見抜く。私は、この世に、目的を、行動する理由を持っている。
この目的は定義しえない。
私は、険しくて、試練が続いている一本の道、途中で私の好運の光明が私を見捨てるなどということが絶対に起きないような道を想像してみる。
不可避なことを、来るべきあらゆる出来事を、想像してみる。
八つに引き裂かれているときにも、あるいは嘔吐感を催しているときにも、足の力が抜けてしまう衰弱時にあっても、さらには死の瞬間のときにさえ、私は賭けているだろう。
私のもとに到来し、倦むことなく自らを更新し、騎士が自分の伝令に先行するように毎日私に先行していた好運、いかなるものからも絶対に限定を受けなかった好運、夜のなかから放たれた矢のような私と綴ったときに私が呼び集めていた好運、この好運は、私の愛する人に私を結びつけ、最良のことと最悪のことのためにとことん賭けられることを望んでいる。
そしてもしも誰かが私のそばに好運を見つけるということが起きたならば、その人にはこの好運を賭けてもらいたい!
この好運は、私の好運ではない。その人の好運だ。
その人は、私と同じく、この好運をつかむことができないだろう。
その人は好運について何も知らないまま、好運を賭けるだろう。
しかしいったい誰が好運を賭けずして好運を見ることができるというのか。
私の文章を読んでくれている君、君が誰であろうとかまわない。
君の好運を賭けたまえ。
私がしているように慌てずに賭けるのだ。
今これを書いている瞬間に私が君を賭けているのと同様に君も賭けるのだ。
この好運は君のでも私のでもない。
すべての人の好運であり、すべての人の光なのだ。
はたして好運は、夜が今好運に与えているような輝きをこれまで持ったことがあるだろうか。
ニーチェについて―好運への意志 (無神学大全)
ニーチェについて―好運への意志 (無神学大全)
ISBN-10: 4329001071
ISBN-13: 978-4329001078
ジョルジュ・バタイユ