2017年12月4日月曜日

20171204 西欧を手本にした近代化と教育との関係→歴史的感覚への影響?

近代化を目指す明治日本は多くの担い手を必要としていた。
そのため官立の文科、理科の諸学校を各地に設立しその学生に対し能率的な教育を施した。

そしてその結果とは、曲がりなりにも名実ともに近代化を成し遂げた20世紀初頭の我が国の諸様相に顕れていたとも云える。

また、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』は、一つのそうした具体的な側面を描いた作品であるとも評し得る。

ともあれ、こうした国家が必要とする近代化の担い手を育成し、組織化する我が国(特有)の仕組みとは明治維新以降、各種学校が設立されて以来、太平洋戦争の敗戦(終戦)に至るまで概ね一貫していたと云える。

つまり我が国の近代化とは、端的に表現すると、おかみ(国家)からの指令に基づくものであり、市民層の台頭、権利の要求などにより古来からの身分制度が打破され変革が生じた結果によるものではなかったと云える。

そして、この我が国における明治維新の解釈とは込み入ったものであると聞いているが、いずれにせよ、この時代の波を上手く乗り切った人々とは、主に、こうした変革に対して柔軟に上手く対応出来た人々であったのだろう。

それは一つあるいはそれ以上の優れた資質ではあると考えるが、しかし同時にその資質とは、必ずしも国の文化発展、あるいはその文化自体に関心を寄せる、寄与するものではなかったとも云える。

これをさらに具体的に述べると、西欧を手本とする近代化を早急に目指す国の造船技師が西洋音楽を聴く必要が何処にあるのか?小説・詩歌を論ずる必要が何処にあるのか?といった、あくまでもその本分・職分(のみ)を守るといった、閉鎖的、タコツボ的とも云える(我が国において見られるとされる)文化の醸成の方に大きく寄与したのではないかと思われる。

ともあれ、そのようにして西欧諸学問を背景としたさまざまな職業の専門化が進むのと随伴し、自国の文化に対する関心とは、度々の発作的な反動を経験しながらも徐々にそして確実に薄れていき、また一方において、新たに生活の中に入ってきた西欧文化(もしくはそれらしきもの)には、そこに自らが実際に感じ取れる歴史的な厚みといったものがなかったと云える・・。

こうした職業、生活の場における変化により生じた自国文化に対する否応なき無関心いや無自覚化さとは、そのまま歴史的感覚の鈍さにも結節する。

そして、当然ではあるが、そのあらゆる自国文化とは、深く歴史的なものである・・。

さて、ここまで書いて思い出したことを以下に記します。

昨日の投稿記事は驚いたことに投稿翌日にして、これまでにないほど多くの閲覧者数(99)を得ることが出来ました。

おそらくこれはこれまでにブログ記事を投稿して以来、最高ではないかと思われます。

これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

それ故、本日は何かしら歯科材料(合金)について書こうと考えておりましたが、急遽予定を変え、また新たに文系的な主題にて記事を作成しました。

閲覧者数が大きく増加する記事を作成した時とは(少なくとも今現在においては)予感も何も出来るものではなく、ただ後になって驚くといったところです・・(笑)。

とはいえ、それでもこうした記事をどうにか書くことが出来たこと自体が喜ぶべきことであり、そして今後も多少は読んでくださる方々が増加することを願いつつ今しばらく書き続けます。

そして
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された
地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。