2017年1月24日火曜日

20170124 創造のタネ、着想の訪れ ブログ記事の作成、文体、帰納法・・

A「これまでに作成したブログ記事を読んでおりますと、やはりそれらの出来(面白さ)にはブレがあり「これは現在読んでも面白い」と思うものと、そうでもないものがあります・・。

しかし、作成した記事全てを面白いと思うようであれば、それはおそらく私の方に何かしら問題があるのではないかと考えられます・・(苦笑)。

とはいえ、作成記事の面白さにブレがあると認められるのであれば、私の方に問題がないというわけでもありませんが・・(苦笑)。

それ故、毎回記事を書くにあたっては、特に神経を使っているわけではありませんが、ただ何かしらの創造のタネ、着想が訪れるのを待つということはしているのではないかと思われます・・。
たとえ半ば無意識であるにしても・・。

つまり殆ど全ての記事において、一気呵成に記事を書き上げることはなく「何かしら」を書き始めて、そこから徐徐に創造のタネ、着想の訪れとのギア(歯車)を合わせ、回転を合わせ駆動させてゆくといった感じであると思います・・。

また、一連のブログ記事において比較的多く見られる過去の出来事を思い起こし記事とする場合においても、やはり、何かしら着想、想起のタネが訪れないことには、それを文章として書くことは困難であるように思われます・・。

しかし、そうであるならば着想、想起のタネがスムーズに訪れるのあれば(自身から見て)良い記事が書けるというわけでもなく、着想、想起の訪れのスムーズさと、出来上がった記事の面白さの間には「明瞭な」関係性を認めることが難しいのが実際のところであると云えます・・(苦笑)。

とはいえ、それらの間に「全く」関係性が認められないというわけでもなく、やはり何かしらの関係性は存在するのではないかと思われます。

こうした状態とは、さまざまな実験を為すにあたり、はじめに認識される状況と似ていないこともないと思われます・・。

そしてまた一面における極言を行うと、これまでの記事作成とは、この関係性のより精確な認識のために行ってきたのではないかと云うことができます。

つまり、この関係性を精確に認識することが出来るようになれば、より自身およびその文体なるものを「客体化」して精確に理解することが出来るのではないかと思われるのです・・。

さらにまた、それを行うことにより、更なる文体の進化をはかることも出来るのではないかとも思うのです・・(笑)。

このように書いておりますと、行う内容は異なりますが、その背景となる考えの基本とは、かつて行ってきた試料作製を伴う実験のそれと、かなり近似するのではないかと思われました。

あるいは私とは、少なくともいくつかの場面、あるいは能動性を示すことが出来る(ある種の)状況においては、こうした何といいますか「帰納法的な手法」を採ることを好む性質であるのかもしれません・・(笑)。

そしてまた、こうした主題を過去のブログ記事において何度か取り上げていることも認識されましたが、果たしてそれら類似している主題の記事の間にて、何かしらの変化、進化などは認められるのでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」