2022年4月8日金曜日

20220408 気が重くなりつつも当ブログを続ける理由・・

おかげさまで、昨日の記事投稿により、総投稿記事数が1750に到達しました。そして、あと当記事を含めて50記事の投稿によって、現在、目標としている1800記事まで到達することが出来るわけですが、これは、ほぼ毎日1記事の投稿頻度で進めて、来る5月末頃に1800記事に達し、また、3日で2記事の投稿頻度にて進めますと、6月後半頃での到達への目途が立つと云えます。他方で、6月22日には当ブログ開始から丸7年となります。そのため、出来れば、それまで、あるいは丁度その頃(1800記事)に到達したいと考えていますが、そのためには、遅くとも、さきに述べた後者の投稿頻度にて、また今後しばらく進める必要性があるため、多少、気が重くなってきます・・。とはいえ、この「気が重くなる」は、去る2月末、東欧にて勃発した戦争以前、2020年からのコロナ禍から引き続いてきたものと云え、くわえて、私の場合、ほぼ慢性的とも云えるスランプなども重なり、さらに気が重くなります・・。

とはいえ、相変わらず、移動中や就寝前での読書は続けており、またここ最近は、これまでに自分が(ほぼ)知らなかった分野、世界を扱った著作をいくつか、読み進めてきたために多少苦労しましたが、不思議なもので、しばらく読み進めていきますと、徐々にその文体に慣れてくるのか、あるいは、その文章の背景にある世界観が、漠然とではあれ、認識出来る様になるのか、ともあれ、相対的に早く読み進めることが出来るようになります。

しかし、早く読み進めることが出来るようになったとしても、その内容の精確な理解は、それとはしばしば随伴しないことから、しばらく読み進めた頁から、また少し頁を戻り、読み返すといったことを続けつつ読み進めて行きますと、どうにか理解出来るようになるといった感がありますが、これが、さらに興味深い著作である場合、さきの手法にて読み進め、読了に至ってから、再度はじめから通読しますと、さらに精確な理解に至ることが出来るように思われます。

とはいえ、この読み進め方は、思いのほかに体力を消耗することから、ある程度の年齢に達すると困難になってくるのではないかと思われます。これは私自身の場合、そうであったと云えます。つまり、端的には、体力は以前より衰え、頭が硬くなり、そして、新たな事物を受け付けなくなっているのだと思われ、また、これについては日々実感していますが、他方で、内発的な動機による何らかの分野での活動をしている場合などは、その分野については、部分的にあまり頭は硬くならずに、比較的柔軟なスタンスにて活動することが出来るのではないかと思われます。

あるいは、こうしたこともあり、私は半ば無自覚的にではあれ、気が重くなりつつも、どうにか当ブログを続けていることが出来ているのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


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20220407 株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳「チャーチル・ファクター」 pp.257-260より抜粋

株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳 「チャーチル・ファクター」pp.257-260より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4833421674
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4833421676

イギリスが生み出した技術的ブレイクスル―のなかでも戦車は特別である。鍵となる発想がイギリス製だったという話ならよくあることだが、開発も実用化もイギリスで行われたのは特筆すべきことだ。1917年、イギリスは年間数百台の戦車を製造していた。これは当時の交戦国のなかでは最大である。

 この頃までに、チャーチルは再度タンクの製造責任者になっていた。この年の7月にロイド・ジョージがチャーチルを軍需大臣に任命して内閣に戻したのである。新聞は騒然とした。サンデー・タイムズはこのような人事は「政府や帝国全体にとって大きな危険だ」、モーニング・ポストは「あの危険で信用のできない人物、ウィンストン・チャーチル氏、体内でブラブラしている遊走腎のようなあの男がまた官庁街に戻ってきた」と書いた。

 メディアは完全に間違っていた。チャーチルはこのプロジェクトの成功には欠かせない存在だった。チャーチルは膠着状態を打開するために、ヘイグの指揮による正面からの攻撃は見たこともない狂気の沙汰だった。チャーチルやロイド・ジョージの懸念をよそに、ヘイグはベルギー・イープルの攻撃を開始させた。この作戦で約85万人の兵士が亡くなったが、そのうち35万人はイギリス兵士だった。人類がかつて経験したことがないほどに大規模な殺戮であった。ハンニバルのカルタゴ軍が、ローマ軍を殲滅しさせたポエニ戦争におけるカンナエの戦いの近代版といってもいいだろう。

 そして、ついに、十分な台数の戦車がそろった。1917年11月20日、フランス・カンブレーの戦いに400台が導入され、大きな功績をあげた。チャーチルはフル回転となった。戦車委員会を立ち上げ、1919年4月まで4459台を配備する目標を立てた。戦車工場の労働者たちが横柄な態度をとると、前線に送るぞと脅して黙らせた。そして最高に気分を高揚させる瞬間が到来した。1918年8月8日の仏アミアンの戦いで、この怪物が本当にドイツ軍を震撼させたのである。

 600台のイギリス製戦車がドイツ戦線に突入した。塹壕の上をギシギシと音を立てて進み、キャタピラーで泥をつかみ、敵の弾丸を弾き返しながら進んだ。まさにチャーチルが思い描いた通りだった。ドイツ軍のほうは、すぐに戦車を必要以上に恐れる必要はないということを学んだ。ローマ軍がカルタゴ将軍ハンニバルの持ち込んだ象に驚かなくなったように。そして数週間後には、ドイツ軍はイギリスの戦車に効率的に反撃を加えるようになった。しかし、戦車がドイツ軍の士気に損害を与えたことに変わりはなかった。ドイツ軍の軍人エーリッヒ・ルーデンドルフは、アミアンの戦いの初日をドイツ軍にとって陰鬱な日と呼んだ。この日は第一次世界大戦の「終わりの始まり」と言ってもいいかもしれない。

 その日勝敗を決めたのは戦車だった。チャーチルが翌日9日に目撃した、ドイツ軍の絶望的な捕虜たちのことを考えてみてほしい。チャーチルが海軍と共同発明した機械の力でドイツ軍は完敗させられたのである。そこらじゅうに戦車の跡があった。とチャーチルは報告している。

 チャーチルは正確にはどのような役割を演じたのだろう。チャーチルは発明や発想の天賦の才があり、物事を実用的で工学的な観点から考える習慣があった。葉巻がばらばらにならないように茶色の紙製チューブ「ベリーハンドゥ」を考案したり、ノルマンディー上陸作戦のDデーに海上に浮かべた人工港マルベリー・ハーバーを固定させる方法を考えたりしたのもそうした習慣の賜物だった。子供の頃は要塞を組み立てるのが好きで、弟のジャックと平衡錘投石機をつくり、牛に向かってリンゴを投げたりしていた。