2018年9月13日木曜日

20180913 角川書店刊『日本民俗誌大系』全12巻 第3巻 中国・四国pp.266-267より抜粋引用

『昔、徳島の城山には、多くの狸が棲んでいて、それがよく助任橋に現れて、人を脅したり、魅したり、時には取り憑いたりして、人を困らせていた。それで夜間などはここを通る人は極めて稀で、やむを得ず通る人はよほど気をつけて通らなければ、思わぬ失策を演じる事が少なくなかった。

 ある人はこの橋を通りかかると、橋幅いっぱいもあるような太い、毛のモシャモシャした脚がつき立っていたので、仰天して逃げて帰った。ある人は、買った魚を提げてこの橋を通って家に帰り、魚を女房に渡して風呂に入っているつもりが、魚を狸に奪われて、自分は川で行水しているのであった。またある人、この橋の手前まで来ると急に雨が降り出した。ひょいと見ると、橋元に開いた傘が一本落ちている。これ幸いと手に取ろうとすると、風に吹かれて二、三間向こうへ飛んでいく。追いかけるとまた飛ぶ、根気よく追っかけているうちに川へはまって溺れかけてしまった。こんな話はいくらでもあるが、一々話すと限りがないからみな省くこととして、さてここに傑作がある。これだけは省くわけにはいかない。

 常三島辺に住まって、毎日街の方へ仕事に通う職人があった。朝と夕方とには必ずこの助任橋を渡って往来しなければならない。ところが仕事の都合や、買物の都合などで、その帰りが大分遅くなることも少なくない。ある晩も友達のつきあいか何かで、夜を更かしての帰りがけ、ちょうどこの橋の袂まで来ると、すてきに婀娜っぽいのが、しょんぼりと佇んでいる。こんなことには慣れているので、「また出やがったな」と、心の中で冷笑しながら、「古臭いぞ」と、一言あびせて通り過ぎた。ところがその翌晩、また何かの都合で帰りが少し遅くなった。ちょうど橋の中程まで帰って来かかると、橋の上に一匹の魚が落ちている。近づいてよく見ると、一尺四、五寸もあろうかと思われる鯉である。はて、誰かが落として行ったらしい。このまま捨てておけば猫か犬かに食われるばかりだ。勿体ない、拾って行こうと、手を出して拾おうとすると、ピンピンと跳ねる。まだ生きているのだなと両手でようやく抑さえて取り上げると、不意に鯉の一跳び、その大きな尻尾で、職人の頬桁を厭という程たたきつけて、あッという隙に、鯉は欄干を越えて川の中へ飛びこんでしまった。しまったと思って水面を見おろすと、くだんの鯉は水中から大きな口をあけて、「新しいか」と来たので、職人先生、グウの音も出なかったという。』

ASIN: B000J9EEYA