2017年12月2日土曜日

20171202 兵器の射程距離の延伸がもたらすことについて

昨今の極東情勢においても多少関与することであるかもしれないが、軍事技術の進化もしくは端的に兵器の進化とは『その射程距離の延伸』と評しても不可ではないと考える。

実際にそれら兵器を扱う人間に対して『その射程距離の延伸』が如何なる効果を及ぼすのかと考えた場合、一つにそれは全ての兵器の『目的』とも云える『人を殺す』という行為に対する認識の希薄化、あるいはこれを別言すると『人を殺す』行為の際に(おそらく自然に生じる)心理的な葛藤・迷い・躊躇いなどの著しい減少ではないかと考える。

太古、我々の先祖が石製の斧あるいは槍などを持ち戦闘に参加した場合、それら兵器を用いた接近戦にて敵を殺害する際に否応なくその感覚を認識・実感しなければならない。

おそらくそれは、料理にて魚を捌いたり、肉を切る行為と明確に異なる感覚ではないかと思われる。

また、そうした感覚が太古より我々人類の精神に存在していたことから、後世に至りさまざまな宗教における基本的な道徳律にて『人を殺してはいけない』といった文言が記されたのではないかと考える。

しかしながら、こうした道徳律とは、あくまでも自身の属する共同体内において相応しい行為態度であり、敵に対する戦闘の場面においては、むしろ積極的に敵を殺害する行為態度の方が共同体(の勝利)に貢献するものとして賞賛された。

それら双方の行為態度をさまざまな場面において(心底から)適宜使い分けることが可能であるならば特に問題はないのかもしれない。

しかし一方において、我々人間の精神とは、おそらく自身が(価値のあるものとして)受容した道徳律をも含む何らかの価値観をその精神内部において普遍化する(したがる)傾向があるのではないかと考える。

そして、それ故に葛藤が精神内部において生じ、さまざまな思索が為され思想・哲学といったものが生じるのではないかと考える。

また、そのようにして進化発展を遂げた思想・哲学において培った『思考という力』が同時にさまざまな科学技術の進化発展の原動力ともなったと云える(おそらく我が国の場合、この経緯の詳細が若干西欧文化と異なるのではないかと考える)。

そして、それら共同の精神的土壌にあるものとは『実証の精神』ではないかと考える。

とはいえ、そのようにして進化発展を遂げた科学技術に随伴するものが兵器の進化でもあるのだが、その進化の方向とは『自己兵力が出来る限り損害を被らず、より多くの敵兵力に対し損害を与える』ことに(当然であるのかもしれないが)重点が置かれ、そして結果的に冒頭に述べた『人を殺す』という行為に対する認識の希薄化もまた生じたのではないかと思われる。

おそらくこれはジレンマと評しても良いのではないかと考えるが如何であろうか・・?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。













20171201 ブログ記事作成における『継続は力なり』の解釈について

本日もまた帰宅が遅くなったことから、ブログの更新は止めておこうと考えていましたが、一旦ページを開いてしまいますと何かしら書かないことには落ち着かず、現在このように新たに記事を作成している次第です・・(苦笑)。

そういえば、これまで作成した殆どの記事とは何度も書き直しを加えたものではなく、書き始めたその場にて書き終えたものであり、日が経ち多少の加筆修正などを行うこともありますが、基本的には投稿時のままであると云えます。

そして、文章作成技術の上達とは、そのようにして書き続けることにより、おそらく直線状ではないものの、徐々に為されていくのではないかと思われます。

少なくとも、2015年の自身とは、いかなるものであれ継続的に文章を作成することは困難であったように思われます。

また、これら一連の記事を読んで頂いている方々がどのように評価されるかは分かりませんが、自身としては対話形式にはじまり独白形式に変遷し、そして現在に至るまでで、最も文章として洗練されているのは、最近のものであると思われるのです・・。

それは、単純に自身の書きたい内容がある程度スムーズに文章化されているという実感から、そのように思うところではあるのですが、しかしながら一方において、書かれた文章を読む側からしますと、あるいはまた別の視点、評価基準といったものがあるのではなかかと思われるのです。

具体的にそれは、自身としては良い出来ではないと思われた記事が、その自身のくだした評価に反し、継続的に読まれているといった現象などから認識され得ます。

そして、そこから自身の作成したその記事を改めて読み直し、そして『一体この記事のどこが良かったのであろうか?』と考えてみることは、その後に作成する記事に対して何らかの影響を与えているのではないかとも思われるのです(それ故、投稿された記事に対してあまり手を加えないのかもしれません)。

そして、そうした背景・経緯にて、ブログ記事の作成を継続することにより、文章の洗練が徐々に為されていくのではないかとも思われるのです・・。

その意味においてたしかに『継続は力なり』ではあるのですが、自分なりにブログ記事作成における、このコトバの意味合いを解釈をしますと以上のようなものとなります。

さて、つい先日これまでの総閲覧者数(PV)が270000人に到達しました。

また、昨今は概ねひと月の閲覧者数が10000人程度ですので今月、来年に入り1月、2月あたりにてどうにか300000人にまで到達することが出来るのではないかと思われます。

そしてまた、さらに正直に述べますと100000人であらうが200000人であらうが、そうした規模の方々に自身の書いた文章が読まれることは、これまでの人生において考えたことがありませんでしたので、これは自身として、やはり驚嘆すべきことであるのです(笑)。

くわえて、ここまで書き続けたにも関わらず、特に炎上などといった事態が生じなかったことは、特に賢明であるわけでもなく、また文章作成におけるバランス感覚に優れているわけでもない自身からしますと、あるいは実のところ、こちらの方が驚嘆すべきことであるのではないかとも思われるのです・・(笑)。

ともあれ、今回もここまで読んで頂きましてどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに日本列島において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。