2017年11月16日木曜日

20171115 九州における凝集性・求心性と遠心的な傾向について

さきにも述べたように九州とは日本列島の最西南端にあたり中国、朝鮮半島、台湾といった周辺諸国、諸地域と最も近接している。

また同時にこのことは、我が国の中枢からは遠い、いわば辺縁地域として認識されてきたということでもある。

九州とは、我が国の都が奈良であろうが京都であろうが東京であろうが、そのいずれにおいても中枢から僻陬の地、辺縁地域と見做され、こうした意識とは九州人の精神にも少なからず作用し、時代の流れ・情勢等に疎い田舎者といった自意識となり、そして時の権力に対する事大主義といった行為態度にも結節し、さらには自己の意見を持たないとも見受けられる脊髄反射的な中央迎合的態度となるのではないかと思われる・・。

しかしその一方において、そうした自意識が生み出す影の部分が、歴史上多く見られる九州諸地域勢力による中央に対する反乱となり、また同時に、こうした噴出、噴火的とも云える精神活動の他の側面が、海賊行為をも含む海外との交易といった活動に結実したのではないかとも思われる。

また、そうした活動とは、多くの時代を通じあまり評価されることはなかったものの、鋭敏な国際感覚と自己の文化全般に対する自覚をも生じさせたものと考える。

そして、ここまでに述べたように九州の人々の中央に対する凝集性、求心性(事大主義的、中央迎合的態度)と、それに反発をする遠心的な傾向(反乱、海外進出)とは、古代から現代に至るまでのこの地におけるさまざまな文化、出来事、事物を考えるうえにおいて、より重要視されることであるように思われる。

とはいえ、九州は古来より長きに渡り、大陸、朝鮮半島の先進文化のはじめの摂取口、上陸地としての役割をも果たしてきた。

ここで特徴的であると思われることは、特に古代における独立的傾向が強い土着豪族以降の時代においては、より強化された中央に対する凝集性、求心性により、たとえ外来事物がはじめてこの地に上陸しても、そこに定着することは少なく、速やかに中央に持ち去られたことである・

すなわち、在地土着豪族が中央のヤマト王権により、圧迫され、弱くなると(九州とは)、単なるターミナル、通過路としての役割のみしか果たせなくなる、与えられなくなると云える。

そしてまた、我が国が軍事的な緊張が生じた場合においては、対外進出あるいは防衛のための前線基地としての役割を担い、また実際に軍事的衝突が生じた場合においては、その攻撃を受け、被害を被るといった事態がこの地域に集中した。

こうした政局中枢から辺縁地域、対外的活動の拠点と見做される九州における時代を通じての大きな問題点とは、政局中枢に、真の意味で、この地域のことを考える特定の中央権力者、政策立案者等が長らくいなかったことではないかと思われる。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸インフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。