2018年6月9日土曜日

20180609 普遍化された言説と生きたコトバの違いについて・・経験?

先日6月6日投稿分の『自我を介在させた外界の認識の仕方の提示の継続によって』は思いのほか多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。またそれ以降、本日に至るまで新たな記事作成・投稿は行いませんでしたが、特に新たな記事作成に対しての衝動が生じることはありませんでした・・(笑)。

しかし、同時にこの期間で不図感じたことは、これまでブログ記事作成を継続していた経験によるものか、さまざまな外界の事象を見る際、半ば無意識ながら、何かしらコトバにて分解・抽象化しようとする傾向が身体化されているのではないかということです(このことは、こうしてコトバにて輪郭を与え、文章として表現することは出来るのですが、同時に、その(文章のもととなる)実感あるいは内在化された感覚は、実際に経験することがなければ、そのコトバはあくまでもモノマネ・他者からの受け売りに過ぎず、生きたコトバとはならない・・故に哲学も宗教も詩も全ては扱う人間次第であり、またそのことが、自然科学系学問分野に多く見られる演繹的な学問体系と大きく異なる点ではないかと思われます・・おそらく、その根源において(哲学・宗教・詩など)は他者によって普遍性・法則性の抽出の対象とされることを企図しないものであったのではないだろうか・・?
しかし、同じく根源においては、自然科学系学問分野とて同様であろう・・。)。

ともあれ、こうしたことは、普段は自身でも気が付くといったことはありませんが、しばらくの期間、継続してきた行為から離れてみて、はじめて気が付くといったところがあるように思われます。

また、そこから継続してきた行為を離脱するか再開するかにより、さらにその先の進む路は異なってくるのでしょうが、しかし、何れにせよ、それまでの過程で経験し、感じ得たことは、やはり後々まで影響を及ぼすのではないかとも思われます・・(おそらく、我々日本人は、このことに対し、西洋諸国あるいは、ある程度まで一般化され、言語化された教説を持つ宗教もしくは思想・哲学が社会に根付いた社会とは良い悪いは抜きにして異なるのではないかと思われます。)。

そして、そうした考えを踏まえることにより、ブログ記事作成の再開も容易になり、あるいは、しばらくの期間の離脱に対しても(過剰な)後ろめたさ・罪悪感のようなものを感じることが少なくなると云えます(自身内部に持続性が実感出来るのであれば、再びそれに入ることは特に困難を伴わずに行うことが出来るように思われる。)。

そのように考えてみますと、現在の記事作成休息期間にも、そこには何かしらの意味があり、ただがむしゃらに継続しているばかりが良いというわけではないのかもしれません・・。しかし、そのことを理解するためには、自身の場合、これまでの1000記事程の継続が必要であったとも云えるのかもしれませんが・・(苦笑)。


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ISBN978-4-263-46420-5
医歯薬出版株式会社

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この件に関しての連絡先メールアドレスはconrad19762013@gmail.com となっております。
併せて、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前から現在に至るまで列島各地において発生した大規模自然災害により被害を被った地域のインフラの回復および、その後の復興を祈念します。