2017年9月21日木曜日

20170921 再現可能性の重視・一つの西欧文化の特徴・我が国における理系学問分野について

先日来より読んでいる著作は下巻に入り100頁ほどまで進みました。このあたりになりますと、さきの章にあった宗教から、さらに進み、科学技術およびそれを基礎として発展する武力といったことに(より)焦点が当てられています。

このことは他の通史的な著作においても数多く述べられていることではありますが、表現、言い回し、論法を変えた文章にて読んでみますと、なかなか新鮮に感じられるものです。

さて、そうした著作において共通して述べられていることは『西暦1500年あるいは16世紀あたりまでは西欧とは、世界の片隅にある(どちらかというと辺鄙な)一地域であり、またその科学技術、文化とは総じて同時代の中東、中国などと比べ遥かに立ち遅れていた。しかしながら、その西欧文化が23世紀のちに世界他地域の文化を席捲あるいは支配し得るまでに強大となった。そして、その主たる要因とは、元々西欧発祥ではない伝来されたさまざまな利器を分解、それら機能の原理を要素毎に言語を以って普遍的に理解し、以って利器の数多くの複製および更なる改良を可能ならしめ、そして、それを軍隊が広範に装備したことに因る。』といったところです。そして、その具現化された典型が銃器であるのですが、こうした流れにおいて極めて重要であるのが、主に理系学問分野での主たる概念と評し得る『再現可能性』といえます。
この『再現可能性』に対し、西欧社会とは、かなりこだわる性質を持っているようであり、あるいはその傾向とは『執拗』と評しても良いのではないかと思われます・・。
また、ここまで書いており不図思い出されたのは、みすず書房刊 マックス・ヴェーバー著の「宗教社会学論選」という著作のおそらく冒頭部付近において『楽曲の楽譜への表記・記述を以って、楽曲の再現可能性を為し得たのは西欧文化のみである』といった記述です。この記述部が今日の学術研究レヴェルにおいて厳密に史実であるかどうかは別としても、少なくとも、さきに述べた抽出された通史的内容とはある程度の親和性があるのではないかと考えます。
そのように考えてみますと、今日我々の社会一般において『理系』的として分類されるあらゆる事物・アイコン・性質とは、その殆ど全てが西欧文化に直接的起源を持つものであり、またその文化の背景には、ある種(彼らなりの)戦闘的で猛々しい、武力への渇望といった要素が潜んでいるのではないかとも思われるのです・・(それは西欧諸言語の言霊でしょうか?)。
そして、それは論文和訳調あるいは理系文章的表現とも云える、一種決然的、断定的な文言がかっこいいとされるような価値観、風潮が認められる、ここ最近の我が国社会であるからこそ、よりそのように(強く)感じるのかもしれませんが、さて如何でしょうか・・(笑)?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。


20170920 感興を以って文章を書くこともまた大事であると思います・・

A「昨日の記事投稿によって総投稿記事数が750記事に到達しましたが、自身の内外において特に変わったことが生じることもなく、またここで新たな記事を書きはじめるに至るまで、そのことはほぼ忘れていました・・(苦笑)。

しかし、思い出してみますと、以前500記事到達の際は、それなりに高揚し、あまり寝付けなかったほどであったのですが、そうしますと、この250記事作成の間に生じた変化とは、一体どのようなものであったのでしょうか・・(笑)。

それは一つ一つの記事作成における『思い入れ・感興』といったものが(より)少なくなり、本格的に日常的・ルーティンな作業と化していった過程を示しているのではないかとも思われます・・。

そして、ブログ記事作成をも含めた創造的な行為全般とは、こうしたいわば、はじめの上り調子の後に訪れるプラトー・停滞の状態になった後にこそ、本当の工夫、創造といったものが求められ、そして生じていくのではないかとも思われるのです・・(より詳細に観察すると数段階程度あるのかもしれません)。

とはいえ、こうした状態(プラトー・停滞)とは、単に記事作成時の思い入れ・感興が少なくなったことにより、総じて記事作成が困難になるのみでもなく、その代わりに何やらよく分からないのですが『記事、文章を書き始めますと、どうにかある程度までは書くことが出来る』といった状態にまで(ある程度安定的に)至ったということを以って、思い入れ・感興が減衰した分を相殺し、どうにかなっているのではないかと思われるのです・・(笑)。

とはいえ、それでもやはり時には何かしら大きな感興を以って文章を書いてみたいとも思うところです・・。

たとえ、いかに技術的に高度なものを得たとしても、人が能動的に文章を著すといった行為の起源には、やはり感興が大きく作用しているのではないかと考えます・・(笑)。
(詩などはよりその傾向が強いのではないだろうか・・?)

さて、感興といえば、先日所用にて御茶ノ水周辺、駿河台下(靖国通り沿い)を歩いておりますと、軒を連ねている古書店の一つの前にて不図足が停まり、屋外にある書棚から、状態の良い箱付きの加藤周一著「日本文学史序説」(上下巻)を見つけました・・。
(このような時の私のセンサーとはなかなかのものかもしれません・・(笑)。

この著作を手に取り、しばらく頁を広いておりますと、これまで所持している文庫本の同著よりもサイズが大きいことから、かなり読み易く感じられました・・。

そこで値段を見ようと思い、古書にて値札がよく貼ってあるカバー・裏表紙裏を見ましたが見当たらないため、尋ねてみようと、比較的明るい店内に入り、奥のカウンターにて何やら作業をしている店主らしき方に著作を渡しつつ値段を尋ねてみますと、しばらく著作を手に取り眺めた後、どちらかというとぶっきら棒に値段をいわれました。

その値段とは、私にとってかなり破格であったことから、しばらくその場にて考えた結果、購入することにしました・・。

この間およそ三分間足らずの出来事であり、また、それがごく最近生じた感興が生じた、高まった場面です・・(笑)。

今回もまたここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。


昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念しています。」