2017年2月21日火曜日

20170221 ブログ記事における新知見およびその指摘・・誰が判断するのか?

A「本日の首都圏は大変風が強く、そのためか体感気温もまた寒く感じられました・・。

さて、昨日投稿の記事に対してもまた、投稿直後に面白い反応が認められましたので、早速これを取り入れさせて頂きました・・(笑)。

ともあれ、大分前といっても良い時期に投稿した記事の内容を憶えていて、それを以て最前の投稿記事に対し即座に反応出来るという能力、才能とは、自身もここ最近は心掛けてはいることですが、なかなか難しいものです(苦笑)。

しかしまた、繰り返し昨日投稿の記事に関してですが、これは主に書籍からの抜粋引用でしたが、その割には、投稿翌日にしてはそこそこ多くの閲覧者数を得ることが出来ました・・。
どうです、この記事に述べられている指摘とは、多少は面白いものではなかったでしょうか・・(笑)。

そして、この記事に述べられている指摘の内容とは、これまでに紙面・文面にて読んだ記憶がありませんので、あるいは『初めて』であるのかもしれません・・(笑)。

如何なるものであれ、自身が関与した、こうした新知見(である可能性があるもの)とは、それなりに精神を高ぶらせる性質を持っているようであり、またそれが、偶然によって発見されるというところが大変面白いのです・(笑)。

とはいえ、その偶然に至るためには地道に何かを継続していなければならないようです・・(苦笑)。
こうしたことを『人事を尽くして天命を待つ』というのでしょうか・・(笑)。

また、そのように考えてみますと、それはさまざまな実験などにおいても同様のことが云えるのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか?

そしてさらに、ここまで書いており『自身が継続しているこのブログに対する寓言、アレゴリーでもあるのではないか?』と不図思い付いた次第であるのですが、もしそうであるとすればこのさき一体どのような天命が待っているというのでしょうか・・(笑)?

とはいえ、そういったことを考えはじめますと、肝心なブログ記事作成の着想が湧かなくなる傾向があると考えますので、今後気温も徐徐に上がり、ブログ記事の着想もまた、それに付随し多少は精度が上がり、面白くなることを信じ、まあ書き続けるより仕方がないのではと思います・・(笑)。

また、ここまで書いてきて再びハナシを戻して考えてみることは
これまでに作成したブログ記事全ての中に、文章化された新しい指摘・知見【学術的にも】といったものは実際にあるのだろうか』ということです・・。

もし、それら記事の中にそうした知見が一つでも認められる、あるいはそのタネとなりそうな指摘が一つでもあれば、ここまで継続してきた甲斐があるというものですが、しかし一体誰がそれを判断するのでしょうか・・(笑)。

ゲーテ曰く『博学はまだ判断ではない。』とは、あるいはそうした意味であるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」