2022年3月20日日曜日

20220320 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」上巻 pp.181-183より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳 「ホモ・デウス」上巻 pp.181-183より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309227368
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309227368

人々が信じなくなった途端に消滅してしまいかねないのは、貨幣の価値だけではない。同じことが法律や神、さらには一帝国全体にも起りうる。それらは、今、せっせと世界の行方を決めていたかと思えば、次の瞬間にはもはや存在しなくなったりする。ゼウスとヘラはかつて地中海沿岸では絶大な力を誇っていたが、今日では何の権威も持たない。誰も両者を信じていないからだ。ソ連はかつて全人類を滅亡させられるほど強力だったが、いくつかの署名によってその存在に終止符を打たれた。1991年12月8日午後2時、ヴィスクリ近くの国有の別荘で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの指導者がベロヴェーシ合意に署名した。その合意には、「我々、ベラルーシ共和国、ロシア連邦、ウクライナは、1922年に連邦結成条約に署名したソヴィエト社会主義共和国連邦の設立国家として、国際法の対象と地政学的現実としてのソヴィエト社会主義共和国連邦がその存在を終えることを、ここに確定する」とあった。それでお仕舞いだった。ソ連はもはや存在しなくなった。

 貨幣が共同主観的現実であることを受け容れるのは比較的易しい。たいていの人は、古代ギリシャの神々や邪悪な帝国や異国の文化の価値観が想像の中にしかないことも喜んで認める。ところが、自分たちの神や自分たちの価値観がただの虚構であることを受け容れたがらない。なぜなら、これらのものは、私たちの人生に意味を与えてくれるからだ。私たちは、自分の人生には何らかの客観的な意味があり、自分の犠牲が何か頭の中の物語以上のものにとって大切であると信じたがる。とはいえ、じつのところ、ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。

 意味は、大勢の人が共通の物語のネットワークを織り上げたときに生み出される。教会で結婚式を挙げたり、ラマダーンに断食したり、選挙の日に投票したりといった、特定の行動は、なぜ有意義に思えるのか?それは、親もそれが有意義だと考えているし、兄弟や近所の人、近くの町の人々、さらには遠い異国の住人までそう考えているからだ。では、なぜこれらの人々はみな、それが有意義だと考えるのか?それは、彼らの友人や隣人たちも同じ見方をしているからだ。人々は絶えず互いの信念を強化しており、それが無限のループとなって果てしなく続く、互いに確認し合うごとに、意味のウェブは強固になり、他の誰もが信じていることを自分も信じる以外、ほとんど選択肢がなくなる。

 それでも、何十年、何百年もたつうちに、意味のウェブがほどけ、それに代わって新たなウェブが張られる。歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとって人生で最も重要に見える事柄が、子孫にはまったく無意味になるのを理解することだ。