2022年8月29日月曜日

20220829 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.270-271より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.270-271より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4163646701
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163646701

その日九時ごろ、私は家を出た。学生服の下にパンツでなく下帯をつけていた。これが当時の徴兵検査の正装である。検査場は杉並区下高井戸の小学校の雨天体操場、家から歩いて四十分ぐらいの距離である。その古い木造校舎は、戦後もしばらく残っていた。校門の近くの塀に白紙がはられ、筆太に矢印で検査場への道筋が示されている。殆どが学生服の三々五々が、手に書類をもってその方へ行く。雨天体操場ににはゴザが敷かれ、壁際がつい立てで仕切られ、その各区画を順々に通って検査をうける。周囲をつい立てで囲まれた中央のゴザの広場がいわば待合室で、そお正面が講義、終った者はその前に裸で並び、順々に呼び出されて壇の上から検査の結果が宣告されるらしい。

 そんな光景を、あけ放たれた雨天体操場の入口を通して横目で見つつ、その入口の横に机を並べて書類の受付をしている兵事係らしい人びとの方へと私は向った。その前には十数人の学生服が、無言で群れていた。そのとき私は、机の向うの兵事係とは別に、こちら側の学生の中で、声高で威圧的な軍隊調で、つっけんどんに学生たちに指示を与えている、一人の男を認めた。在郷軍人らしい服装と、故意に誇張した軍隊的態度のため一瞬自分の目を疑ったが、それは、わが家を訪れる商店の御用聞きの一人、いまの言葉でいえばセールスマン兼配達人であった。

 いつも愛想笑いを浮かべ、それが固着してしまって、一人で道を歩いている時もそういった顔付をしている彼。人あたりがよくて、ものやわらかで、肩をすぼめるようにしてもみ手をしながら話し、どんな時にも相手をそらさず、必ず下手に出て最終的には何かを売って行く彼。それでいて評判は上々、だれからも悪く言われなかった彼。その彼といま目の前にいる超軍隊的態度の男が同一人とはー。

 あとで思い返すと、余りの意外さに驚いた私が、自分の目を信じかねて、しばらくの間ジイーッと彼を見つめていたらしい。別に悪意はなく、私はただ、ありうべからず奇怪な情景に、われ知らずあっけにとられて見ていただけなのだが、その視線を感じた彼は、それが私と知ると、何やら非常な屈辱を感じたらしく、「おい、そこのアーメン、ボサーッとつっ立っとらんで、手続きをせんかーッ」と怒鳴った。そして以後、検査が終わるまで終始一貫この男につきまとわれ何やかやと罵倒といやがらせの言葉を浴びせつづけられたが、これが軍隊語で「トッツク」という、一つの制裁的行為であることは、後に知った。

 軍隊との初対面におけるこの驚きは、その後長く私の心に残った。そのためか大分まえ、ある教授に、ある状態で、ある役つきの位置におかれると一瞬にして態度が変るこの不思議さについて話したところ、これは少しも珍しくない日本人的現象だと同教授は言った。

20220828 類型化され得る要素としての「黒光り」・・

昨日の投稿記事は、思いのほか多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、そうした事情から、当時多用していたGoogleマップのキャプチャ画像を投稿記事に挿入しました。この画像内でチェックして示されているのは、当時訪問した全ての医療・歯科医療機関ではなくて、そのごく一部の、携帯電話をスマホに変更してから後に訪問した場所です。

ともあれ、当時はそのようにして、訪問した場所をGoogleマップ上にて記録していましたが、現在になって思い返してみますと、これは悪くない方法であったのかもしれません。そして、今後また、この機能を用いてみたいと思います。

さて、冒頭にて述べました通り、昨日の投稿記事は投稿翌日としては比較的多くの方々に読んで頂けたことから、さらに、その続きを書き進めてみようと思います。

その内容は「成功している歯科医院に多く見られる類型化され得る要素」となりますが、それはあまり具体的に書きますと、個人特定されてしまうおそれがあることから、少し抽象的に述べます。

また、これまでの投稿記事内での、この題材に関連すると思しき記述として「20181109 『野
良犬』であった自分が思ったこと・・」
内にて述べた「これら先生方に共通する特徴として、ある程度以上に学究肌であることです。彼らは歯科医院を運営しながらも、ごく普通に研究を続け、学会発表をされていたり、専門書籍の執筆などをされています。」が挙げられますが、この記述は、さきの「類型化され得る要素」と、ほぼ同じであると云えます。つまり、2018年11月の私は、昨日の投稿記事にて述べたことの返答を既にしていたということになります。しかし同時に、そこで「そこには何らかの(究極的には説明できる)理由があるのではないかと考えます。」とも述べており、さらに、その先についての言及を試みていたようですが、こちらについては、未だ言語にて述べることは困難であると云えます。

ともあれ、少し前に戻って「これら先生方に共通する特徴として、ある程度以上に学究肌であることです。」について、もう少し述べていきますと、この「学究肌」とは、端的に、より、その方の本質・本能に近い部分から、自分の仕事(歯科医療)に関する興味を持ち続けているということであり、それは、特に同じ分野の方でなくとも、ある程度の期間、その様子を眺めていますと、判然とするのではないかと思われます。

それは見様によれば面白いものでるとも云え、ご自身が運営する歯科医院の患者さんの自費診療の割合を高くしようと色々と考えていながらも、他方では脱離した補綴装置の分析を行うために高価な顕微鏡や分析機器を購入するといった行動様式であったり、あるいは歯科医師ではありながらも、どこか理系分野での院生の延長といった感じが付きまとっているような行為態度とも云えます。また、それに付随することですが、その恰好が、ある程度の年齢まで達していて、また収入も悪くないはずであるのに無頓着であり、ここからも理系分野での院生の延長といった感じを受けます。

バブル期からのイメージの延長であるかもしれませんが、一般的に我が国の都市部の開業歯科医師と云いますと、ブランドものに身を包んだ「黒光り」しているようなイメージがあると思われますが、私の知る、さきの「類型化され得る要素」の外見とは、無頓着あるいは合理性に重点を置いたものであり、総じて穿き慣れたジーンズやスウェットパーカなどといったアイテムを好んでいるように見受けられました。また、その恰好は、街中で見かけますと、あまりパッとしたものには映りませんが、しかし、そのお話を伺ってみますと学術的な内容を、ごく普通な調子で話されたりすることから、また異なった意味での「黒光り」をイメージさせられますが、この「黒光り」に関しましては、また後日述べてみたいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年8月28日日曜日

20220828 以前の勤務先での営業活動から思ったこと

以前の投稿記事にて述べたことではありますが、かつて、私は歯科訪問診療を主に行っている比較的規模の大きい医療法人に勤務していた時期がありました。そこでの当初の職名は「歯科訪問診療コーディネーター」と云うものであり、その職務内容は、端的に歯科医師・歯科衛生士などの医療専門職が行う業務以外の全般と、当法人の歯科訪問診療を居宅介護支援事業所や地域包括支援センターなどに「ご案内」という営業活動を行うことでした。

私はこうした業務が向いておらず、しばらく経ってから、同法人の母体が新たに設立した医療介護職に特化した求人・求職サイトの運営の方へ遷されました。この仕事は私一人が担当であったことから、求人情報獲得のため、さまざまな医療・歯科医療機関を訪問して廻ることが多くありました。


また、法人内では、私の背景は歯科医療分野であると見做されていたこともあり、自然、歯科医療機関に求人情報を獲得するために訪問することが多くありました。大抵の場合は事前にメールや電話などをして訪問させて頂いていましたが、時には飛び込み営業のようなことも行っていました。ともあれ、そうした活動をしばらく継続していますと、医師と歯科医師の診療内容以外での職業人としての性質の違いのようなものを感じる機会が度々ありました。

具体的には、現代の我が国では医師が30万人ほど、そして歯科医師が10万人ほどいるのですが、そのうち開業医の割合は、医師であれば20%ほど、そして歯科医師であれば50%以上がそうであるのですが、そうしますと、開業している医院、歯科医院は、それぞれ5~6万件ということになります。つまり、全体の人数であれば、医師が歯科医師の3倍以上いるのですが、これが開業医になりますと、医師、歯科医師では、あまり大きくは変わらないほどの件数であり(5~6万)、そうしたことから、歯科医師の方が、より個人事業主あるいは中小企業経営者的な性質を強く持っていると、さきに述べた活動の中で感じました。

また、彼等、彼女等は、さきに述べたとおり、個人事業主・中小企業経営者的な性質をも有する開業歯科医師ではあるものの、同時に、医院収入にも少なからず影響を及ぼす「より良い歯科治療」を行うためには、最新の学術的な知見などにも目を向ける必要があることから、学会や勉強会への参加はもとより、時には自ら発表なども行うのです。

そのようにして彼等、彼女等は、歯科医院を運営して、そこで従事している他の歯科医師や歯科衛生士などの生活を成り立たせていると云えるのですが、そうした様相を、私は、さきに述べた経験を通じて、実感として理解することが出来たように思われます。

そして、上に述べたことを念頭に置き、後知恵にはなりますが、所謂、成功していると思しき歯科医院をいくつか眺めてみますと、そこには、ある程度まで類型化出来るいくつかの要素があるようにも思われてくるのです。ともあれ、その類型化、要素につきましては、また後日述べてみたいと思います。

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2022年8月27日土曜日

20220826 グダグダとも思われるブログ記事であっても作成した方が良い理由【蓄積・継続?】

今回の記事投稿により、総投稿記事数が1835に達します。そしてまた、あと新規にて65記事の投稿により、当面の目標としている1900記事に到達することができます。これは、どうにか年内には達成して、さらに来年の出来るだけ早い段階にて2000記事まで到達出来れば良いと考えていますが、さて、上手くそこまで運ぶことは出来るでしょうか?

以前にも述べたことではありますが、その先1900記事まで(どうにか)達することが出来るのであれば、そこから次は2000記事までは、区切りが良いため作成することになると思われます。しかし2000記事とは、現時点の私にとっては未知の領域であり、また、そこまで継続することが出来るのであれば、科学的な根拠はありませんが、おそらく、その後も、たとえ投稿頻度は多少変化したとしても、ブログ記事の作成は続けることが出来るのではないかと思われるのです・・。

そうしますと「一体何時までこのブログを継続するのか?」と、我がことながら思うに至るのですが、あるいは既に現時点においても、公の空間においては、当ブログが私を代表するものであるとも思われるのですが、そうしますと、決して多くはありませんが、当ブログのことで声を掛けて頂くことの意味も理解出来ると云えますが、たしかに、こうした発信活動を全く行わなければ、当ブログのことで声を掛けて頂く機会もなく、そしてまた、ツイッター上にて関連すると思われる記事を、何らかのカタチで提示するようなことは出来なかったと云えます。

ツイッターについては、その機能を使い始めて未だ2年半程度ではありますが、その中で私は、これまでに作成・投稿したブログ記事で、内容的に関連があると思われた興味深いツイートに、そのブログ記事を返信あるいは引用リツイートなどをしてきましたが、これについては、その反応を実際に耳にする機会はありませんでしたが、私としては、こうした(興味深い)ツイートへの返事・引用リツイートによって、多くの閲覧者を得ることが出来たことが多かったと云えます。昨今では、ツイッターでの1日のオーガニック・インプレッションは平均して2000~3000程度ですが、これが、さきに述べたツイートへの返事・引用リツイートにて「当たる・バズる」ものがありますと、ここ最近であれば、10000以上にまで達することもあり、また、こうしたことは、ブロガー上でのブログ記事作成のみで活動していた時期では皆無であったことから、ツイッターを始めて2年半が過ぎた現在であっても、そうした機会は、もちろん多くはありませんが、やはり、毎回驚かされると云えます・・。

そしてまた、まだまだ先は長いですが、とりあえず、今後もしばらくは1900記事を目標として書き進めようと考えて居ます。

ともあれ、今回の作成記事は、昨日と同様、あまり読ませる文章でもなく、また、内容的にも、ハッキリとしたものではありません。しかし、こうした記事であっても、作成をしばらく続けていきますと、どのような理由によるものか、それまで以上とも云える文章・ブログ記事を作成することが出来るのではないかと、これまでの経験は語るのですが、その具体的な顕われに関しては、私はどのような実感を得て、それを基点として、同じく、どのように理解・解釈するようになるのでしょうか?

そういえば、さきに述べたツイート内容に何らかの関連があると思われる記事の、返信あるいは引用リツイートでの提示は、現在の私ではあれば、ある程度、そうした行為の蓄積による慣れもあって、割合速やかに双方が繋がるのですが、当ブログ開始当初の頃は、これがなかなか出来なかったことが思い出されました。そして、現在、そうした関係性を見出すことが以前よりも比較的容易に出来る様になった経緯には、当ブログを閲覧してくださっている方々の存在があると、ここまで作成してきて思い出されましたが、今後もまた、そうした変化とは生じるものなのでしょうか?

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2022年8月25日木曜日

20220825 創造の経路と、それに付随する価値について・・【見解の鋳型】

これまで(どうにか)7年以上、ブログ記事の作成を継続してはきましたが、それまでの経緯で、自分の文体を獲得出来たかについては、未だに実感がありません。毎回の記事作成に際しては、やはり面倒に思われるものです・・。これが、速やかに、滑らかに作成出来るのであれば、それに越したことはないのでしょうが、しかし、これまでの自分の経験に照らしてみますと、そのようにして作成出来たと思しき記事はありません。他方で、書籍からの引用記事の場合は、予め、いくつかの興味深いと思われる記述がある著作があり、そして「本日はオリジナルの記事を作成するのは困難かな。」と感じられ、且つ「新規の投稿はしておいた方が良い」と思われる日に、そうした著作ストックの中から、その日に適していると思われる記述を検討し、そして、引用記事として作成しています。

そうした書籍からの引用記事に関しては、現時点において、その候補が100近くあると思われますので、今後、そうした引用記事を集中的に作成する期間を設けても良いのではないかとも思われます。しかし、私の場合、未だに自分の作成する文章に対する十全な自信がないことからか、たとえ断続的ではあれ、自らによる文章作成を継続しておかないと不安になってきてしまうのです。あるいは、こうした状態は強迫性障害に近いのかもしれませんが、しかし、それが除去されて、そして、めでたくブログ記事の作成を不安感ナシに止めることが自分にとって良いことであるのかと考えますと、こうした、ある種の「内面の葛藤・不調和」につき合えるだけつき合ってみることにより得られるものも、少なからずあるのではないかと思われるのです・・。

対して、当初から合理的な経路選択によって得られた、辿り着いたものとは、往々にして、さきの葛藤・不調和を経たものと比べて、自身の中での払われる価値が低くなるように思われます。しかし、そのように考えてみますと、概して創造には、そうした性質があるのかもしれません。つまり、さまざまな思考錯誤を重ねて時間をかけて作成、創造されたものと、既存要素をわずかに改変して組み合わせ、あるいは組み合わせた後で改変したものとを比較しますと、さまざまな程度の相違はあるものの、前者の方がより普遍的な意味での創造と云え、そしてまた時間的な意味での普遍性を持つ可能性が高くなるのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、こうしたことは、各人各様で価値観が異なることから、普遍的な数値データに基づく結果そして傾向などを見出すことは難しいのかもしれませんが、それでも最終的には、さきの「葛藤・不調和を経た創造の方が、より普遍的な意味での価値があるのではないか?」から更に進んだ言語にて説明可能な見解に至ることが出来るのように思われるのです。

そして、そこで重要であると思われるのが、そうした見解の鋳型ともなるような物語としての神話や小説などです。おそらく、原初期の頃から現在に至るまでの人文社会科学全般の持つ普遍的な価値もまた、そうしたところにあるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

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20220824 岩波書店刊 岡義武著「近代日本の政治家」内「平民宰相・原敬」pp.139-141より抜粋

岩波書店刊 岡義武著「近代日本の政治家」内「平民宰相・原敬」pp.139-141より抜粋
ISBN-10 : 4003812654
ISBN-13 : 978-4003812655

原敬は安政三年(1856年)九月盛岡城外に生まれた。当時健在であった祖父の原直記政元は盛岡藩の家老加判。従って、家柄は上級武士層に属する。彼は少年時代を幕末の動乱期にすごし、戊辰戦争の起ったときには十二歳であった。この戦争において盛岡藩は東北の諸藩とともに官軍に抗したが、「朝敵」の烙印を押された上で一敗地に塗れる悲運に遭遇した。

 維新後、藩閥政治が樹立されて、薩長両藩の出身者はわが世の春を誇る時代となった。陸奥宗光(紀州出身)の言葉を借りれば、「往昔平氏の盛時、世人之を目して平氏の族に非ざる者は人間に非ずといへり。今や薩長の人に非らざれば、殆ど人間に非ざる者の如し」という世の中になった。そして、非藩閥の身に生まれた幾多有為の人材はこの藩閥政治の陰に空しく埋もれて、朽果てて行った。そして、戊辰戦争の敗北者である東北諸藩の出身者のごときは、薩長人から「白河以北一山百文」と嘲弄、侮蔑された。

 このような中で、若き原敬の前途には光明は乏しくみえた。負け嫌いで覇気に溢れ、そして、敵・味方を峻別して行動する性向の持主であった彼にとって、このみじめな境地の中で味わったさまざまの屈辱的な経験は正にその骨身に徹した。それは原は生涯到底忘れることができなかった。たとえば、彼は一山または逸山と号した。それは「白河以北」云々の句から取ったものである。もとより自嘲ではない。この二字には昂然たる反撥の気概がこめられていたのであった。また別の例を挙げよう。幾月はいつか流れて、大正三年に迎えた。当時原は第一次山本(権兵衛)内閣の内相であり、大正天皇の即位式をひかえて大礼使長官を兼ねていた。同年二月六日の日記に彼は記している。「午後大礼使の会議に出席して種々の協議をなしたるが、御即位礼に使用せらるる幡の理由書中に維新の際東征に使用せられたりとか、奥羽出征のとき総督に下附せられたる錦旗に倣へりと云ふ文字あり、一視同仁の皇恩に浴し居る今日に於て恰も外征に於けるが如き語句を使用する事は不穏当なりと認め、之を刪除せしめたり」。また、大正六年は戊辰戦争からちょうど五〇年目に当たった。当時原は政友会総裁であった。この年、旧諸藩筋ではそれぞれ慰霊の祭典が執り行われた。旧盛岡藩関係でも寄り寄りその計画があったが、費用の問題で行詰った。そのことをきいたとき、彼は率先金を寄付し、この金を基にして祭典を行うよう盛岡市当局に斡旋方を依頼した。その結果、同地の報恩寺において旧盛岡藩士戊辰殉難者五十年忌の法会が行われた。当日彼はその席に列した。そして、みずから起草した祭文を朗読した。それにいう、「同志相謀り旧南部藩士戊辰殉難者五十年祭本日を以て挙行せらる。顧みるに昔日も亦今日の如く国民誰か朝廷に弓引く者あらんや、戊辰戦役は政見の異同のみ、当時勝てば官軍負くれば賊との俗謡あり、其真相を語るものなり、今や国民聖明の沢に浴し此事天下に明かなり、諸子以て瞑すべし、余偶々郷に在り、此祭典に列するの栄を荷ふ、乃ち赤誠を披露して諸子の霊に告ぐ、大正六年九月八日 旧藩の一人 原敬」。彼はその日の日記に、この祭文を書き入れ、付記して「他には如何なる評あらんも知れざれども、余の観念を率直に告白したるなり」としている。そして、その折彼は「焚く香の烟のみだれや秋の風」の一句に深い感慨を託した。

2022年8月23日火曜日

20220822 疲れが残るなかで、愉快に読むことが出来ない書籍を読んでいて思ったこと・・【契機】

ここ数日は、どうしたものか以前からの疲れが取れずに、また、そうした事情から、ブログ記事の更新は3日間休止しています。他方で、これまでの総投稿記事数は1831となっており、出来れば、今月中に1840記事まで到達したいと考え、さきほどから記事作成を始めました。とはいえ、その主題は未だ決まっておらず、書き進めていくなかで、何らかの着想を得ることが出来ればと期待しているのが現状と云えます・・。

また、この疲れあるいはダルさのようなものは、おそらく、先日の投稿記事にて述べた、現在読み進めている、太平洋戦争を題材とした著作による影響も少なからずあるのではないかと思われます。現在読み進めているのは、捲土重来を期するマッカーサー将軍が指揮する米軍がフィリピンに上陸し、守備勢である日本軍との間に烈しい攻防戦が繰り広げられている件ですが、こちらもまた、他の南太平洋戦域での描写と同様に、いたましいものがあり、これを読んでいますと、自然と目が細くなり、そして眉間に皺が入ってきます。

つまり、愉快な気分で読み進めることがとても困難なのです。しかし、それでも我々は、この悲惨な戦争が行われた時代のことを、出来るだけ多く、深く知っていた方がよいと私は考えます。

どうしたわけか、私は幼い頃、小学校入学以前から、この時代を好んでいましたが、それは主に、当時の戦車や飛行機や軍艦といった各種兵器に付随する興味・関心であり、それら兵器が登場する戦いに興味を持っていたと云う方が、より精確であったと云えます。そしてまた、そうした興味は模型、プラモデルの作成などにも波及していくというのは、割と自然な流れであったのではないかと思われます。

戦争そのものよりも、兵器の方に興味を持っていた時期は割合と長く、おそらく、小学校高学年まではそうであったと記憶しています。そして、丁度この同じ時期に、人文系にて大学教員をしていた親しい親戚が、たしか研究資料のためとして購入したという第二次世界大戦当時の各戦域で撮影された動画を集め編集した全20巻ほどのVHSビデオシリーズを、私の一家が長期にわたって借りることになりました。そして、それらを最も視聴していたのは私でした。一連のビデオには、たしかに、さきに述べた各種兵器も多く映ってはいましたが、それと同時に、現在読み進めている著作にて描かれているような、いたましいと云える状況も少なからず映されており、これには驚き、ある種の衝撃を受けました。また、この一連のビデオを視聴したことから、もう少し異なった視座から第二次世界大戦をとらえることが出来るようになり、そこからまた、新たな分野の書籍をも自然に読むことが出来るようになったのではないかと思われます。その意味においても、各種映画や同時代を映した映像資料などはとても重要なものであると私は考えますが、しかし同時に、たとえ緩慢であれ、そこから先の内面での変化、そして、さらに先での展開といったものの方が、やはり、より重要であるように思われるのですが、さて、如何でしょうか?

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2022年8月19日金曜日

20220818 1830記事に到達して思ったこと、およびその他

昨日の投稿記事によって、総投稿記事数が1830に到達しました。そうしますと、当記事を併せて70記事の新規投稿により1900記事に到達することになりますが、現在のところ、そうした実感は皆無であり、また、昨日の投稿記事にても述べましたが、現在読み進めている数冊の太平洋戦争について扱った書籍にて描かれている戦況が敗色濃く、悲惨とも云える状況になってきますと、読んでいて何だか疲れ、いたたまれなくなる感覚があり、こうした感覚は私の場合、年々強くなっているようにも感じられます・・。

とはいえ、折角、そのうちの一つは全五巻のうち四巻目はじめ100頁ほどまで至りましたので、この先も読了を目指し、引き続き読み進めていこうと思います。そういえば、ここ最近は、さきに述べた著作のみならず、他の書籍なども購入してしまいましたが、それらについては現在、積読状態になっています・・(苦笑)。斯様に書籍が溜まっていくことは、私の経験上あまりよくないと思われることから、長丁場にはなるでしょうが、忘れないように、一つ一つ読み、自分なりに消化していきたいと考えています。

また、この溜まっている書籍の読書を当ブログにも活用し、書籍からの引用記事をさらに増やしても良いのではないかとも考えましたが、それら書籍の記述に何らかの興味深い点があれば、随時作成しますが、そうしたことは、予め強く目的意識や方向性を持って行うようになりますと、後になり(どうにか)2000記事まで達した頃に後悔するおそれもあることから、やはり、基本的は自らの作成記事を優先するスタンスを保持する方が良いのではないかと思われます。

そういえば先日、これまで10年以上穿いたエンジニアード・ガーメンツというブランドのジーンズの股の部分が、ついに破れてしまいました。またこれはリペアして穿き続けようと考えていますが、同時に新たなジーンズを購入する良い機会であると考え、アメ横に行ったところ、ブッシュパンツという型のデニム地のパンツを見つけました。これはなかなか良いと思われ、また同時に、これまでに穿く機会がなかったことから、今度はブッシュパンツにて探してみようと思います。

また、来月、所用のため関西方面に訪れる予定になりましたが、ここ最近は西日本に出向く機会がなかったことから、これは現在から既に楽しみであり、あるいはもっと西の方にも機会を見つけて訪問したいと願っています。以前の投稿記事にて述べた「今年(2022年)は、西日本にある四年制大学の口腔保健学科に訪問し、取材を行って記事を作成したいと思っている」については、今現在、それと全く同様ではないものの、他方で、それにもつながる文章の作成にて、わずかではありますが、対価を頂くことも出来ていることから、引続き、あくまでも自分なりにではありますが、良い意味での影響を及ぼすことが出来る記事、文章を作成していきたいと考えています。

あるいは、こうしたことを述べたついでに、もう少し大きな希望を述べさせて頂きますと、いずれ、出来るだけ近いうちに、西日本にある、出来れば複数のコメディカル・パラデンタル職種養成学科にて、また教養科目の講義をしてみたいと考えています。費用は、往復の交通費、宿泊費そして、いくらかの報酬を頂ければ十分ですので、そういった大学さまがありましたら、どちらの経由でも結構ですので、是非、お声掛け頂ければと思います・・。

しかし、ここで考えて頂きたいのですが、そちらの医療系大学さまの学生さんの中で、学科全体のうちのわずかな人数であっても、文学などに興味を持たれる方が出てきますと、それは後々になり、大学さまにとっても良い効果を齎すのではないかと思われるのです。未だそうしたことが重要視されるような傾向は見受けることは出来ませんが、私としては、こうした、将来就く職業に直結しているとも云える医歯薬系各学科においてこそ、精神的な意味で支柱となる、内発性を育てる(楽しみ方の)訓練も必要ではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そのためにも、私は自分のフッキング能力をまた上げていきたいと思います・・。

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2022年8月18日木曜日

20220817 即物的な興味からはじまる変化について

先日投稿の記事にて述べたことではありますが、現在、数冊の太平洋戦争に関する書籍を併読しています。そして、それぞれ敗色が濃くなりつつある戦局の描写へと至りますと、この当時を描いたさまざまな様式の作品が大抵そうであるように、読み進めるにつれて、徐々に気分が重くなってきます。

そして、さらに読み進めることを困難にします。そうした事情から、昨日は太平洋戦争とはあまり関係がない著作を気に留めず手に取り、読んでみますと、次第に興に乗ってきて、そして「やはり、この気分の重さは書籍全般に由来するものではなく、太平洋戦争での、丁度この頃を扱った書籍が気分を重くさせるのだな・・。」と思うに至り、さらに、それを確かめるために、他分野の書籍を何冊か手に取り頁を広げてみますと、総じて、やはり何かしら興味深く感じられることがあります。そこでまた「この気分の重さは、この時代の作品限定なのだな・・」と、あらためて思うことになります。しかしながら、であるからと云って、気分を暗く、そして重くする、この時代のことを無視することは、あるいは、意識・無意識を問わず形骸化させることは、出来るだけ避けた方が良いのではないかと思われるのです・・。

その理由は、この時代、そしてその前後に、近代以降での我が国の好ましくない、さまざまな性質が凝縮されていると思われるからです。そして、それら性質を、実感をもって認識するためには、その当時の我が国の社会、そして国際社会、また、その背景となる抽象的な時代精神といったものを、書籍のみならず、他の手段などを用いて、積極的に多く触れる経験が重要であるように思われるのです。

しかし、ここまで述べて、自身の記憶を振り返ってみますと、何故か私は幼い頃より、この時代を好んでいましたが、それは「時代」と云うよりも、飛行機、戦車そして軍艦といった、当時、各国が用いていた兵器全般に興味を持っていたと表現する方が適切であったと云えます。そして、こうした実体のある兵器への興味を足掛かりとして、やがて、それらについての知見が蓄積し、抽象化されていきますと、漠然としたものではあるのでしょうが、さきの国や時代などについての見解も、多少は考えられていたように思われます。

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2022年8月16日火曜日

20220816 中央公論新社刊 中公クラシックス 柳田国男著「明治大正史」世相篇 pp.63-65より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス 柳田国男著「明治大正史」世相篇
pp.63-65より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121600134
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121600134

 「白米が白くなり過ぎた主な原因は、鮨米の誘惑であったように考えて居る人がある。しかし、米の飯はわれわれの理想の行止りであった故に、強いてこの上の奢りを企てようとすれば、それを白くでもして見る他はなかったろう。実際またよく磨がれた米の飯は美しいものであった。それが害だということに心つかぬ限り自然に白くなるには手本も要しなかったと思う。もっとも、鮓米だ酒造米だと称して、むやみに杵の数を多く当て始めた時代が、ちょうど房州砂が盛んに売れ、飯の白いのを賞玩する風習の起りであったことも事実だから、まるまる関係がなかったともいい切れない。いずれにせよ寿司が今日のようになったのは変遷であって、決して明治以前からの、今のとおりおものを食っていたのではないのである。

 鮓の変遷だけは幸いにまだ各地の実例が伝わって居るために、単なる比較によって容易にその経路を窺うことができる。他の多くの食品においては、もはやこれほど忠実に以前の慣習を残して居る地方はないのである。鮓は「土佐日記」にすでに見えて居るごとく、最初はただ魚類を保存する方法の一つであった。単にその方法の最も巧妙にして、また贅沢なるものというに過ぎなかった。海川の獲物はしばしば豊富に過ぎて、一回の消費に剰る場合があった。これを遠くの人に販ごうという考えのなかったころから、貯えて他日の用に備えようとする念慮は起り易かった。その簡便なる方法には干魚があって、もとはこれ一つが運送に適していた。塩物は多分その臭味を防ぐために、次に発明せられた改良であったろうが、これも加減が覚えにくく、また概して元の味を割引しなければならなかった。鮓だけはひとりその発酵する力によって、別に新たなる風味、香気をつけ加えたのである。いわゆる鶚鮓の昔話が全国に流布して居るのを見ると、もとは偶然の発見に基づくものかも知れぬが、少なくとも飯をその保存に利用したのは考案の結果であった。現在はすでに地方の技術となり、あるいはただ二、三の旧家の口伝に属して、詳細を知ることもできぬが、最初は魚と殻類との自然の酸によって、久しきを経てようやく熟するを待ったことだけは明らかである。

 それが醸造酢の外部からの供給によって、寿司の製法はここに一変した。早鮓という名前はまずこれに向かって与えられたかと思うが、後にいま一段と迅速なる作り方が現れたために、この分はもう古風になろうとして居る。現在の巻き鮓・握り鮓は、いわば米の飯の一種の食法であって、その趣向はむしろ握り飯の方に近いようである。これが簡便と新しい趣味とによって、全国を風靡したのは面白い事実であるが、少なくとも鮓の製法の改良とはいうことができなかった。鮓の要件は馴れるという点にあった。外から酢を注いで味をつけるようになってからも、これまであったものは漬けると称して、器を詰め込み押し石を載せ、何日かの日数を重ねて米と魚との変質するを待ったのである。それが普通の飯や膾とくらべて、どれだけの養分と消化力の相異があるかは、調べて見た人がまだいないというのみで、とにかく二者は食品としてはまったく別のものであった。民族の嗜好は永い間の習慣によって、容易に改めることができぬという説は、日本には必ずしも当てはまらぬことが多い。都市はむしろ新奇なる物の味を、次から次へと尋ねて行く傾向をもって居るが、ことに専門の飲食店が、これを日々の商品として取り扱うようになると、その変化が急速なようである。鮓は古い言葉だから、これこそは固有であろうと思っていると、もう知らぬ間に内容の方がちがってしまって、なまじいに元の名を相続したばかりに、かえって前に存したものを忘れさせて居る。衣食住の現在の仕来りの中には、これに似た例はまだいろいろある。」

2022年8月15日月曜日

20220814 読んでいて落込んでしまう著作を敢えて読む意味・・

ここ最近は天候も不順でしたが、やはり夏は夏であり暑いもので、私の方は少し夏バテ気味であるのかもしれません・・。また同時に、先月から購入した数冊の書籍も、思いのほかに頁が進まず、こちらも少し難儀していると云えます・・。

これら書籍は、以前から読み進めてきた小説の続きや新書であり、読み進めていて、それぞれ興味深いとは思うのですが、その記述されている時代は、共通して、太平洋戦争で我が国が敗勢を呈してきた頃であり「玉砕」や「自決」といった言葉が読み進める頁の所々に出てきます。これまでに何度が読んだ、自らの太平洋戦争での経験に基づいて書かれた大岡昇平による「俘虜記」では、相対的に多くの記述が、捕虜収容所での描写に充てられており、これもこれで現在の我が国社会にも通底すると思しき様相が散見されて、そこから、決して嬉しくはない、ある種の普遍性に辟易として、それなりに落ち込むのですが、現在読み進めている著作の一つでは、当時、戦地にて従軍していた米軍将兵の体験からの口語的な記述や、同じく日本軍将兵、民間人の方々の記憶に基づいた記述、そして南太平洋、欧州戦線といった主要な戦場を含めた第二次世界大戦全体の状況についての記述もあり、読んでいますと、あらためて、太平洋戦争における戦況の推移といったものが明確に理解できたように思われます。とはいえ、こうしたことは、おそらく現時点では、口頭・口語での説明が精一杯であり、それをさらに、自分の言葉・文章として記述出来るようになるためには、今しばらく読む期間を要するのではないかと思われます。

ともあれ、さきに述べた記述スタイルは、文学的な価値はともかくとして、当時の歴史的な経緯をより深く理解するためには、有効であると私は考えます。あるいは、それは「統合化」された歴史記述と云っても良いのかもしれません。また、こうした一連の複数の視座に基づいた歴史記述からは、その編集などの仕方により、著者自身の考えも、読んでいますと、ある程度理解出来るのではないかと思われますが、それが「よりこの歴史の流れについて詳述したい」あるいは「未だ明らかになっていない歴史の部分を明確にしたい」といった、著者自身の探求心に基づいている場合であれば、読者の多くは幾分容易に、その記述の流れに乗れるのではないかと思われるのです。そう、おそらく言葉そして文章も、本来は生き物であり、読んでみますと、半ば無意識にではあれ、その背後にある何かを感じ取っているのかもしれません・・。

そして、それを踏まえて現在読み進めている、いくつかの太平洋戦争について扱った書籍の背後にあるものは、おそらく、総じて重く、深刻であると感じられ、落込むのですが、かと云って、それらを読まずにいた方が、我が国社会の基層に埋め込まれているとも云える(かなり)醜悪な性質を知らずに済ますことが出来ることから、読まないでいた方が幸せであったと思うことは出来ません。しかしながら、そこから現在の我が国社会の状況を眺めてみますと、歴史に少しだけ似せた、紛いもの・偽史の類を背景とする各種コンテンツが氾濫し、また、それらが、多くの国民からの支持を得ていることにより、何と云いますか、実際の歴史もそれらの中で相対化されてしまい、そして、歴史が本来持っていた固有の力が減衰あるいはまた喪失してしまうのではないかと思われるのです・・。しかし、そのように考えてみますと、おそらく我が国では、敗戦以降から現在に至るまで、消費されるコンテンツと、実際の歴史を背景とする文化事物との「相違」を、敢えて明らかにせず、さらには周知されないようにしてきたのではないかとも思われます・・。

このことは、以前投稿の引用記事に述べられていた密教と顕教との関係性を思い出させますが、あるいはそうした現象とは、我が国の近代以前の歴史においても、幾たびかあったのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年8月14日日曜日

20220813 意欲の減衰に伴い、あまり労せずに記事作成が出来るようになったでしょうか?

ここ2日間ほど、ブログの新規投稿を行いませんでした。また同時に、さきほど気が付きましたが、これまでの総投稿記事数が、直近までで1826となっていました。これにより、先日1800記事から始めて、現在目標としている1900記事までの路程の4分の1を過ぎたことになりましたが、これまでと同様、そうした実感は全くなく「では、次は1830かな・・」と、次の手近な目標を設定し、それをボンヤリと記憶しておくといった程度です。

そしてまた、しばらく記事作成を続けて行きますと、あるいは年内に、当面の目標としている1900記事まで到達することも可能ではないかとも思われます・・。しかし、それが今後どうにか達成出来たとしましても、1900記事で、これまで継続したブログ記事の作成を止めるというのは端的に、キリが良くないように思われることから、おそらく2000記事までは継続しなければいけないことになると思われます。

現時点では、2000記事への到達は全く実感が湧きませんが、しかし、2000記事まで継続することが出来れば、その後、未練なく記事作成を止めることが出来るのではないかとも思われます。ともあれ、如上のように、既に現在においても、あまり記事作成に対しては積極的でなくそれは「作成しておかないと気分が悪いな・・」という程度の能動性であり、これまでに何度か述べる機会がありましたが、1000記事到達以前(2018年5月以前)の頃と比較しますと、明らかに減衰していると云えます。あるいは、このまま継続していますと、また新たに内面での構えが変化して、再び意欲が湧いてくるのかもしれませんが、それはあまり期待はせずに、むしろ、これまで(どうにか)続けることが出来たことの方に意識を向けて行きたいと思います。また、そのように考えてみますと、当ブログは、これまでの私が継続的に行ってきた行為の中で、かなり長期間続いている部類に入るものと云えます。あるいは、いつの間にか、その継続の中で、当ブログこそが「まったく大したものではない」のカッコつきではありますが、私を代表するものになっていたのかもしれません・・。

しかし、そうしますと、たとえ2000記事を超えても、また当ブログを継続することになるのかもしれません・・。そして、それらには何かしらの意味はあるのでしょうか?

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2022年8月11日木曜日

20220810 中央公論新社刊 高田里恵子著 「学歴・階級・軍隊―高学歴兵士たちの憂鬱な日常」 (中公新書) pp.28-29より抜粋

中央公論新社刊 高田里恵子著 「学歴・階級・軍隊―高学歴兵士たちの憂鬱な日常」 (中公新書)
pp.28-29より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121019555
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121019554

 社会学者の内藤朝雄は「いじめの社会理論」のなかで「中間集団全体主義」という考え方を提出している。要するに、学校や町内会などの中間的共同体が個人に参加や献身を強制するというかたちのファシズムなのだが、いまは、興味深いこの概念そのものではなく、内藤が概念を説明するさいに持ち出す物に注目したい。この例の二つともが、先ほどから問題にしているリベラルなインテリ層が戦争末期に下士官タイプの人間にいじめられるというものなのだ。

 まず一つは、「女たちの太平洋戦争」と題された「朝日新聞」(1991年12月2日付)の読者投稿欄に載った一文で、「父が英字新聞を読んでいたり、娘二人がミッション系の私立学校に通っていること」で憎しみの標的となり、産後まもない母が防火演習に狩りだされ、商店のおじさんや在郷軍人に追いまわされ、ついには死んでしまったことを嘆く文章である。「ニコニコ愛想いいお店のおじさんを見ても「いつ、あのころのように変わるか知れない」と、いまだに心を開くことが出来ません」。

 もう一つは、著名な精神医学者中井久夫(1934年生まれ)の「いじめの政治学」からのエピソードで、国民学校生の中井少年が大日本少年団のリーダーである上級生にいじめぬかれるという内容である。だが、その上級生も戦争が終わり大日本少年団も解散されると「別人のように卑屈な人間に生まれ変わった」と中井は報告している。



2022年8月10日水曜日

20220809 早口での、ある程度専門的な会話のさ中に思ったこと

先日、所用にて都内に出向いた際に無料のPCR検査を受け、その結果は陰性でしたが、その後また、電車やバスや徒歩で移動をしていますと何だか不安になってきます。夏季に入り、昨年と同様に、また感染者数が増大しましたが、その程度は、昨年と比べて大きいながらも、他方で、電車やバスなどの車内、あるいは街の雑踏も、既に感染以前とあまり変わらない様相を呈していると見えることから、やはり感染のリスクは、昨年と比べて高くなっているのではないかと思われます。

そして、それに加えて去る2月末からの東欧での戦争、そして昨今の東アジア情勢も、きな臭くなってきました。これがとりあえず無事に過ぎ去っていくことを願っていますが、しかし、もう少し長期での東アジアを考えてみますと、いずれにせよ、これまで蓄積してきた応力そして緊張は、どこかで解放を要するものと思われますが、それが流血を伴わずに、時間をかけて緩徐的に為されるか、あるいは戦争と云うカタチで一気に、そして暴力的に為されるかは分かりませんが、しかし、いずれにせよ、現在の世界情勢は、おそらく、戦後以来もっとも不穏な状況にあるのではないかと思われます。

しかしまた、こうした状況のなか(否応なく)同時代人として生きていることにより、これまで書籍や映画などを介して、ある程度の知見を得て理解したと思っていた歴史の流れや、その出来事などに対して、また新たな関心を持つ機会を与えられたようにも思われます。そして、そのおかげで、これまで縁遠かった分野のことについても知ることが出来ました。おそらく、そうした行為をしばらく続けていますと、また新たに、口語・口頭であれば、概要の説明程度は(どうにか)出来るようになるのではないかとも思われます・・。

とはいえ、そうしますと私の場合、その関心を持つに至ったきっかけはそれぞれ違いますが、その構造自体については、おそらく幼い頃からあまり変わっていないように思われます。そして、それがそれぞれの学校での教科と被るものであれば、特異的に良い成績を修めることもありましたが、そうしたことはあまり多くはありませんでした・・。

また、これは先日、文系の師匠との会話から不図思ったことですが、こちらの師匠はお目に掛かった当初から若干早口であり、また、あぶらが乗ってきますと、さらに早口になるのですが、ともあれ、そこで話されている内容は、ある程度専門的なことであると思われますが概ね理解出来ていました。さらに、その途中で「先生、その話されていた短編小説ですが、大変興味深く、おそらく今後どこか読ませて頂きますが、この作品の元ネタになった作品は、おそらく「****」の「***」であると思うのですが、これについてはどう思われますか?」といったことを質問をさせて頂いたりしました。また、その具体的な内容につきましては、また後日、あらためてブログ記事として作成したいと思いますが、ともあれ、さきのような、遅々としたものではあれ、内発的な興味によって始まった活動・行為によって内面化された知見や記憶とは、おそらく多くの場合、こうした当初から計画されたものでない、偶然のなりゆきでの会話のさ中においても、関連すると思しき知見や記憶が適宜、立ち上がってくるのではないかと思われるのです・・。

そして、こうした感覚は、おそらく母語ではない、他の言語を内発的な意志で(ある程度の期間)扱う経験を経ることによって得ることが出来るのではないかと思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

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2022年8月9日火曜日

20220808 いくつかの書籍からの引用(B-29以前の米軍爆撃機の原形の一つは駅馬車であるのかもしれない・・)

株式会社文藝春秋刊 大森洋平著「考証要集 2 蔵出し NHK時代考証資料」
pp.21‐22より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4167911981
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4167911980

ジョン・フォード監督永遠の名作、西部劇「駅馬車」の最大の見せ場は、勇猛果敢なインディアン(「先住民」じゃ感じが出ない!)と駅馬車の、追いつ、追われつの壮絶なアクションです。ところが西部開拓史研究の有名な学者がケチをつけた。「インディアンは駅馬車を襲う時、まず馬を撃つ、そして馬車が止まってから四方から群がってとどめを刺しに来るのに、この場面ではそれをしていない。時代考証が間違っている!」と。

 しかし、フォード監督少しも騒がず、「馬を撃ったら映画がそこで終わっちゃうじゃないか」と答えたそうです。この話、真偽・出典ははっきりしませんが、物語と時代考証の関係を実にうまく言い当てています。

 時代考証はあくまで、その物語が成立する基本、すなわちそこからはみ出たらアウトの、「時代の枠組み」を確定するツールに過ぎません。そして「枠」が一旦決まったら、あとはその中で思うままに登場人物を動かして面白い話を作ればよいのであって、決して史実を物語に優先させるための制御システムではないのです。



早川書房刊 ジョン・ト―ランド著「大日本帝国の興亡」〔新版〕2 :昇る太陽
pp.293‐295より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504350
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504359

有名な映画監督のジョン・フォード海軍中佐と撮影班員がフィルムを撮るなか、「機械製ロバ」と呼ばれる牽引車が双発爆撃機を発信位置に引っ張って行った。ドーリットルが乗った。一番機の滑走路の長さは、百四十二メートルしかなかった。各機のタンクは満タンにされたほか、予備燃料として五ガロン入りのガソリン罐を十個ずつ積み込んだ。

 ドーリットルはエンジンを全開にした。その音があまりにすごかったので、まわりにいたパイロットたちはエンジンが焼けてしまうのではないかと心配した。車輪止めがはずされた。ドーリットルの乗機は走り出した。左側の車輪が飛行甲板の左舷側に引かれた白い線の上を走った。B25は、甲板に吹きつける強風に向って、フラップをいっぱいに下げ、不格好に機体を左右に揺さぶりながら前進した。左の翼は空母の舷側の上に突き出ていた。

 他のパイロットたちは、この向かい風がドーリットル機の浮揚にはたして十分だろうかと心配しながら、緊張した表情で見つめていた。もしドーリットルが成功しなければ、彼らにできるはずはなかった。B25はスピードを上げた。見る者にとっては、ドーリットル機の加速はあまりにも遅く思えた。しかし航空母艦の艦首が荒波のために高く持ち上げられた瞬間、同機は甲板をあと数メートル残して空中に浮いた。午前七時二十分であった。

ドーリットル機が旋回して〈ホーネット〉の上を低空で飛び、一路東京へのコースをとると、期せずして歓声がわき起こった。あとの爆撃機も一機ずつ甲板を滑走し始め、見守る人たちが、手に汗にぎるなかを空中に浮かんだ。最後の一機がゆっくりとスタートラインに向かうまで、万事が順調に運んでいた。そのとき突然、甲板要員の水兵ロバー・W・ウォールが足をすべらせ、前の飛行機のプロペラがまき起こした風でタンブルウィード(秋になると根元から折れて風に吹き飛ばされるアメリカ産の雑草)のように吹っ飛ばされて、後続機の左のプロペラに巻き込まれてしまった。ウォールの左の腕はもぎとられたが、はじき飛ばされたため、それだけで済んだ。

 衝撃を感じとったパイロットは後ろを振り返り、ウォールが甲板に大の字にたたきつけられているのを見た。あわてた彼はフラップの操作レバーをニュートラルにしないで戻し、フラップを引っ込めてしまった。このため、飛行機はよろけながらも甲板を離れたものの、すぐに高度が下がって艦首のかげに見えなくなった。甲板員たちはてっきり海中に突っ込んだと思った。だが、安心したことに、飛行機は波の上をかすめてよたよたと上昇し、向きを変えて他機の後えお追った。時計は午前八時二十分をさしていた。



 

2022年8月7日日曜日

20220807 久しぶりの文系師匠との対話から思ったこと【無双感・脱抑制】

ここ数日間、新規の記事作成・投稿をしてきませんでしたが、文章自体はメールやその他で作成していました。また、昨日は久しぶりに文系の師匠にお目に掛かりました。メールや電話でなく、実際お目に掛かって話してみますと、その当初に「そうだった・・。師匠はこういう話し方であった。」とその様子を思い出すのですが、その「こういう話し方」とは、具体的にどのように表現出来るのかと考えてみますと、それは「話したコトバが、そのまま(ある程度硬質な)文章になってもおかしくないような話し方」であると云えます。

こうした話し方をされる方は、これまで、あまりお目に掛かったことはなく、10人に届かない程度であったと云えますが、その方々の多くは医歯学を含めた自然科学分野の研究者でした。そこから、この文系の師匠は、専門分野が人文系であるにも関わらず、その話し方がどうも理系に近いように思われるです・・。

そこで、その理由について考えてみますと、師匠は英語圏に割合長くおられたことから、そうした、いわば、和訳された英論文文章のような話し方になったのではないかと思われましたが、しかし、そうした口調で、昨今の国際情勢にも関連させつつ、第二次世界大戦・太平洋戦争の南太平洋戦線での、ある戦域の話をされるのを聞いていますと、以前にも当ブログにて何度か述べたことではありますが、自然に「無双感」というコトバが思い出されてきます・・。

その話されている内容は、おそらくは、以前に御自身が行った講義か何かとも被っており、必ずしも、はじめてではないとは思われるのですが、それでも、その話し振りは、色々と話題が飛びつつ、最後のオチ(結論)近くにて、ようやく、しかしセンス良く、本題に戻ってくるといった傾向があると思われますが、他方で、そこに至るまでの変化した話題もまた、それぞれ興味深いものが多く、また、私の方も以前と変わらずに、話の途中で質問をしてみたり、また自分なりに面白く、且つ、いくらか関連があると思われた歴史や文学の話題を振ってみたりするのですが、師匠は私からのこうした「無茶ブリ」にもまた、その他の興味深い、そして関連する歴史や文学のネタで応答してくださるのです・・。

そしてまた、この話されている際の師匠のスタンスには、さきに述べました「無双感」と共に、緊張を伴わない「脱抑制」があったと云えます。そして、この「脱抑制」につきましては、今後もさらに意識したいと考えています。また他方で、ここまで文章を作成してきて思い出したことは、こちらの文章は、ここ最近、私のブログ記事作成のスピードよりもかなり速いということです。おそらく、ここまで記事作成を行うのに要した時間は1時間にも満たず、あるいは、昨日師匠と話し、こうした口語と文語が未分化とも云える状況を(久しぶりに)経験しますと、何やら自然と「どれ、今日はこちらの師匠の話し振りを思い出し、参考として、新しく記事作成をしてみるか・・。」となったように感じられるのです。

ともあれ、今後もコンディションを調整しつつ、こうしたスタンスでにて記事作成を行いたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

そして、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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