2022年8月15日月曜日

20220814 読んでいて落込んでしまう著作を敢えて読む意味・・

ここ最近は天候も不順でしたが、やはり夏は夏であり暑いもので、私の方は少し夏バテ気味であるのかもしれません・・。また同時に、先月から購入した数冊の書籍も、思いのほかに頁が進まず、こちらも少し難儀していると云えます・・。

これら書籍は、以前から読み進めてきた小説の続きや新書であり、読み進めていて、それぞれ興味深いとは思うのですが、その記述されている時代は、共通して、太平洋戦争で我が国が敗勢を呈してきた頃であり「玉砕」や「自決」といった言葉が読み進める頁の所々に出てきます。これまでに何度が読んだ、自らの太平洋戦争での経験に基づいて書かれた大岡昇平による「俘虜記」では、相対的に多くの記述が、捕虜収容所での描写に充てられており、これもこれで現在の我が国社会にも通底すると思しき様相が散見されて、そこから、決して嬉しくはない、ある種の普遍性に辟易として、それなりに落ち込むのですが、現在読み進めている著作の一つでは、当時、戦地にて従軍していた米軍将兵の体験からの口語的な記述や、同じく日本軍将兵、民間人の方々の記憶に基づいた記述、そして南太平洋、欧州戦線といった主要な戦場を含めた第二次世界大戦全体の状況についての記述もあり、読んでいますと、あらためて、太平洋戦争における戦況の推移といったものが明確に理解できたように思われます。とはいえ、こうしたことは、おそらく現時点では、口頭・口語での説明が精一杯であり、それをさらに、自分の言葉・文章として記述出来るようになるためには、今しばらく読む期間を要するのではないかと思われます。

ともあれ、さきに述べた記述スタイルは、文学的な価値はともかくとして、当時の歴史的な経緯をより深く理解するためには、有効であると私は考えます。あるいは、それは「統合化」された歴史記述と云っても良いのかもしれません。また、こうした一連の複数の視座に基づいた歴史記述からは、その編集などの仕方により、著者自身の考えも、読んでいますと、ある程度理解出来るのではないかと思われますが、それが「よりこの歴史の流れについて詳述したい」あるいは「未だ明らかになっていない歴史の部分を明確にしたい」といった、著者自身の探求心に基づいている場合であれば、読者の多くは幾分容易に、その記述の流れに乗れるのではないかと思われるのです。そう、おそらく言葉そして文章も、本来は生き物であり、読んでみますと、半ば無意識にではあれ、その背後にある何かを感じ取っているのかもしれません・・。

そして、それを踏まえて現在読み進めている、いくつかの太平洋戦争について扱った書籍の背後にあるものは、おそらく、総じて重く、深刻であると感じられ、落込むのですが、かと云って、それらを読まずにいた方が、我が国社会の基層に埋め込まれているとも云える(かなり)醜悪な性質を知らずに済ますことが出来ることから、読まないでいた方が幸せであったと思うことは出来ません。しかしながら、そこから現在の我が国社会の状況を眺めてみますと、歴史に少しだけ似せた、紛いもの・偽史の類を背景とする各種コンテンツが氾濫し、また、それらが、多くの国民からの支持を得ていることにより、何と云いますか、実際の歴史もそれらの中で相対化されてしまい、そして、歴史が本来持っていた固有の力が減衰あるいはまた喪失してしまうのではないかと思われるのです・・。しかし、そのように考えてみますと、おそらく我が国では、敗戦以降から現在に至るまで、消費されるコンテンツと、実際の歴史を背景とする文化事物との「相違」を、敢えて明らかにせず、さらには周知されないようにしてきたのではないかとも思われます・・。

このことは、以前投稿の引用記事に述べられていた密教と顕教との関係性を思い出させますが、あるいはそうした現象とは、我が国の近代以前の歴史においても、幾たびかあったのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部


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ISBN978-4-263-46420-5

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