2023年2月16日木曜日

20230215 青潮社刊 加治木常樹著「薩南血涙史」pp.93‐97より抜粋

青潮社刊 加治木常樹著「薩南血涙史」pp.93‐97より抜粋
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 二月十五日

頃日天候俄に一変し十二日以来激甚の寒気を加え雪を降らすこと連日此日に至り地上の積雪幾んと六七寸より尺余に及べり古老之を伝えて五六十年来未曾有の大雪なりと云う天已に此の兆を示す前途亦寒心せざるを得ざるものの如し而して此日を以て出陣の初日とす午前六時を期し練兵場に集合し同八時を以て進発するの予定なりしかば四千有余の壮士各結束し払暁白雪を蹴り続々として練兵場に至り各隊標示の下に会し篝火を焚きて其期を俟つ、斯て八時を報ずるや各隊順次繰出し一糸乱れず整々として練兵場を発し東西に分れて征途に上る其状甚だ勇壮なりき。

一番大隊は西目街道より進み横井及び伊集院に休憩して市来湊町(八里)に至り二番大隊は東目街道より進み重富に休憩し加治木(五里)に至りて一泊す又別府晋介の統率せる加治木先鋒の一番二番の大隊は早天加治木を発し溝辺に休憩し横川(五里)に至りて一泊す。

二月十六日

此日雪前日より甚しく三番四番の大隊は予定の時刻を以て練兵場を発し三番大隊は西目街道より進み横井及び伊集院に休憩して市来湊町に至り、四番大隊は東目街道より進み重富に休憩して加治木に至り別府の二大隊は横川を発し湯の尾に休憩して大口(六里)に至り、又二番大隊は加治木を発し溝邊に休憩して横川に至り、一番大隊は市来湊町を発し向田に休憩し阿久根(十里)至りて各一泊す。

二月十七日

降雪猶ほ前日の如し五番大隊及び砲隊は予定の時刻を以て練兵場を発し、五番大隊は西目街道より進み横井及び伊集院に休憩して市来に至る篠原国幹、永山弥一郎、池上四郎之と共にす砲隊は東目街道より進み西郷隆盛、桐野利秋、村田新八、淵邊高照之を率い此日西郷隆盛は陸軍大将の略服を着し正帽を戴き刀を帯び草鞋を着け歩して田の浦に至る偶ま西郷の長男寅太郎一僕を従えて来り謁す西郷顧て曰く「来たか」と共に行くこと数丁西郷曰く「もう帰れ」と寅太郎猶ほ従い行こと数十歩僕之を止む寅太郎止むを得ず西郷に一礼して停立し其行を目送す、西郷亦屡途より之を顧み磯天神社の下に至る、西郷、淵邊高照に謂て曰く「旧君の門前に至らば諸兵宜しく一礼して過ぐべしと淵邊乃ち敷根市蔵をして之を伝へしむ、砲隊皆な礼して過ぐ西郷亦恭しく三拝して去る、重富に至りて休憩し加治木に一泊す、別府の二大隊は大口を発し久木野に休憩して佐敷(六里)に至り二番大隊は横川を発し湯の尾に休憩して大口に至り四番大隊は加治木を発し溝邊に休憩し横川に至りて一泊す又一番大隊は阿久根を発し野田に休憩して出水(四里半)に至り、三番大隊は市来湊町を発して向田に休憩し阿久根に至りて一泊す。

二月十八日

別府の二大隊は佐敷を発し田の浦に休憩して日奈久(五里)に至り二番大隊は大口を発し久木野に休憩して佐敷に至り、四番大隊は横川を発し湯の尾に休憩して大口に至り砲隊及び西郷等は加治木を発して溝邊に休憩し横川に至りて一泊す、又一番大隊は出水を発し(休憩所不詳)水俣(四里半)に至り、三番大隊は阿久根を発し野田に休憩して出水に至り、五番大隊は市来を発して向田に休憩し阿久根に至りて一泊す。

二月十九日

別府の二大隊は日奈久を発し八代に休憩して小川(六里)に至り、二番大隊は佐敷を発し田の浦に休憩して日奈久に至り、四番大隊は大口を発して(休憩所不詳)水俣に至り砲隊及び西郷等は横川を発して栗野に休憩し吉田(五里)に至りて一泊す、又一番大隊は水俣を発し湯の浦に休憩して佐敷(四里半)に至り、三番大隊は出水を発して(休憩所不詳)水俣に至り、五番大隊は阿久根を発して野田に休憩し出水に至りて一泊す。

二月二十日

別府の二大隊は小川を発し宇土に休憩し川尻(五里)に達せり、二番大隊は日奈久を発し八代に休憩して小川に至り、四番大隊は水俣を発し湯の浦及び佐敷に休憩して田の浦に至り、西郷及び砲隊は吉田を発し人吉(七里)に至りて一泊す、又一番大隊は佐敷を発し田の浦に休憩して日奈久に至り、三番大隊は水俣を発し(休憩所不詳)佐敷に至る、五番大隊は午前八時出水を発して米の津に至り同九時三十分一隊二十艙の船に分乗し午後四時佐敷に着せしが、三番四番の大隊既に着陣し宿陣すべきの家屋なかりしかば海岸白岩村に至りて宿陣せり、此時熊本城下及び川尻駅焼失の風説あり是に於て三番大隊は午後七時更に佐敷を発し夜を冒して進軍し田の浦に至りて露営せり而して此夜鎮台兵城下を放火し戦備に汲々たるの情報至り続て別府晋介小川に来り川尻衝突の事を以て二番大隊と軍議を為せり。