2017年11月7日火曜日

20171107 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 『サピエンス全史』上巻pp.35-38より抜粋引用

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 『サピエンス全史』上巻pp.35-38より抜粋引用
ISBN-10: 430922671X
ISBN-13: 978-4309226712
『ほとんどの研究者は、これらの前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起った革命の産物だと考えている。
ネアンデルタール人を絶滅させ、オーストラリア大陸に移り住み、シュターデルのライオン人間を彫った人々は、私たちと同じくらい高い知能を持ち、創造的で、繊細だったと、研究者たちは言い切る。
仮にシュターデル洞窟の芸術家たちに出会ったとしたら、私たちは彼らの言語を習得することができ、彼らも私たちの言語を習得することができるだろう。
不思議の国でのアリスの冒険から、量子物理学のパラドックスまで、私たちは知っていることのいっさいを彼らに説明でき、彼らは自分たちの世界観を私たちに教えられるはずだ。
このように七万年前から三万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを、「認知革命」という。
その原因は何だったのか?それは定かではない。最も広く信じられている説によれば、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり、まったく新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったのだという。
その変異のことを「知恵の木の突然変異」と呼んでもいいかもしれない[訳註 知恵の木は[創世記]に出てくるエデンの園に生えていた木で、アダムとイヴはその実を食べて[目が開け]た]。
なぜその変異がネアンデルタール人ではなくサピエンスのDNAに起ったのか?私たちの知るかぎりでは、それはまったくの偶然だった。だが、より重要なのは、「知恵の木の突然変異」の原因よりも結果を理解することだ。
サピエンスの新しい言語のどこがそれほど特別だったので、私たちは世界を征服できたのだろう。
それはこの世で初の言語ではなかった。どんな動物も、何かしらの言語を持っている。
ミツバチやアリのような昆虫でさえ、複雑なやり方で意思を疎通させる方法を知っており、食物のありかを互いに伝え合う。また、それはこの世で初の口頭言語でもなかった。
類人猿やサルの全種を含め、多くの動物が口頭言語を持っている。たとえば、サバンナモンキーはさまざまな鳴き声を使って意思を疎通させる。動物学者が、ある鳴き声が、「気をつけろ!ワシだ!」という意味であることを突き止めた。それとはわずかに違う鳴き声は、「気を付けろ!ライオンだ!」という警告になる。研究者たちが最初の鳴き声の録音を一群のサルに聞かせたところ、サルたちはしていることをやめて、恐ろしげに上を向いた。同じ集団が二番目の鳴き声(ライオンだという警告)の録音を耳にすると、彼らはたちまち木によじ登った。
サピエンスはサバンナモンキーよりもずっと多くの異なる音声を発せられるが、クジラやゾウもそれに引けを取らないほど見事な能力を持っている。
オウムは、電話の鳴る音や、ドアがバタンと閉まる音、けたたましく鳴るサイレンの音も真似できるし、アルベルト・アインシュタインが口にできることはすべて言える。
アインシュタインがオウムに優っていたとしたら、それは口頭言語での表現ではなかった、それでは、私たちの言語のいったいどこがそれほど特別なのか?
最もありふれた答えは、私たちの言語は驚くほど柔軟である、というものだ。
私たちは限られた数の音声や記号をつなげて、それぞれ異なる意味を持った文をいくらでも生み出せる。そのおかげで私たちは、周囲の世界について膨大な量の情報を収集し、保存し、伝えることが出来る。サバンナモンキーは仲間たちに、「気をつけろ!ライオンだ!」と叫ぶことはできる。
だが、原生人類は友人たちに、今朝、川が曲がっている所の近くでライオンがバイソンの群れの跡をたどっているのを見た、と言うことができる。それから、そのあたりまで続くさまざまな道筋も含めて、その場所をもっと正確に説明できる。すると、集団の仲間たちはこの情報をもとに、川に近づいてそのライオンを追い払い、バイソンの群れを狩るべきかどうか、額を集めて相談できる。
これとは別の説もある、私たちの独特の言語は、周りの世界についての情報を共有する手段として発達したという点では、この説も同じだ。とはいえ、伝えるべき情報のうちで最も重要なのは、ライオンやバイソンについてではなく人間についてのものであり、私たちの言語は、噂話のために発達したのだそうだ。この説によれば、ホモ・サピエンスは本来、社会的な動物であるという。私たちにとって社会的な協力は、生存と繁殖のカギを握っている。個々の人間がライオンやバイソンの居場所を知っているだけでは十分ではない。自分の集団の中で、誰が誰を憎んでいるか、誰が誰と寝ているか、誰が正直か、誰がずるをするかを知るほうが、はるかに重要なのだ。』