2022年5月31日火曜日

20220530 昨日からの続き「変化を生じさせる(抽象的な)もの」について

昨日投稿のブログ記事では、人文社会科学と自然科学分野との間にある、抽象的なもの、あるいは、抽象化されたものに対しての価値や意味合いの違いについて、少し触れて終わり、そして、この記事もまた、投稿翌日としては、比較的多くの方々に読んで頂けたことから、本日はそのさらに先を述べようと思います

それまで、概ね首都圏で育った私が、はじめに北海道に赴任して2年経ち、そこから陽光眩い南紀に転勤となり、そこで横溢な自然と、さまざまな文化事物の中で生活していますと、当初は首都圏に帰ることを願っていた自分に変化が生じてきたのですが、その原因となったものは当地域に昔からある神社であったり、草生して玄門が開口し、玄室までが見える横穴式石室構造の古墳などでの存在あったと思われます。これを換言しますと、それまでの人生では、生活の中で、1000年以上前に造営された玄室内部まで見える墳墓や、南方的とも云える鬱蒼とした社叢に抱かれた、古くからの神社があるという環境ではなかったことから、それらがごく自然に存在することに興味と云いますか、何か引掛り(フック)のようなものを感じたのだと云えます。

他方で、当時も夜勤明けや休日には、いくらか書籍を読んでいましたので、さきの「引掛り」の意味を解くためにであったのか、当時普及しつつあったアマゾンにて、関連すると思しき書籍を購入して読んでいますと、その中に、歌舞伎の演目「娘道成寺」として知られている「安珍清姫伝説」は、当地域が舞台となっていること、そしてまた、同伝説は平安時代に書かれた「今昔物語集」や「大日本国法華験記」にも記載があることを知り、そこから、また関連する著作を入手して読んでいましたが、しかし、そうした方向にいくに際しては、私のみならず、おそらく誰であっても、地域に古墳や古社が立地するという環境があれば良いというわけではなく、それらの存在と、それらについての記載がある著作を選択して読む行為との間には、まさに「抽象的な何か」があり、またそれは、当然ながら私が反応したものではあるのですが、しかしまた同時に、それが何に因って惹起されたのかと考えてみますと、おそらくそれは、当初より私の内部にあったものではなかったと思われるのです・・。つまり、その地域の環境にある「何か」に反応し、そうした行動に至ったと云えるのですが、この「何か」とは、当地域の自然環境に含まれる何らかの物質であるのか、あるいは、そうした微細ではあれ物理的な存在ではなく、当地域のさまざまな事物を日常生活の中で眺めている中で精神に作用を及ぼしたものか、判然としませんが、ともあれ、この地域環境と読書との間にある「何か」も、おそらくは人によって、その効果が異なるのではないかと思われます。また、こうした異郷に住むことにより生じる精神の変化とは、一連のブログ記事にも何度かとり上げているジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)による「闇の奥」(「Heart of Darkness」)との関連性をも想起せられるのですが、南紀在住当時は、この著作を知ることはありませんでした。この著作を知ったのは、次の和歌山市在住時でした。現在となっては、かつてほどではありませんが、当時は、この著作そして同著者による作品全般を好み読んでいて、その名残で、当ブログにも、いくつかの引用記事と、その作品をオマージュして作成した記事があります。

また、当作品との出会いについて述べたブログ記事もありますが、ともあれ、ここで述べたことも抽象的であり、また、内容的にはどちらかと云うと人文系寄りであると思われますが、次の作成の機会には、歯系院生であった頃の記憶から、こうした流れについて述べた記事を作成してみようと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年5月30日月曜日

20220529 「抽出」「抽象」など「抜き出すこと」を意味するコトバについて

おかげさまで、昨日の投稿記事も投稿翌日としては、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、そうした経緯から、今回の記事投稿においても、以前から扱ってきました「抽象化の仕方」について、もう少し私見を述べさせて頂きます。

「抽象化」と云っても、その言葉が示す具体的なイメージが湧きにくいかもしれませんが、歯系院生になりたての私が、まさにそのような感じであったことが思い出されます。そうした中で「試料からデータを抽出する」との表現を聞き、その意味がよく分からずに、先輩の院生に尋ねてみたところ「抽出は抽出だよ。」と云われ、さらに理解しようと意味を調べてみたところ「ある物質に含まれている特定の成分を抜き出すこと」となっており、そこで、さきの「試料からデータを抽出する」では、試料に対して実験を行い、そこから各種データを抜き出すといった意味と理解されるのですが、それはまた、特定の成分といった物理的な存在があるものと、そうでなはく、数値化された実験結果といった、物理的な存在はない「抽象的」なものに対しても適用することが出来ます。

そうしますと、この「抽」の意味は「抜き出すこと」の意味となり、その後に続く「象」と「出」は、それぞれ、カタチやありさま、そして後者は「あらわれる」といった意味となり、はじめの「抽象」では、おそらく、その視覚的なありさまをより強調し、そして「抽出」では、同じような語義の漢字を連ねていることから、物理的な存在の有無にかかわらず「抜き出すこと」全般の意味として用いられると考えられます。

そしてまた「抽象」にハナシを戻しますと、一般的に、この「抽象」や「抽象的」といったコトバは、視覚的な存在がなく、その実体がよく分からない存在に対して適用され、また、おそらく、我が国の社会においては、肯定的な意味で用いられることは少ないのではないかと思われます。

これは、何らかの実体が存在しているにもかかわらず、それに対しての説明・解説が不明瞭であると感じられる場合においては、適切な評価であると思われます。しかしながら、ここ数回の当ブログ記事にて述べた「抽象化」では、もとより、その物理的な存在がなく、あるいは強いて云うならば「それが述べられている文字列(文章)」と、表現されると思われますが、ともあれ、そうした実体の存在がない、あるいは希薄なものに、どのような機能、はたらきがあるのかと考えてみますと、そこで、その社会における「抽象化されたもの」の価値や意味あいといったものが理解出来るのではないかと思われるのです。

そして、それは抽象化されたもの、端的には、詩や論文なども含めたさまざまな文章表現を、内発的に、いくらか読み続けることによって徐々に、そして、その人なりに価値や意味あいといったものを理解していくのではないかと思われるのです。

また、その際に、人文社会科学、自然科学といった研究分野の相違により、理解の仕方にも違いが生じるのではないかと私には思われるのですが、これにつきましては、後日、またあらためて記事を作成したいと思います。

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2022年5月29日日曜日

20220528 昨日の投稿記事での「抽象化の仕方」についての続き

おかげさまで、一昨日の投稿記事は思いのほかに閲覧者数が伸びました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。とはいえ、そこで主題とした「抽象化の仕方」については、その前の投稿記事主題から続くものであり、そしてまた、一昨日の投稿記事にて終わるものでもないと云えます。

これまで、(どうにか)当ブログを続けていますが、見方によれば、これら全ての投稿ブログ記事は、さきに述べました「抽象化の仕方」により、全てが繋がっているとも云えます。また同時に、何かを契機として、それまでは繋がりを見出すことができなかった、いくつかのブログ記事の間にある関係性(「抽象化の仕方」)を突如として見出すこともあり、こうした発見と云っても良い出来事は、自らが作成し、あるいは引用記事として手入力した文章がブログ記事として、実体のあるものではなくWeb上にではあれ、その文章を比較的容易に見出すことが出来るといった環境があることにより成立し得るものと云え、おそらく、この仕掛けがなければ、私のツイッターでの動向は、かなり穏やかなものになっていたものと思われます・・(苦笑)。

そして、未だ自在に扱えるようには至っていませんが、ツイッターを始めた2020年春から現在までの2年数カ月で、かねてより継続していたブロガーと、ツイッターでの投稿を連携させる自分なりの手法・手順を模索しているのだと云えます。

しかし、この連携の手法・手順の背後にあるのもまた、冒頭にて述べました、ある種の「抽象化の仕方」であると云えます。そして、こうしたものは、さきの投稿記事にて述べましたが、とにかく「続ける」ことによって、何となく見出していくといった性質があるように思われます。

そして、そこからさらに、この「抽象化の仕方」を用いて連携投稿を続けていくと、その対象となる、これまでの全ての投稿記事内にある、興味深いと思われる記述が、より感覚的なものとして知覚されるようになり、それにより、たとえばツイッター上で見つけた情報と、一連の当ブログ記事との間に、何らかの関連性(これも「抽象化の仕方」)を、以前よりも更に容易に想起することが可能になったのではないかと思われるのです。

そうしますと、ブロガーとツイッターとの連携により、それまでの私では理解し得なかった感覚を得るようになったとも云えるのかもしれませんが、しかし、どうしたわけか、そのような自覚や実感は皆無であり、あるいは、こうしたものは感覚的に理解することは困難であり、ある程度継続していますと、何らかの契機にて不図、あまり感興を伴わずに理解出来るとった性質があるのではないかと、ここ最近は考えていますが、さて、こうしたものに、何らかの普遍性といったものはあるのでしょうか・・?

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2022年5月27日金曜日

20220526 当ブログ内記述に対する「抽象化の仕方」から思ったこと

先日来より読み進めている、我が国の古代史について扱った著作は、その後も頁は進み、ようやく畿内にて散発的に横穴式石室が造営される時代にまで至り、そして、そこから若干前後して、群集墳の造営が国内各地にて多く見られるようになるといった流れになると云えます。このように一般的に、この時代区分のことを「古墳時代」と云いますが、その時代の中においては、さきの記述(横穴式石室・群集墳云々)から反映・類推されるような社会における大きな変化があったと云え、それらの具体的な様相については、現在読み進めている当著作により、また認識が新たになると思われます。しかし、私の場合だけであるのか、こうした古代史の著作を読み進めていますと、当ブログにて多い、独白形式の文章の作成が少し困難になるように感じられます。あるいは、小説のような文体の著作を読んでいるのであれば、また多少は違うのではないかと思われますが、ともあれ、読書の際は一時的にではあれ、意識が、その記述内容にいくらか過剰に集中されると云えますが、読書後も、しばらくの時間は、この意識の集中からは完全には解放されず、そのために、ある種の文体を持った書籍の読書後では、意識の能動的な活動と云える、文章作成においては、抑制的な効果を齎すことがあるのではないかと思われます。

とはいえ他方で、先日の投稿記事にて述べましたように、硬質な文体の記述を、ブログ記事として手入力する作業にも、それなりの意味はあると考えていることから、こうしたことは、その時の事情も、いくらかは考慮しつつも、あまり深刻には考えずに、ともかく「続ける」ことにより、そうした折々で感じられる出来事も意識され、そして文章化することも可能になってくるのではないかと思われるのです。そして、そうした活動を続けていますと、そのうちに自身作成の記事、書籍からの引用記事にある、何と云いますか、ある種「抽象化の方向性」のようなものが感覚的に理解出来るようになってくると思われるのです。

そしてまた、それら感覚的なものとして理解、知覚された「記述内の抽象化の方向性」は、さらに、いくらかの時間の経過に伴い、ある種の旋律・メロディーのように知覚されて、そうして、あくまでも自分の感覚に基づくものではありますが、機に応じて想起されるようになるのではないかと思われるのです。

くわえて、この機に応じた、いわば関連ブログ記事の想起には、その時の体調も密接に関与しているようであり、具体的には、睡眠時間が少なからぬ比重を占めているものと思われます。

しかしながら、同時に、これまで(どうにか)ブログ記事を続けてきましたが、そこから、私にとってのブログ記事の作成に適していると感じられる時間が深夜であることが概ね分かってきましたが、ここで、さきの睡眠時間と、機に応じた既投稿記事の想起との関係性が問題視されると云えるのですが、この問題は、おそらく改善から定着に至るまで、ある程度の期間を要すると思われるため、とりあえず、ここでは棚上げしておき、1800記事への到達後に、またあらためて考えてみようと思います。

くわえて、昨日の投稿記事にて述べた、書籍からの引用記事のみで1000記事に至った場合、内面にどのような変化が生じるかということは、やはりなかなか興味深いものであるように思われましたが、同時に、現時点にて具体的な書籍からの引用記事数が、どの程度あるのか把握していないため、後日、1800記事に到達出来ましたら、その実際の数を調べてみたいと思います。

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2022年5月26日木曜日

20220525 書籍からの引用記事のみで、1000記事程度作成すると・・

おかげさまで、今回の記事投稿により、総投稿記事が1785に到達し、そして残り15記事新たに作成、投稿することにより、現在、当面の目標としている1800記事まで到達します。また、これを当ブログ開始から丸七年となる、来る6月22日までに達成するためには、概ね2日に1記事以上の更新を期間内継続する必要がありますが、未だ少し余裕があると云える現時点より、記事の作成、更新を出来るだけ毎日続け、期日近くには、現在よりも更に少し余裕がある状態にしたいと考えています。

また、上記の事情から、未だ「絵に描いた餅」ではありますが、今後、期日までに(どうにか)1800記事まで到達出来ましたら、ブログそしてツイッターからも、しばらく離れてみようと考えています。そして、これまでの期間に読み進めることが出来なかったいくつかの書籍の先を読んでみたいと考えています。ちなみに、現在読み進めている我が国の古代史について扱った書籍は、全体的に文体が硬質であるのか、読み進めるのが少し大変であるといった感じを受けるのですが、しかし同時に、こうした、多少苦労をしつつ読み進めている時の方が、文章の内容については、いくらか深いところにまで達しているのではないかとも思われます。

そして、そのように思うに至った原因は、これまでの当ブログにあります。と云いますのは、当ブログでは書籍からの引用記事を比較的多く投稿してきましたが、それら引用元の書籍は、比較的多岐の分野にわたっていると思われますが、書かれた時代が昔と云えるほど以前の著作になりますと、その文章は全体的に固く、厳めしくなるのですが、しかし、面白いことに、以前、苦労しつつ手入力した、それら文章の内容が、何かしら機に応じてか、想起されるようになってきたのです。おそらく、以前にも、そうした外部からの刺激を契機として、以前に読んだ書籍の記述を想起することは度々ありましたが、しかし、当ブログにて引用記事とした記述を想起する時は、それまでの感覚とは少し異なり、何と云いますか、その「イメージ」がより明るいのです。

ともあれ、この「明るい」という表現が適切であるかは分かりませんが、しかし、こうした云わばPCを介在させた記憶のようなものは、これまでの職務、業務においても、普通にあったことが思い出されましたが、しかしながら、それが、自分の内発的な意志のみにより、ある程度の期間継続したものとして、当ブログは、私にとって少なくとも画期的なものになったと云え、そしてまた、今後の未だ分からない展開において、それなりの意味は持つようになるのではないかとも思われるのです・・。

そしてまた、今しばらく書籍からの引用記事の作成を続け、たとえば、引用記事のみで1000記事程度にまで至りますと、また何らかの変化が生じるのではないかとも思われるのです。くわえて、それにより「記憶のイメージがより明るくなった」ことは、そこまで悪いことではないと私には思われますので、この先も、興味を持ちつつ注視し続けたいと考えています。

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2022年5月25日水曜日

20220524 株式会社日本評論社刊 中井久夫著「日本の医者」 pp.44-45より抜粋

株式会社日本評論社刊 中井久夫著「日本の医者」
pp.44-45より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4535804249
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4535804241

医学の近代化が、市民革命と時をおなじうして、いや、ときには、まさに革命のまっただなかでおこることは、きわめて注目にあたいする。疾患の正確な現象的記載から、疾患の実態的把握へとすすんだ近代臨床医学の父シドナムは、講壇からうとんぜられた市井の医者だったばかりでなく、イギリス市民革命に兵士として参加した革命の子であった。医学を理論と実践との結合においてはじめて研究・教授した最初の大学たるオランダのライデン大学は、スペインからの独立戦争がそのまま市民革命であったオランダで、その直後に、理想にもえて建設された。そうしてフランス大革命は、それまで中世的・講壇的医学にとじこもり、ヨーロッパでもっともおくれているといわれ、心あるものは医師にならないとまでいわれた王政時代のフランス医学を、一躍、世界最高の、緻密で体系的なものにする。大学での臨床講義からはじまり、それは、実にいみじくも、「ポリクリニーク」(市民の診療所)と名づけられた。大革命とそれにつづく十数年前、フランス医学は真に世界をリードし、近代的な診断学の基礎をうちたて、また統計学を医学に導入する。

 一言にしていえば、封建領主や宮廷貴族は、庶民とはちがった特別の治療・神秘的な、もったいぶった治療をのぞんだと考えられるのに反し、実利的なブルジョアジーは、みせかけやごまかしを拒否し、端的に病気をなおしてくれることを医学に要求したのだ。

 市民革命が流産したり、抑圧されてしまった国でも、特権的な国家機構としての大学が、世界のあたらしいうごきをくみとり、移植し、発展させることは可能である。医学のような限定された領域での近代化は、いったんその実力が証明されたならば、絶対主義的な権力もまた、それをみずからの装備のひとつにくわえることを歓迎する。オランダのライデン大学に呼応してドイツのゲッチンゲン大学が医学の近代的な研究と教授を開始する。ナポレオン戦争後の反動的な神聖同盟時代に、同盟の根城オーストリア帝国のウィーン大学は、フランス医学の成果をひきついで発展させていった。そうして、これらのドイツやオーストリアで、医学は、科学的な病理学や細菌学の上に立つようになる。一見奇妙なことだが、より成熟した市民社会のイギリスやフランスでは、医学は、過度の臨床実践への密着ゆえにか、この時期には、ドイツ医学にくらべて、はっきり一段階たちおくれを示してしまう。たとえば、フランス医学のカリキュラムは1820年ごろから1960年ごろのドゴール政権による改革まで、ほとんど不変であった。一言にしていえば、超臨床的ともいうべきもので、医学部入学時から病院に出て実習し、学科は午後に選択してとるので、解剖学を知らないで内科を学ぶことすらあるのだ。細菌学の父パストゥールが医者ではなかった事実は象徴的である。

 アメリカ医学は最初から近代医学として出発したが、それが植民地風の医学から脱却して独自の巨大な発展をはじめたのは、じつに20世紀になってからであり、基礎医学をドイツから、臨床医学をイギリス、フランスから輸入してその発展ははじまったのだ。これはわが国医学の近代化と前後しての現象であり、形式もまた似ていなくはない。

2022年5月23日月曜日

20220523 ブログ記事作成時の「圧」への対応から思ったこと【1000記事への到達時と比較して】

今回新規の記事投稿により、総投稿記事が1783に到達します。これは特にキリの良い数値ではありませんが、これにより目標としている1800記事まで、残りあと17記事となり、また、それを、来る6月22日までの日数とで勘案してみますと、特に無理することなく、達成可能であるように思われてきます。

また、ここ最近は、目標への到達が、ある程度見通せるようになってきた反動であるのか、一記事作成する際に感じる「圧」のようなものが強くなっているように感じられ、とりわけ、書籍からの引用記事でなく、当記事のような自身のオリジナル記事の作成時には、何となく肩が重くなってくるといった感じがあります。しかし、そうであっても目標への到達の為には、新たな記事を作成・投稿し続けなければなりません。

そこから、当記事においては、まさに、そうした事情を題材としようと思い立ち、先ほどから記事作成を開始したわけですが、思いのほかに、ここまでは比較的スムーズに作成出来ているようにも感じられます。

さて、以前にも述べたことがありますが、ブログ記事の作成においては、その出だしが重要であり、そこでの文章の展開が、ある程度スムーズに進めば、その記事作成は、少なくとも失敗ではなかったと云えると考えています。

その意味において、当記事もこの程度まで書き進めることが出来たのであれば、とりあえずは及第であると云え、また折角であるのだから、この先の文章に関しては、さきに述べました新たな記事作成を困難にする「圧」のようなものを、どのようすれば、軽減あるいは除去出来るのかと検討していこうと思います。

しかし、こうした公表を前提とする文章を作成する際に感じる「圧」のようなものは、これまでブログ記事の作成を続ける中で度々、感じて来たことではありますが、以前の私はそうした「圧」をあまり感じることなく目標到達が出来る様、敢えて目標を、もう少しだけ先に設定していたようです。

去る2018年の5月今時分に1000記事に到達していましたが、そこでは目標を、ブログ開始丸3年となる同年6月22日迄の継続に置き、1000記事への到達については、そこまでの感興はないといったことを述べていましたが、現在になり、その到達時の態度を眺めてみますと「よく器用にそうしたモチベーションを保持出来ていたものだ」と少し驚かされます・・。

現在の私は、そこまでの気概のようなものは乏しいと云え、しかしまた、そうしたものは、いずれ自然に内面から湧いてくるものとも思いつつ、どうにか続けている次第と云えますが、そうしたことを述べていますと、いつのまにか文量は、ある程度にまで至っておりました・・。いずれにせよ、作成を始めてしばらく経ってきますと、次第に文章作成に集中してくるようであり、そこから、やはり「とにかく始めてみること」が重要であると、思い知らされるのですが、今回に関しても、冒頭にて述べた記事作成時の際の「圧」から始まり、この程度まで文章を連ねることが出来たことは、少なくとも、そこまで疲れて、意気消沈していないとは云えることから、今後も、来る6月22日のブログ開始丸7年迄は、たとえ1800記事を少し超えることになろうとも、記事作成を続けたいと考えています。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年5月21日土曜日

20220521 岩波書店刊 近藤義郎著 「前方後円墳の時代」pp.150‐153より抜粋

岩波書店刊 近藤義郎著 「前方後円墳の時代」
pp.150‐153より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003812824
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003812822

この奈良盆地の諸集落のすべてが、かつての盆地内の二、三の前期初頭集落からの分岐集団であったか、あるいはその一部は周辺地域からの移住によるものであったかは、必ずしも明らかでないが、中・後期の土器は共通の大和としての地域色をそなえているといわれるので、集団移住が中南河内など盆地外からもおこなわれたとしても、親縁な部族的結合にあった氏族からのそれであろう。すなわち盆地内諸集団のほとんどは、かつての少数の集団が示す氏族から分岐したものか、あるいは部族的結合にあった中南河内の諸集団などの分岐・移住がそれに加わったかのいずれかであろう。その分岐の過程で部族もまた分岐し、それぞれのうちにいくつかの氏族を包括していったと考えられる。これをさらに広く畿内全般について推していくと、摂津・北河内・山城を含む北部畿内と、中南河内・和泉・大和から成る南部畿内との関係、その共通性と相違性は、この地方における弥生社会誕生の時点において存在あるいは形成されていた、南北二者の部族あるいは部族群が、その後の農業生産の発達➡人口増大➡集団分岐をへて形成されていったものであり、全体として畿内的共通性をもつとともに、北と南の違い、さらに各々における小地域の特色を現象させたということになる。

 銅鐸に示される共同体祭祀の範囲については、その機能とともになお不明な点が多いが、その実際の保有主体は部族内の特定氏族にあったとしても、その祭祀はこのようにして形成された部族を単位としておこなわれたものと思われる。田中琢は、銅鐸祭祀集団の範囲を大和・河内・和泉において指摘し、その集団範囲の不均等性を農業生産力の差に基づく集団差に帰している。この指摘を参考にして紀伊中部の銅鐸出土を検討してみると、山または海に画され、小河川が貫流する狭小な平野を単位に、二ないし四の銅鐸出土が知られている。これらの狭小な地域は、のちに前方後円墳が築造されなかったほどの地域であることが多いが、それらの地域における銅鐸出土地点の分散傾向は、各地域が一個の氏族というより、いくつかの氏族から成っていたことを想定させる。同じことは、徳島県における銅鐸分布状況からも想像できる。しかしすべての氏族がこれを保有していたわけでないらしいことは、畿内の銅鐸発見状況から推定できるのであって、部族内の特定氏族による保有ないし保管の下にあったと考えてよいであろう。

20220520 当ブログを始めた一つの契機について思い出したこと

以前にも何度か当ブログにて述べたことではありますが、ある程度の期間、(どうにか)ブログ記事の作成を継続していますと、不思議なことに、時折、世の中で生じている出来事と、私の作成したブログ記事との内容が、何かしら関連しているように感じられることがあります。

また、このことを文章とする際に想起されたのが、2012年の公開作品「桐島、部活やめるってよ」のラストシーン近く、スポーツ万能でイケメンの同級生から「何で映画を撮るの?」と聞かれ、オタクキャラで映画部員の高校生が「時々、自分たちが作っている映画と、好きな映画とが、どこかでつながっていると感じることがあるんだ。」と返事をするシーンであり、果たして、このシーンと、冒頭の私の経験との間に、ある程度、普遍的に通じるものがあるのかと考えてみますと、その科学的な証明は困難であると思われるものの、他方で、感覚的には「全くないとは云い切れない。」といった感じをも受けます・・。

そして、この映画作品「桐島、部活やめるってよ」が思い出されますと、それに次いで、DVD化された当作品を観た頃の記憶が想起されてきますが、それは鹿児島在住の最後の時期であり、また、精神的に滅入っていた時期でもあります・・。しかし、そうした時期であっても、週末の天文館から宇宿までの散歩は行い、また、しばしば映画作品をDVDでレンタルして視聴していました。それでも、あの時期に、そうした「気晴らし」のようなものがなければ、おそらく更に大変であったのではないかとも思われます・・。

ともあれ、この「桐島、部活やめるってよ」は、滅入っていた当時の私に何故だか響いたようで、これを観て以来、また徐々に色々と動くようになり、そして、どうにか学位審査にまで辿り着く出来ました・・。いや、しかし、この滅入っていた時期のことを思い出しますと、それ以外にも思い出される出来事がいくつかあり、具体的なそれらは、2012年の秋から2013年の春くらいまでの期間でのことであり、また、そのうちの一つは、当時の自分としては、それなりに衝撃的な出来事であったのですが、しかし、ここまで文章を連ねてきて、あらためて思い出されたことは、これまで(どうにか)継続している当ブログの出発点の一つは、この出来事にあったのではないかということです・・。

そう、去る2015年頃に相次いで周囲の方々から「何か書いてみてはどうか?」と勧められても、何かしらの文章を作成するためには「どこに対して書くか」といった、いわば、文章作成の「視座」が前提として必要であると云えますが、私の場合、その「視座」となるものの原型が見出されたのが、さきに述べた衝撃的な出来事からであると云えるのですが、しかし同時に、そうした出来事とは、客体化した文章として著すのが著しく困難であるように思われるのです。とはいえ、ここまで文章として作成することが出来たこともまた、以前と比べますと、それなりの進歩ではあると云えることから、今後もまた、機会を見つけては、これを主題としてブログ記事の作成を行いたいと思います。

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2022年5月17日火曜日

20220517 岩波書店刊行 ロバート・ウェストール著 金原瑞人訳 宮崎駿編+タインマスへの旅 「ブラッカムの爆撃機ーチャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの」pp.196‐199より抜粋

岩波書店刊行 ロバート・ウェストール著 金原瑞人訳 宮崎駿編+タインマスへの旅
「ブラッカムの爆撃機ーチャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの」
pp.196‐199より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4000246321
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4000246323

ぼくは気が遠くなった。母はよく、ぼくが生まれた夜のことを話してくれたけれど(大変な難産で、母はあやうく命を落とすところだったらしい)、それだって十分に不思議な気がした。それなのに、父が生まれた晩だなんて・・・そんな昔のこと、信じろといわれても、まるでファラオがピラミッドを造らせていたときの話みたいな気がしてしょうがなかった。

 気がつくと、ぼくたちはすっかりうち解けていた。どのがらくたにも物語があった。死者があった。死者がよみがえって、ふたたび歩き出した。大戦で活躍したジェリコ提督、アフリカ中部のハルツームで活躍したキッチナー伯爵・・・ドイツ帝国最後の皇帝ウィルヘルム、喜劇女優のマリー・ロイド、大戦のときの首相ロイド・ジョージ、連続殺人事件の切り裂きジャック・・。次から次に、祖父の口からよみがえってきた。ノースシールズで最初に映画を映した映写機からも、こんなふうにいろんなものが現れてきたんだろうか。

 ただ一度だけ、祖父は口をつぐんだ。さやに入った大きなナイフの番がきたときだ。祖父はナイフを手に取ると、押し黙ったまま、それを箱の中にもどした。ぼくにもぴんときた。オーストリア兵を突き殺した銃剣だったんだ。祖父の顔が青ざめ、遠くをみるよな目になった。銃剣が憎くてたまらないけど、捨てることもできない。あの帽章もそうなんだろう。

「塹壕で何をしてたの?戦いじゃないとき」

「よくきいてくれたな」祖父は錆だらけの鉄のヘルメットを取り出した。「てっぺんに小さな穴が開いているだろう?」

「弾の跡?」

祖父が笑った。本当に笑ったんだ。

「いやいや、ねじ穴だ。そこのねじを抜いて、裏から釘を突っこんで、ろうそくを差す。そして火をつけて、その光の下でトランプをやるんだ。ほら、溶けたろうがいまでも少し残っている。わしはトランプがうまかった。そうそう、手札三枚でやるブラッグというゲームがあって、これはすぐに勝負がつくから、途中で戦闘が始まっても困らない。わしは連戦連勝、大もうけだった。仲間はおおぜい、いまでもわしに借りがある。が、みんな死んでしまった。それで、代わりに連中の持ち物をちょっといただいておいたんだ。形見ってやつだな。ほら」祖父は手をのばして、流しの上から洗面用具を取った。

「こいつはゲリー・ヘンリーのひげそりブラシ、こいつはマニー・ウェバーの洗面器、こいつはトミー・モールボンの鏡。どいつもこいつも、いいやつばかりだった」

 それからふたりとも黙りこんでしまった。けど、ちっとも気にならなくなった。ぼくにもよくわかっていた。いまこの沈黙の中にだれがいるのか。そう、どいつもこいつも、いいやつばかりだ。

 先に口を開いたのは祖父だった。「わしが子どもの頃に、シールズではやったジョークがあった。こんなやつだ。

青年は燃える甲板の上

足はひどい火ぶくれだ

親父はガスリーの酒場のなか

ひげはビールでびしょぬれだ。

わしらは、しょっちゅう口にした。そう、戦場でな。そしてしょっちゅう笑い転げていた」祖父は笑った。ぼくも笑った。仲間と笑うっていいものなんだな、そんな気がした。

 父と母が病院からもどってきたときには、その晩の出来事はもうお開きになっていた。ぼくはぼろ切れを細かく裂いて編んだ敷物の上で、いろんなものを、ああでもない、こうでもないと、大切に並べていたし、祖父は椅子でかすかな寝息を立てていた。

 だけど、祖父はしっかり種をまいていった。あらゆるものには物語があるし、あらゆるもののあらゆる傷にも物語がある。祖父はぼくにそれを教えてくれた。一週間もしないうちに、ぼくは町中の古道具屋をのぞきこむようになっていた。なかでも寒そうに手をすり合わせているみすぼらしい小柄なおじさんたちが、あらゆる不思議な物語をしっている「時の支配者」のように思えた。

 そのあとは博物館めぐり。いま、ぼくがすわっているのも博物館の中だ。

 あのころは、30年前の蛇口の傷をみてわくわくしていた。そしていまは、4000年前のファラオの顔の傷をみてわくわくしている。ぼくの冒険はいつも時をさかのぼっていく。世の中はいつも先へ先へと進んで、麻薬だの暴力だの賭け事だのにおぼれていく。ぼくは昔へ昔へとさかのぼって、本当に自由になれるところまでいく。

 祖父はずいぶんまえに、かつての兵隊仲間のところへいってしまったが、いまでもぼくといっしょにいる。書き物をする机の上には祖父の写真が置いてある。ソンム川で毒ガスにやられる前のものだ。祖母がいっていた。結婚した頃のおじいちゃんは、澄んだ青い目がすてきでね、シールズ一の美男子だったんだよ。写真の祖父は、いまのぼくよりずっと若い。

 年々、ぼくは記憶にある祖父に似てくるようだ。思いきり濃い眉、小鼻のあたりにむかって伸びているもみあげ。笑うと、祖父の笑い声が聞こえてくる。ぼくも時々、朝ぜいぜいいっていることがある。ソンム川の戦いで毒ガスにやられたわけじゃないけれど。

 時は流れる。それもあらゆる方向へ。そう、祖父がぼくを作ったんだ。

20220516 現在の東欧での戦争への興味関心の経緯から思ったこと

やはり、ここ最近は寝不足であったと見えて、昨夜は比較的長く睡眠時間をとったためか、本日は普段に比べ、少し調子が良かったように感じられます。他方で、当ブログの方は、もう数記事作成することにより、1780記事に到達します。また、来る6月22日の当ブログ開始から丸7年となる日までに、さらにあと20数記事作成すれば、当面の目標としている1800記事にも到達することができますので、現時点にて多少の余裕はあっても、今後も記事を作成出来る時は作成していこうと思います。

さて、最近不図、気が付いたことになりますが、去る2月末、東欧にて勃発した戦争は現在に至るまで続き、また今後も、予断を許さない状況がしばらく続くと思われますが、この戦争について、私は開戦前の何時頃から「これは戦争になるのでは・・?」と考えていたのかと思い返したところ、昨年7月後半に、ロシアの軍事戦略について扱った新書を購入し、それまで、ほぼ白紙状態であったと云える当分野での書籍を読んでいました。

これは、それまでの私ではあまりない書籍の選択であったと云える為、その背景には、何かしら、その著作を手に取り購入に至るまでの過程に「特異」な点があったものと思われますが、それについては、興味深い動画チャンネルの視聴があったことが思い出されました。

しかし、こうした動画サイト内チャンネルの動画内容に興味を持ち、そこで紹介されていた新書を購入し、その内容が、後の開戦と報道によって世界規模で明らかになったり、あるいはまた、更なる検証の必要性が生じたりしたということは、自分としては、なかなか新鮮且つ印象的な出来事であり、くわえてそれは、真剣な当事者意識とまでは行かないものの、内発的な興味関心を維持するには十分なものであり、そうした事情から、去る2月末の侵攻開始から現在に至るまで動画サイトにて海外テレビ局の報道動画を視聴するようになりましたが、これにも大変興味深いものがあり、視聴し始めの頃は、殆ど意味が分かりませんでしたが、しばらくしますと、断片的に意味が分かるようになり、あるいは概ね意味が分かるということも度々生じるようになりました。とはいえ、かつて博士課程院生の頃は、勉強の為に英語のオーディオブックを始終流しつつ実験をしていましたので、こうした経験自体は初めてではありませんが、しかし、久しぶりに経験してみますと、やはり新鮮なものであり、また、同時に空白の期間があり、慣れない行為となってしまったことにより、多少頭が疲れますが、こちらもブログと同様、もうしばらく継続してみようと考えています。

ともあれ、この東欧での戦争について、私は昨年夏頃より、不穏な情勢は何となく認識していたと云え、またそれは実際に時の経過と共に増大し、夏が過ぎ、秋も過ぎ、初冬の同年12月8日に江東区の書店兼喫茶店にて開催された退役自衛官(予備一等陸佐)であり現軍事研究家の方によるトークショーに参加させて頂いた際、最後の質問の時間にて、私がロシアによるウクライナ侵攻の可能性について質問させて頂いたところ、当軍事研究家の方は「さあ、明確なことはまだ分かりませんが、しかし、この恒例のロシア軍を主としたウクライナ国境付近での大軍事演習のためと称して、これまでにないほどの地上兵力が動員されていると云うことは既に周知の事実であり、また、この動員規模から考えますと、やはり、何かが起きるということは覚悟しておいた方が良いのではないかと考えています・・。」といった返答をされましたが、これは少なくとも間違いではなく、また同時に詭弁的な返答でもなかったと云えます。

私も含めて誰もが、未来に生じる出来事を予見することは困難と云えますが、しかし同時に、そのある程度の方向性の範囲などについては、ネット上での動画の視聴や読書などを通じて知覚することが出来るのではないかとも思われました。そしてまた、それが民俗学者の柳田國男が述べていた「予言力」に通じるものであるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部


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2022年5月15日日曜日

20220514 不活性状態を脱するための一つの手段としてのブログ・・

本日は、変則的に予め少し寝てから、ブログ記事の作成に取組みます。以前には、こうした試みをごく普通に行ってきましたが、ここ最近は、あまりそうしたことを行わなくなりました。これは、2020年からのコロナ禍により求められたこともあり、積極的に外に向い、何かしら活動をしようという性質が弱くなってしまったからであるとも思われますが、しかし、これは私自身に限らず、我が国の社会が、全体的に、そのような方向に進んでいるようにも感じられます。

とはいえ、やはり、それは、あまり良い変化ではないと思われますので、このコロナ禍が以前よりも深刻なものとして考えられなくなりつつある現在においては、そうした、いわば不活性となってしまった状態を脱するべく、また何かしら動き始めた方が良いものと考えています。

しかしまた、そのように考えてみますと、私の場合、2013年からは、生きるために、それまであまり経験しなかった不慣れなことをすることが多く、おそらく、それらの活動は、経験としては悪いものではなかったのだと思われますが、しかし同時に、自分としては、必要性に迫られたいわば外発的なものであり、そして、その意味で、多少過活動気味であったのではないかとも思われるのです・・。

あるいはまた、ある程度の年齢となり、それまで経験がなかった業界、分野などで活動することを求められることは、私にっては多少荷が重く、それが、このコロナ禍で活動の自粛を求められたことにより、それまでに無理をしてきたものが「自粛への適応」というカタチで現れたとも云えるのかもしれません・・。

視点を変えますと、そうした変化は「自粛への適応」よりも、端的に「不活性化」してしまったと思われ、また、私の自覚としても、以前はそれなりに活動していたという自覚があることから、これは外的な要因(コロナ禍による自粛の要求)によるものであったとしても相対的に「不活性化」してしまったことは間違いではないように思われます。

また、この「不活性化」のさらに深いところには、さきに述べた、それまでの反動や、いくつかの挫折といった要因があるのではないかと思われますが、私の場合、これまでの人生で挫折はいくつもあり、また、それらはどうにか乗り越えてきたと自覚はしていますが、今回のものに関しては、多少深刻であると云え、また、そうした事態をどうにか客体化し、乗り越えるためにも、当ブログは大変有効な手段であると考えています。

2015年に当ブログを始めた時点においては、そのようなことは全く考えていませんでしたが、最近になり思うことは、これまでの期間において、いくつかの挫折があり、またそれ以前から抱えてきた葛藤などを、このブログにて、カタチを変えて発信し続けてきたことから、どうにか私は生きてこれたのではないかということです。

あるいは約言しますと、そうした、いわば、自分との折り合いが付いていない状態を抱えたままで生きるためには、こうしたある種の工夫のようなものが必要であるのかもしれません・・。

しかしまた、世間一般においては、そのような個人の内面とも云えることは、あまり考慮されないと思われますので、ここでは世間からのプレッシャーなどを勝手に想定して焦ったりせずに、当ブログを続け、そしてまた過活動にならない程度に徐々に再活性化を図りたいと思います。挫折や何かしらの空虚感による過活動の後には、やはり虚脱のような状態が生じるというのは間違っていないと思いますし、あるいはまた、ここまで作成していて思ったことは、それは戦後から現在にまで至るまでの我が国にもまた、そうした見方が出来るのではないかと云うことですが、さて、如何でしょうか?

*少し寝てからのブログ記事作成もまた(記事の出来、不出来は別として)、悪くはないことがここで再発見されました。機会があればまた行いたいと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年5月14日土曜日

20220513 「謎の閲覧者」によって想起された既投稿記事について

1800記事到達まで残り、当記事も含めて24記事となりましたが、やはり相変わらず、毎回の記事作成が多少面倒に感じられているのが現状と云えます。こうした時は、あまり焦ることなく、書籍からの引用記事を作成した方が良いのかもしれませんが、ここ数回の投稿に関しては、自身の文章にて作成することが出来ていたことから、本日もそれに倣い、ともかく作成しようと思い立った次第です。

ペンで紙に書く作業に比べて、PCでのキーボード入力は、未だ慣れていない作業であることからか、PC前に座り、ブログ記事作成に入るまでには、日によって異なりますが、多少時間がかかり、この逡巡しているとも云える状態を脱するためにも、とにかくキーボードに向かい、何かしらの文章を作成しようとしますと、冒頭の文章のような、いわば「ツカミの文章」が出来るわけですが、このことは、ここまで作成した中での発見、あるいは、忘れていたことの再認識であると思われますので、またしばらくは、この「とにかくキーボードに向かい文章作成を始めること」を忘れないようにしたいと思います。

とはいえ、これまで(どうにか)1700以上のブログ記事を作成してきましたが、ツイッターなど他のSNSとの連携投稿などで、その内容を、あらためて読む機会がある既投稿記事は、その中のごく一部であると云え、また、何かの機会に「おお、以前にもこのようなことを書いていたのか・・」と(半ば)忘れていた記事が思い起こされることも度々あります。

また、こうしたことは、ツイッターとの連携を行う以前の、ブロガーのみでの投稿を行っていた時期の方が頻繁にあったと記憶しています。そして、そうした記事を思い起こさせる契機となっていたのは、ブロガーでの統計情報の記事閲覧状況を確認し「ああ、この記事が現在読まれているのか・・。」と、それら(半ば)忘れていた既投稿記事を見つけた時であったと云えます。

こうした、いわば「謎の閲覧者」は、その閲覧状況を継続的に見ていても、特定の誰かが想起されることはなく、それでも現在に至るまで続いています。そして、そうした閲覧されていた記事を読み直して得られた考えを材料として、新たな記事作成を行うこともあれば、また、そうした記事をツイッターとの連携投稿を行い、その投稿に、関連すると思われる内容の他記事を返信したりしていますと、面白いもので、その関連性の内容を新たなブログ記事として表現してみたいと思うことがありますが、ここ最近は、あまりそうしたことを行わなくなってきたように思われますので、やはり、以前と比べて、文章作成に関しては活性が落ちていると云えます。とはいえ、そうした状況も、波の様に寄せては返し、変化するものであると、これまでの経験は語りますので、あまり焦ることはなく、ともかく、何かを意識して、今しばらくは続けることが重要であると、ここ最近は考えています。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年5月13日金曜日

20220512 歴史的文脈、背景の意味について思ったこと

直近の投稿記事にて「ここ最近は仮説があまり思いつかなくなった。」との主旨を述べましたが、これは後になり考えてみますと、その後、関連著作などからの当該分野に関する知識が増加することにより、そうした、空想にも近い仮説は簡単には思いつかなくなったとも云えるのではないかとも考えるようになりました。

どの分野の著作を読み進める場合においても、当初は何も分からず、まさに五里霧中の態であるのですが、そこから幾冊か読み進み、さらに、インターネットからも情報を集め続けていますと、徐々に、その背後にある文脈、背景のようなものが認識され、そして、そこからは、その認識された文脈や背景とも整合性のある仮説が思いつくようになるのですが、その時に、いくらかの体系付けられた知見が文脈や背景にありますと、やはり、生じる仮説は制限されてくると云えます。

そしてまた同時に、他者が主張する仮説に対しても、その背景にある、知見や文脈も気になってくるのですが、おそらく、こうしたことは、何も書籍から得られる知識のみならず、現在のさまざまな報道などにおいても同様であると云え、たとえば、現在なお継続中の東欧での戦争についての、さまざまな報道を動画サイトなどで視聴していましても、そうしたことは半ば無意識ながら考えているように思われます。

つまり、それらの扱っている内容が、現在の状況であれ、あるいは過去の歴史であっても、何らかの主張や主旨がある文章や動画などには、須らく文脈や背景があり、また同様に、さきにあげた東欧での戦争においても、現在報道されている状況に至るまでの文脈や背景があり、それは、さまざまな発現の手法によって、19世紀のクリミア戦争から説明することも出来れば、あるいは、さらに以前の16世紀からのロシア帝国とオスマン帝国との当地域をめぐる争いからも説明出来ると云えます。

また、幸いなことに、これらの歴史については、ある程度まではわかっており、日本語のみでも理解出来るような状況があると云えます。そして、ここからが重要であると思われるのですが、それは、今後、生じる出来事においても、それが如何なるものであれ、これまでの歴史的文脈、背景に基づくものであり、それに結節するものであると云うことです。

こうした見解は、多少、後知恵じみたものとして、とらえられるかもしれませんが、それはまた、詭弁ではなく、そして間違いではないのです。

それ故、昨今、戦争当事国の元首が(狂信的に)歴史にのめり込むことにより、現代版「汎スラブ主義」とも云える考えを抱くに至り、去る2月末からの隣国への侵攻を実行したとして「歴史」が何かしら悪影響を与えるものとして、とらえられがちであるのですが、そこで重要であると思われることは、以前投稿の「ウンベルト・エーコの世界文明講義」からの引用記事にあった「百科事典にあるあらゆる真実は、どれも再検討の可能性に開かれている。わたしたちが学術的に開かれた意識をもっているなら、新たな資料がいつか発見されることへの心構えが必要だ。」のように、現在我々が知っている歴史には、どれも再検討の可能性があり、何らかの資料や遺跡などの発見により、既存の歴史像が変わることもあり、また、歴史全般にはそうした性質があることから、それは他国への侵攻の理由にはなり得ないと思われるのですが、しかし、一国を動かす権力者が、ある(偏狭とも云える)自国を絶対化するような視点に基づいた歴史観を信じるようになると事情は異なってくると云えるのかもしれません・・。

ともあれ、そうであるからこそ、面倒であるかもしれませんが、さまざまな異なった視点に基づく歴史像を文脈や背景として認識し、そしてまた、ある特定の歴史像に惑溺しないことが重要であると思われるのですが、これについて最近思ったことは、そうした何と云いますか、体感的とも云える理解に至るまでは、ある程度の期間の訓練が必要であり、さらに、それは若いうちからのものである方が望ましいのではないかと云うことです。

無論、こうした訓練の継続とは、さまざまなスポーツと同様、向き不向きがあると思われますが、こうした分野も、医学などの実学とは異なった種類のものではあれ、それなりの重要性があることは、昨今の国際情勢からもご理解頂けるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

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2022年5月10日火曜日

20220509 文化様式の一つとしての古墳造営様式から

先日来から読み進めている、我が国古代史を主題とした著作は、その後も移動時や就寝前の読書にて頁が進みましたが、当著作においても、当初から4世紀代までと、5世紀代以降の古墳では、副葬品の性質・傾向が異なるといった見解であり、概ねこれまで通りの見解であったと云えますが、他方で、そうした副葬品の性質や傾向が変化した、さまざまな要因の見解については、今しばらく読み進めてつつ検討してみようと思います。

時代や地域の相違による、同目的と思しき、各種道具や祭器における形状や意匠の相異と同様、古墳などの墳墓においても、そうした時代性や地域性などのようなものは明らかに存在し、以前、在住していた和歌山県においては、古墳の造営様式に際立って特徴的な傾向があったと云えます。

その造営様式においては、紀ノ川流域あるいは、さらにその下を走る中央構造線沿いの地域において多く産出される青石と呼ばれる緑泥片岩を板状に加工したものを積層して壁状と為して玄室や羨道を造営し、また、玄室については、上方に向かうに伴い、積層板石が中央に向かい徐々に持送りされて、いわばドーム状となっており、この玄室内様相と、同じく壁面の積層された板状青石の様子・意匠を組み合わせて、しばし眺めて意識化することにより、紀州北部地域、紀ノ川下流域における特徴的な古墳造営様式の概要は、理解出来るのではないかと思われます。

さらに、この紀ノ川下流南岸地域において特徴的な玄室の内部には、壁面の積層にも用いられた板状の青石が、まるで棚か梁のように玄室内に懸架されているものが少なからずあり、この意匠(石棚、石梁)もまた、当地域における後期古墳を特徴付けるものであると云えます。

ともあれ、こうした古墳造営様式や、それに用いる材料が概ね定型化されてきますと、それは、いわば、可視化された文化様式のパッケージとも云えるものとなり、そしてまた、これと類似する意匠、造営様式を持つ古墳が、さきの地域外にて発見されますと、その地には、古代ヤマト朝廷の海運事業の一翼を担っていた紀ノ国の豪族紀氏との、何らかの繋がりがある人物が埋葬されていたのではないかと推理されるところですが、これについては、実際のそうした類似した造営様式古墳の分布から考えてみますと、また興味深い仮説が出て来るのでしょうが、ここまで来ますと、それは古墳造営様式に留まらず、以前にも述べた銅鐸、そしてさまざまな日常道具に至るまでが、そうした仮説を生み出す材料となると云えるのですが、しかし、ここにきて最近よく思うことは、こうした時に、仮説があまり思いつかなくなったということです・・。

これは、まだ若く、馬力があった頃では、あまり意識することはなかったのかもしれませんが、こうした「仮の物語」を生み出すところで、我々は少なからずエネルギーを費やしているのではないかと思われます。

ともあれ、また、我が国の古代史が面白く感じられてくるようになってきますと、身体の方も活性化され、そうした仮説も以前と比べて、いくらか滑らかに思い付くようになっていくのではないかとも思われるのですが、さて、実際のところは如何でしょうか・・?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

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