2022年5月17日火曜日

20220517 岩波書店刊行 ロバート・ウェストール著 金原瑞人訳 宮崎駿編+タインマスへの旅 「ブラッカムの爆撃機ーチャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの」pp.196‐199より抜粋

岩波書店刊行 ロバート・ウェストール著 金原瑞人訳 宮崎駿編+タインマスへの旅
「ブラッカムの爆撃機ーチャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの」
pp.196‐199より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4000246321
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4000246323

ぼくは気が遠くなった。母はよく、ぼくが生まれた夜のことを話してくれたけれど(大変な難産で、母はあやうく命を落とすところだったらしい)、それだって十分に不思議な気がした。それなのに、父が生まれた晩だなんて・・・そんな昔のこと、信じろといわれても、まるでファラオがピラミッドを造らせていたときの話みたいな気がしてしょうがなかった。

 気がつくと、ぼくたちはすっかりうち解けていた。どのがらくたにも物語があった。死者があった。死者がよみがえって、ふたたび歩き出した。大戦で活躍したジェリコ提督、アフリカ中部のハルツームで活躍したキッチナー伯爵・・・ドイツ帝国最後の皇帝ウィルヘルム、喜劇女優のマリー・ロイド、大戦のときの首相ロイド・ジョージ、連続殺人事件の切り裂きジャック・・。次から次に、祖父の口からよみがえってきた。ノースシールズで最初に映画を映した映写機からも、こんなふうにいろんなものが現れてきたんだろうか。

 ただ一度だけ、祖父は口をつぐんだ。さやに入った大きなナイフの番がきたときだ。祖父はナイフを手に取ると、押し黙ったまま、それを箱の中にもどした。ぼくにもぴんときた。オーストリア兵を突き殺した銃剣だったんだ。祖父の顔が青ざめ、遠くをみるよな目になった。銃剣が憎くてたまらないけど、捨てることもできない。あの帽章もそうなんだろう。

「塹壕で何をしてたの?戦いじゃないとき」

「よくきいてくれたな」祖父は錆だらけの鉄のヘルメットを取り出した。「てっぺんに小さな穴が開いているだろう?」

「弾の跡?」

祖父が笑った。本当に笑ったんだ。

「いやいや、ねじ穴だ。そこのねじを抜いて、裏から釘を突っこんで、ろうそくを差す。そして火をつけて、その光の下でトランプをやるんだ。ほら、溶けたろうがいまでも少し残っている。わしはトランプがうまかった。そうそう、手札三枚でやるブラッグというゲームがあって、これはすぐに勝負がつくから、途中で戦闘が始まっても困らない。わしは連戦連勝、大もうけだった。仲間はおおぜい、いまでもわしに借りがある。が、みんな死んでしまった。それで、代わりに連中の持ち物をちょっといただいておいたんだ。形見ってやつだな。ほら」祖父は手をのばして、流しの上から洗面用具を取った。

「こいつはゲリー・ヘンリーのひげそりブラシ、こいつはマニー・ウェバーの洗面器、こいつはトミー・モールボンの鏡。どいつもこいつも、いいやつばかりだった」

 それからふたりとも黙りこんでしまった。けど、ちっとも気にならなくなった。ぼくにもよくわかっていた。いまこの沈黙の中にだれがいるのか。そう、どいつもこいつも、いいやつばかりだ。

 先に口を開いたのは祖父だった。「わしが子どもの頃に、シールズではやったジョークがあった。こんなやつだ。

青年は燃える甲板の上

足はひどい火ぶくれだ

親父はガスリーの酒場のなか

ひげはビールでびしょぬれだ。

わしらは、しょっちゅう口にした。そう、戦場でな。そしてしょっちゅう笑い転げていた」祖父は笑った。ぼくも笑った。仲間と笑うっていいものなんだな、そんな気がした。

 父と母が病院からもどってきたときには、その晩の出来事はもうお開きになっていた。ぼくはぼろ切れを細かく裂いて編んだ敷物の上で、いろんなものを、ああでもない、こうでもないと、大切に並べていたし、祖父は椅子でかすかな寝息を立てていた。

 だけど、祖父はしっかり種をまいていった。あらゆるものには物語があるし、あらゆるもののあらゆる傷にも物語がある。祖父はぼくにそれを教えてくれた。一週間もしないうちに、ぼくは町中の古道具屋をのぞきこむようになっていた。なかでも寒そうに手をすり合わせているみすぼらしい小柄なおじさんたちが、あらゆる不思議な物語をしっている「時の支配者」のように思えた。

 そのあとは博物館めぐり。いま、ぼくがすわっているのも博物館の中だ。

 あのころは、30年前の蛇口の傷をみてわくわくしていた。そしていまは、4000年前のファラオの顔の傷をみてわくわくしている。ぼくの冒険はいつも時をさかのぼっていく。世の中はいつも先へ先へと進んで、麻薬だの暴力だの賭け事だのにおぼれていく。ぼくは昔へ昔へとさかのぼって、本当に自由になれるところまでいく。

 祖父はずいぶんまえに、かつての兵隊仲間のところへいってしまったが、いまでもぼくといっしょにいる。書き物をする机の上には祖父の写真が置いてある。ソンム川で毒ガスにやられる前のものだ。祖母がいっていた。結婚した頃のおじいちゃんは、澄んだ青い目がすてきでね、シールズ一の美男子だったんだよ。写真の祖父は、いまのぼくよりずっと若い。

 年々、ぼくは記憶にある祖父に似てくるようだ。思いきり濃い眉、小鼻のあたりにむかって伸びているもみあげ。笑うと、祖父の笑い声が聞こえてくる。ぼくも時々、朝ぜいぜいいっていることがある。ソンム川の戦いで毒ガスにやられたわけじゃないけれど。

 時は流れる。それもあらゆる方向へ。そう、祖父がぼくを作ったんだ。

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