2020年3月17日火曜日

20200316 「大勢三転考」を読んでいて思ったこと

昨日の記事投稿により総投稿記事数が1261に達し、あと30数記事の新規投稿により、1300記事に到達します。また、今後の投稿ペースにつきましては、概ね2日に1記事の投稿にて5月中での達成が可能になります。同時に、当ブログ開始から丸5年を迎える6月22日までの1300記事以上の投稿は、さきの投稿ペースをある程度守ることにより、特に無理なく達成出来るものと考えます。

さて、先日来から読み進めている伊達千広(宗広)による「大勢三転考」は、その後、さらに頁が進みましたが、未だ7世紀半ば、律令制度に入った時代の記述となっています。この頃に一応確立したとされる律令制度により、当時の我が国は、より中央集権的な国家としてのカタチを整え、他方で、土着豪族の勢力が削がれることとなり、それが8世紀を通じて進行し、そして9世紀初頭、平安時代初期には、この律令制度が形骸化しつつあるとの認識から、それを引締め、再び、中央権力の強化をはかる施策がたびたび行われましたが、そうした施策は、主に新たな法令の制定や、その改編といった条文的なものに留まり、実効性は乏しく、くわえて、8世紀末、桓武天皇の御代における、それまで全国に配備されていた国の軍事組織である軍団の廃止により、中央権力強化のための推進力、そしてまた維持機能が大きく損なわれ、以降、全国的な治安の悪化を招き、そこから後世における武士誕生の環境が成立したとも云えます。

しかしながら、当著作は、こうした時系列的な歴史の記述よりも、主として記紀に記されているさまざまな説話・挿話に基づいて解説し論を進めるといった書き振りであり、少し考えてみますと、当著作が著された江戸時代末期においては、現在の我々が慣れ親しんでいる、おそらくは西洋に端を発する、所謂、科学的にして直線的な書き振りといったものは、一般的なものではなく、こうした説話・挿話を用いて外側から自説を固めつつ解説していくような、いわば一種、帰納法的とも云える書き振りが主流であり、また、学術的であるとされていたのではないかと考えられます。

こうした書き振りは、たしかに現在の我々が読んでみますと、その要旨が何であるのかを(すぐに)理解するのには多少苦労しますが、しかし一方で、歴史などの理解に関しては、あるいはこちらの方が、用いることが可能な説話や挿話といった歴史についての情報が多ければ、より精緻な思索が可能ではないかとも思われました・・。

また、そうしたことを考えさせられるという点においても、やはり当著作は面白く、そしてまた有意義であるのではないかと思われましたが、さて如何でしょうか。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。