2017年8月11日金曜日

20170810 自身のかつての【複数】専攻分野と現在の状況について思ったこと・・

本日の首都圏もこの時期(8月初頭)のわりにはイマイチ気温の上昇がなかったと感じられるものの、それなりに暑く徒歩での移動には少し難儀しました・・(苦笑)。

くわえて、明日から休みということもあり自身のブログ記事作成もまた、明日から数日間休ませて頂きます。どうぞよろしくお願いします。
さて、昨日の投稿記事は投稿翌日にしては思いのほか多くの方々(33)に読んで頂けました。
自身としては、気が付いた歴史的な偶然と云えるものを書いたつもりではありましたが、こうしたことに興味を持って頂ける方々も少なからずおられるのかもしれません・・。
また、同時に私とは、悲しいことに(?)こうした(歴史に関すること)を書いている時の方が比較的面白い文章を書くことが出来るのかもしれません・・(苦笑)。とはいえ、昨今は日常においては概ね忘れがちではありますが、あくまでも自身の専攻とは歯科理工学でもあるのです・・。これを換言しますと(一応)博士(歯学)という肩書きを保持しているということになりますが、実際のところ、それが現在の仕事の役に立っているといった実感は(かなり)少ないと云えます・・(苦笑)。それ故、さきに書いた『概ね忘れがち』といった事態になるのでしょうが、その一方で面白いことに訪問した歯科医院にて院長が医院運営の傍らで得た実験データ、もしく他のデータあるいは執筆した記事、文章を読ませて頂くと、それが何を意味、意図しているのかは、概ね理解出来ているのではないかと思われます・・。しかし他方、この複数の歯科医院を訪問し、さまざまなお話しを聞いて廻るという行為自体とは、さらに以前の地域学を専攻した修士課程における聞き取り調査、ヒアリングにも相通じる要素が少なからずあるのではないかとも思われるのです・・。ともあれ、そのように考えてみますと、さきに書いた自身の専攻内容そして結果的にそこで(どうにか)取得に至った肩書きとは、昨今忘れがちではあるものの『まさに日常での意識が及ばないところにて生かされているのかもしれない』とも考え得るのです・・。そして、そうしたことを書いておりますと、一昨日投稿の記事『一昨日に投稿した記事(書籍からの抜粋引用)から思ったこと・・歴史・文化について』にて書いた以下の文章が(恥ずかしながら)思い起こされるのです・・。

『我々日本人とは外来文化を摂取する際、往々にして、その背景文化から摂取するのではなく、その外来文化に特殊に認められる何か『のみ』を摂取し、それを自分なりに改変、改造していくといった傾向がある。』つまり、我が国において外来文化が摂取される時は、それを過去の歴史・文化の文脈から切り離し、その場だけで通用するような『別の何か』にしてしまうといった意味合いになるのでしょうが、そのように考えてみますと、その対象とは、あるいは海外の文化のみならず自身の簡単には理解出来ない遠い過去の文化に対しても『実際のところよくわからない』ことから、それに見合ったような対応・操作をしているのではないかと思われることが少なからずあると思われるのですが、さて如何でしょうか?

とはいうものの、これを自身に対しての批判と捉え、抗弁させて頂きますと以下のようになります・・。

「如何にも正論で考えますとそのようになるのでしょうが、私の場合、生きるためにはそうせざるを得なかったのです・・。その一方で、これまでにブログ記事の作成をどうにか継続しておりますので、少なくとも過去の経験の相対化あるいは自身を対自的存在としていこうと試みている【自閉的にはなっていない】ことに関しては(少しは)肯定し得ることなのではないでしょうか?」
また、文章を書き続けておりますと、往々にしてこうした(自縄自縛とも云える)事態が現出しますが、それに対しては上に書いたように多少開き直り気味になりながらも、自身に対して抗弁、説得し続けなければならないのではないかとも思われます・・(苦笑)。
(これは特に可笑しい、醜いことではないと考えます。)
そしてまた、その一方で自身の正論もしくは理想といったものを模索し続けなければならないのではないかとも思われるのです・・。
このあたりの消息とは夏目漱石著の『愚見数則』を読んで頂ければ、何となく分かって頂けるのではないかと思います・・。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。