2024年1月16日火曜日

20240115 株式会社筑摩書房刊 祖父江孝男著「県民性の人間学」 pp.200-202より抜粋

株式会社筑摩書房刊 祖父江孝男著「県民性の人間学」
pp.200-202より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 448042993X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480429933

和歌山というとすぐにミカンを思い浮かべる位だが、ミカンのあまさを連想するためか、あるいは気候の温暖さに関連させるせいか、温和とか穏健などの性格をあげる人が案外に多い。

しかし住民自身があげている自分たちの性格の特徴だという答えは明朗、情熱的、荒々しく反抗心が強い、進取的、冒険心が強い等々が多いのだ。ここで忘れてならないのは、有名な紀伊国屋文左衛門の存在である。彼は江戸初期の生まれだったが、風波のために船が全く出ず、紀州ミカンが地元では暴落し、江戸では高騰しているのを知って、決死の覚悟で荒海を遠く越え、江戸へミカンを輸送して巨額の富を得たのである。「沖の暗いのに白帆が見える。あれは紀州のミカン船」という江戸庶民のよろこびをこめた俗謡によって、世人に深い印象を与えた。

 後には江戸八丁堀に材木問屋を営んで巨万の富を築いたのだが、彼の場合は彼の性格が例外的に突出していたというわけではなく、和歌山県人が先にもあげたように、進取的で冒険心に富むという県民性を持っていたからこそ、うんと遠くへ抵抗なしに出かけて行くことが可能だったのではないかと思うのだ。

 文左衛門とあわせて、ここの県民性を示していると思われるのは、ここが広島県、熊本県とともに外国への移民の数の最も多い県だという事実である。明治十年代後半以降、特に明治二十六年ころから多数の人が海外に渡航した。なお日高郡三尾村(現、美浜町)からは明治二十年にひとりの男性がまさに単身カナダへ渡って漁業に従事したのであり、それからあと次々に同じ村から移住し、現在までにこの三尾村からカナダへ渡った人々は約三〇〇〇名にも達しており、第二次大戦以降、この村はアメリカ村と呼ばれるようになって、バスの停留所にもその名がつけられるようになった。英語まじりの会話や異国調の服装や建物がめだち、かつては特にアメリカにはあるけれど、日本にはまだ見られないような電気器具などが多かった。

 なおここでさきにあげた文左衛門と並んで見落とせないのは一八六七年和歌山市に生まれた生物学者、民俗学者の南方熊楠である。一九歳のときに渡米、後に渡英して大英博物館の資料整理に従事し、数々の功績をあげた。その後一九〇〇年に帰国してからは、この和歌山にこもり、地元の民俗資料や粘菌類の収集と研究に晩年の全力を尽くして世界的な功績をあげたのだが、少しく変人でもあって、柳田国男とはそりが合わなかったと伝えられる。それはともかくとして、彼が一九際の若さで外国へ渡っているのも和歌山県人らしいし、彼の場合は更に地元和歌山の民俗と粘菌の研究で功績をあげたのだから、まさに和歌山の風土と自然によって生みだされた学者だと言えるのかも知れない。