2016年1月23日土曜日

20160123 足袋、手ぬぐい、演技などについて

A「最近近所で室内用スリッパを購入したのですが、これを年中室内で用いている紺足袋の下に履くと、なかなかいいものです()。」

BAさんは室内で足袋を履いているのですか?
足袋というとあの下にゴムが貼ってあるものですか?」

A「いえ、Bさんが仰るのは地下足袋でして、私が履いているのはコハゼ以外全て綿布(裏地はネル)で出来ているものです。
これは夏でもなかなか快適で和歌山、鹿児島在住時でも用いていました。
そして外出の際、面倒になりますと、靴下に履き替えず、足袋の下に靴を履いて出たこともありましたが、これはさすがに蒸れて往生しましたので、そのためユニクロの雪駄を購入しようと思いましたが、何故だかやめました・・()
それでも足袋はなかなかいいものですよ、Bさんも機会がありましたら履いてみては如何でしょうか?」

B「ふーん、この時代に足袋を普段着のように履いている人はこれまであまり見たことがありませんでしたが、いわれてみると案外いいものかもしれませんね()。」

A「ええ、これこそ本当の意味でのクール・ジャパンではないかと思いますが・・()。(足袋は通気性が良い)
加えて私は手ぬぐいを愛用しているのですが、これも温暖湿潤な我が国の気候に適したものではないかと思います。
鹿児島在住時、実験の際はよく手が汚れて、それを通して作成試料に異物が混入するとコトですので、手ぬぐいをベルトの後ろ側に半分にして垂らして、手を洗ったあとすぐに拭けるようにしていました・・。
あれは実用的で大変良かったと思いますが、一方今考えると実用に偏し過ぎ、多少外観を損ねていたかもしれません・・とはいえ、もとから大した外観でもありませんし、また白洲次郎も「腰手ぬぐいは実用的でいい。」と、どこかでいっていましたので、まあ存外悪くはないのではないかと思います・・()。」

B「夏前に銀座の高級文具店などに行くと、よく手ぬぐいがキレイにディスプレイされて並んでいますが、本当の携帯方法、用途はAさんの方が伝統に即しているのかもしれませんね・・()。」

A「ええ、それでも、そうした使用法などは実用性、合理性をほぼ無意識にて考えた結果、自然にそうなったのではないかと思います・・。
しかし、そういわれますとたしかにそういったのはどうも不思議ですね・・。
それでも洋服であれ、ほぼ無意識レベルでの実用性、合理性に基づいた着方が最も格好良いと私は思いますけれど・・。
それこそ、意識したものを無意識化した時の格好、着方が一番自然なのではないでしょうかね・・?
そういった意味において俳優という職業はとても難しいと思います・・。
加えて過去を舞台としたものを演じる時などは、身体の動かし方、話し方なども変えなければなりませんので、その苦労は大変なものであると思います。
その一方において、現代の若者などの間で見受けられるコスプレなどは、概ね架空の世界のキャラクターをモデルとしてますので、ある意味融通無碍であり、これはこれで苦労することもあるとは思いますが、前者に比べますと、割合楽になりきった感じを得ることが出来るのではないかと思いますが・・。」

B「・・ええ、私などから観ますと、最近の太平洋戦争ものの映画などを観ますとストーリー以前に俳優の方々の身体の動かし方、話し方などで大変残念ながら観る気を大分削がれてしまうことが多いですね・・。
一方、欧米などでは特に向こうの時代物、つまりシェイクスピアの劇などを演じる俳優などは知識階級に属するようでして、第二次世界大戦時にナチスが侵攻した際に東欧のどこかの国、地域で知識階級を処刑する指令が出て、それで俳優も処刑されることになったのですが、その中に現在は既に引退し、もうその面影を留めない老人が、処刑、生き残りを振り分けるナチス将校の前で堂々とシェイクスピアの劇の役を演じ、矜持を持って処刑される側に入れられたという話をかつて何かの書籍で読んだ記憶があります。
あれはたしか加藤周一のではなかったかと思いますが・・?
ともあれ、こうした俳優を日本に置き換えますと歌舞伎、能役者などになるのかもしれませんが、何れにせよ、こうした事情は、向こうとは若干異なるようです。
また、コスプレなどはカラオケも同様なのですが、古来より我が国ではアイドルなどのまさしく偶像的な存在を一つの職分とみなし、対象化、客観化して楽しむのと同様に、そうした存在の一挙手一投足を真似して同一化しようとする傾向もまた大変強いのではないかと思います。
そしてその真似が上手く、堂に入っていれば、それはそれでオリジナルと同程度の価値を持つというような傾向もまたあるのではないでしょうか?
そして、そういった傾向、性質とは、古代より続き、近代における西洋化という名の近代化のなかにおいても遺憾なくその才能が発揮されたのではないかと思います・・。
しかし、そういった真似とは、様々な事物の普及、一般化においては大変力を持つのですが、一方において、そのオリジナルが保持していた唯一の価値といったものの維持、持続、発展にはあまり効力を持たずに、たとえ普遍的に良いものであっても数代の後には忘れ去られ、辺境地域の遺物、文化としてかろうじて存続するなどといったことになるのかもしれません・・。
現在の地方活性化などにもそういった含みがあれば、それはそれで面白いのかもしれませんが、私から見ますと若干ニュアンスが異なるようにも思えますが・・実際のところどうなのでしょうか?」

A「随分手厳しいですが、おっしゃることは大体理解できます・・。そして、我が国の場合、たしかに客観化、対象化では事足りずに、どうも同一化を試みる傾向、性質が強いようにも思えます・・。しかし、そうした一挙手一投足までを視野に入れる同一化の欲求から発露される一種の即物性こそが再現可能性を最重要視する自然科学、理系学問分野における我が国の国際的優秀さ、高い評価の大きな要因であるような気もするのですが・・。」

B「ええ、それはたしかにそうであるかもしれませんね・・。そうしたデータの普遍性が最も大きな意味を持つ理系学問分野においてはそれで良いかもしれませんが、我々の日常生活とは、そういったもののみで構成されているわけではありませんからね・・。」