2017年10月3日火曜日

20171002 工業製品などの製造と人材の育成・・ヒューマニティーの有無?★★★

本日の首都圏は夕刻以降に割合と強い雨が降り、それによるものか今現在の時分においてはかなり涼しくなったのではないかと思われます。

さて、昨日投稿分の記事も一昨日ほどまでは伸びませんでしたが、投稿翌日にしては比較的多くの方々(38)に読んで頂けました。

あるいは、ここ最近の投稿記事にて多く主題としている『高等教育における文系学問について』は現今我が国の社会においては考え直すべきことであるのかもしれません。

個人的な意見としましては歴史・思想・哲学関連などのいわば原理的な文系分野の学問とは、無論のこと学問ではあるものの、他面において、その練達のためには、どちらかというと絵画、音楽といった芸術分野における『才能』に近い『何か』を要するのではないかとも思われるのです・・。

そして、そのよく分からない『何か』を評価することとは、おそらく現今我が国の教育制度においては、かなり難しいのではないかと思われます。

また、この『難しい』とは、その改良のため、どんなキレイ事、理想論を述べてみたところで変えることが出来るようなシロモノではないように思われるのです・・。

おそらく我々は、その製造する工業製品から人材?といった全てにおいて、おそらく無意識のうちに効率性・量産性のワナに掛かり高品質且つ均一性といった呪縛に憑りつかれているのではないかと思われます・・(たしかに我が国にも表層的には欧米社会と類似したさまざまなものがありますが、彼らのように個人内部に埋め込まれた啓示宗教を基礎もしくは熱源とした能動性あるいは異言すると再現可能性のあるヒューマニティー(人間性)といったものは実際のところ、自身も含め我が国一般においては、その存在はかなりあやしく、存在するとしても、彼らのものとは随分と異なるものではないかと思われるのです・・。)【そうしますと『であるからこそ文系学問が重要であるのだ!』といった議論も生じ、たしかにこれは強く一理あると思われるところですが、それを我が国社会全般が受容するかどうかが大きな問題であると考えるのです。】。

とはいえ、戦後期の我が国社会は長きにわたり、そのような呪縛のなかで教育を受けてきた方々が組織の中で当たり障りなく過ごし、概ね幸せになってこれた社会でもあったのです・・(それはそれで幸福の効率化・量産化とも云えるかもしれません・・)。

こうした呪縛とは、根源的に国が発展し続ける状況においては、各人がそれぞれの職務を為し、とりあえずどうにか社会を回していれば良かったのでしょうが、この『発展し続ける』といった状況が止まり、さらには悪化の兆候さえ見出されるようになりますと、我々は危機感に駆られ、これまで社会にあったさまざまな仕組み、構造といったものを再点検・総括するようになるのでしょう・・(こうした状況の社会において『断捨離』が流行するのは、なかなか示唆的なことであるように思われる。)。

そして、そうした状況においては、ここ最近のブログ記事において何度か取り上げた高等教育における学問分野への学生数の配分といった主題もまた、一つの重要なものとなり得るように思われます。

とはいえ、何度も繰り返し述べますが、自身は文系学問分野を大変好んでおります・・。

それ故、今後我々の社会においては、それを高等教育にて文系学問を減少させるのではなく、新たなカタチにて普遍的知識を扱う理系学問分野との融合をはかる方向に舵を切るのが最も時宜に適しているのではないかと思われるのです。

そして、奇しくもここ最近は、そうした(文理融合的)歴史に関する著作が増え、そして各種マスコミ、書店での統計に拠れば、そうした著作が多く読まれていることは、さきに述べた今後に為されるべき文理融合という学問の素描・概要をも示されているのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等などの大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。