2017年3月8日水曜日

20170308 久しぶりの関西での議論から思ったこと・・

A「つい先ほど久しぶりに訪れた関西より戻りました。

この時季の関西とは、日中の日差しが若干首都圏よりも強く、温暖であるように感じられ、同時に街の空気も首都圏に比べ澄んでいるように思われます・・。

そうした環境にて、かなり久しぶりに(長時間)議論を行いますと、どうもアタマのなかが空っぽになるような感じを受けます・・(笑)。

思い返してみますと、この感覚とは、以前は議論の度に感じていたことであり、いわば懐かしい感覚であると云えます・・。

また、同時にこれには『頭の芯から痺れる』といった感覚をも伴うものであり、その後の睡眠とは一種独特の深いものとなります・・(これも久しぶりでした)。

自身が何かに対しての意見を主張し、また複数相手の意見を聞き、それに対し質問を受け、することを続けておりますと、自然、その主張の特徴もしくは弱点などを見出されることになるのですが、それらは日常においてあまり自覚、意識しないものであることが多いことから、大変新鮮且つ有益であると考えます・・。

そして、こうした議論を日常のように行うことが出来ていた時期とは、やはり自身の創造性、思考の深化などに大きな影響を与えていたのではないかと思われるのです・・。

しかし一方において自身は、こうした議論において、しばしばその論証よりも、着想した仮説あるいは類似すると思われる『モデル』または『モノガタリ』の説明に重点を置く傾向があるようです・・。

これは理系学問分野における文系的な主題に基づく議論、駄弁りにおいても時折指摘されたことでもあることから、割合強い傾向であるように思われます・・(苦笑)。

しかし、同時にこの傾向とは、これまでのブログ記事作成を継続出来た大きな要因であるとも認識しますので、これを抑えることによって撓めるよりも、むしろ『三つ子の魂百まで』あるいは『**は死ななきゃ治らない』であると幾分開き直り、そうした提示できる仮説、モデル、モノガタリの質量の向上、充実をはかる方が良いのではないかと思われるのです・・(笑)。

また、それによって特に頭脳明晰であるとはいえない自身の性質を特徴付けることが出来るのではないかとも思われます・・。

それは見方によれば、必ずしも学術的な視点であるとは認識されないかもしれませんが、同時にそれもまた、ある種の着想つまり創造性によるものであることから、学術的な視点の基礎になり得ることも(少なからず)あるのではないでしょうか・・(笑)?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺にて発生した大地震により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」