2020年7月20日月曜日

株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」pp.198‐199

グアム島でまた日本兵が現れたらしいという記事が新聞に出ていた。こういうニュースは何となく気になる。何気なく読んでいると「兵隊はみな天皇の声を知っているから、天皇の声を録音して放送したら出てくるであろう」という意味の横井さんの談話が出ていた。一瞬「オヤ」と思う、同時に「これは戦前の人間の生き方そのものだなあ」とも思い、また「戦後も同じなのかな」とも思った。

 いうまでもなくこの横井さんの談話は一種の「嘘」である。兵隊は天皇の声など知らない。戦後すでに30年近くをすぎているから、「戦前そのもの」とは別の、戦後にそれを再構成した一種の「戦後神話」ともいうべきものが出来てしまっており、その「戦後神話」では「天皇の軍隊の兵隊は天皇の声を知っている」という言葉もしくは発想それ自体は必ずしも不自然ではないのかも知れぬ。

「戦後神話」しか知らず、「戦前」とは「戦後神話」だと思っている世代、「マック制」を「天皇制」だと思っている世代が、こういうことを言っても不思議ではないし、また戦前を経験している人々もいつしか「戦後神話」がしのびこんできており、この二つの自らの内に峻別することに、私自身が非常に神経質にならざるを得ないのが実情だから、戦後の日本に住みつづけた戦前の人が、そういうことを言っても、これまた必ずしも「嘘」とはいえない。が、しかし、横井さんはそうではなく、それが「戦後に創作された神話」にすぎないことを、最も正確に知っているはずの人なのである。ちょっと考えると、そういう人はこの「神話」を否定しそうに思うが、面白いことにそうならず、そういう人がまっさきに、その神話を事実だと証言するのである。私が「戦前の人間の生き方そのもの」といったのは、この点である。

 私はここで少し興味をおぼえて、横井さんの出て来て以来の、その談話乃至は談話として掲載された言動を、出来る限り詳細にたどってみた。そして一種の驚くべきことを、また見方によっては当然のことを発見した。この「戦後」も「戦後神話」も知らないはずの人が、一種の「見えざる触覚」のようなものを出して、あらゆる方法でこの「神話」を察知し、その神話が横井さんとの接触でかもし出す雰囲気を一種の「皮膚感覚」のようなもので捉えて、まるで「熱いものに触れたらサッと手をひくように」すばやくこれに反応し、それをもとにして、この神話との間に絶対に摩擦が生じないように、実に的確な、岸元首相も顔負けの、文字通り「ソツのない」応答をくりかえし、全くボロを出していない、という事実である。これは一種の「環境適応」の天才といえるだろうし、これだからこそ27年のジャングル生活を生き抜いたのであろうし、またこれが「すべての日本人」なるものの典型的な行き方かもしれないとも思い、同時に、それなるが故に全日本人が横井さん以上に巧みに戦後の大激動をくぐり抜けて今日の繁栄(?)に到着したのだとも思えた。

だが同時に「事実」を知っているはずのその人が、真先に神話を事実といえば、それは一人間を「現人神」にするのも、「南京大虐殺」を事実にしてしまうのも、実に簡単なことだろう、そしてこれが日本を破滅させたのであろうと思った。何しろ、それが事実でないことを確実に知っているその人が、真先に「事実だ」と証言するのだから、どうにもならない。
株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」
ISBN-10: 4163646701
ISBN-13: 978-4163646701