2016年5月5日木曜日

20160505 野上彌生子著「迷路」読了・・

先日来より読み進めておりました野上彌生子著の「迷路」上下巻をさきほど読了しました。

久しぶりに読んだ長編ともいえる小説でしたが、大変読み応えがありました。

そして、以前もブログ記事にて記したことがありましたが、読了後、頭の中を列車が通過するような不思議な感覚をも、また味わいました(笑)。

とはいえ、この小説は、どちからというとハッピーエンドではなく、その後すぐに東京大空襲原子爆弾の二都市への投下といった大変悲惨な史実が待ち受けていることを考えてみますと、歯切れ、後味は悪い方であるのかもしれません・・。

また、このことは、トーマス・マンの「魔の山」の結末とも類似しており、この小説は、主人公のハンス・カストルプが第一次世界大戦の戦場の真っ只中にいる様子が描かれているところで結末を迎えています・・。

しかし何れにせよ、この「迷路」とは、日本近代文学の著作の中においても、かなり優れているのではないかと思われます。

それに加え、この著作は、先行きが極めて不透明な現在の我が国であるからこそ、より一層、読むに価するのではないかとも思われます・・。

それ故、もし、現在、何か手応えのある著作を読んでみたいと考えている方々にとっては、その願望を満たしてくれる著作ではないかと考えます。

また、そのことは先ほど結末の歯切れの悪さが「迷路」と類似している著作として挙げた「魔の山」においても同様であるかもしれません・・。

しかしながら私個人の現在の感想としては、今後しばらくは長編小説は結構です・・(苦笑)。

さて、ハナシは変わりますが、これまで投稿したブログ記事は280以上となり、300記事まであともう少しとなります・・。

とはいえ、300記事以上書くと「何か変わったこと」が起きるというわけでもなさそうですので、とりあえず、そうしたことをあまり考えず「何となく300記事に到達していた」といった感じを目指し、今後も何かしら書き続けていこうと思います。

また、これは大変重要なことですが、読んで頂いている方々の一連のブログ記事に対する知的な反応とは、ブログ記事を作成する際の主要な原動力となっております・・。
そして、最後に、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

今回の熊本の大地震にて被災された地域の諸生活インフラが復旧し、早期に地域一帯が復興されることを祈念いたします。







「茶の味」予告編


20160504 昭和について

先日より読み進めている野上彌生子著の「迷路」下巻はもうじき結末に至ろうとしています。

同著下巻においては、舞台背景となる時代の大きな変転から否応なく登場人物達の運命に対しても影響をおよぼし、また、読者たる私に対しても様々な感情・想念を惹起させます・・。

また、以前にもブログ記事にて記しましたが、前掲著作と類似するような物語のスジを持った著作・映画作品として「戦争と人間」が挙げられます。

原作となった五味川純平著の小説に関しては、これまでに読む機会がありませんでしたが、これも相当な長編であると思われますので、もし読む機会があるとすれば、大分先になるのではないかと思います・・。

ともあれ、映画作品に関しては、東京でのリバイバル上映を含めて、以前に何度か観たことがあります。

映画作品の方も小説と同様、かなりの長編ではありましたが、この時代(昭和初期)に興味を持ち、あるいは、この作品自体に多少なりとも興味を持たれた方々は是非一度観ることをおすすめします。

私見ではありますが、様々な環境に関しては当時と比べ(大きく)変化しましたが、その背景にある精神的な部分に関しては、昨今のニュースなどを見聞きしておりますと「この時代(昭和初期)からあまり大きく変化【進化】していないのではないか?」と考えさせられます。

また、さらにそこから「では、そうしたあまり変化が見られない精神的な部分とは、果たして我が国特有のものであろうか?」とも考えさせられます・・。

私は日本近現代史を自身の専攻分野とした経験は持っておりませんが、周囲の環境および自身の興味から、多少の知識は持ち合わせているのではないかと考えております。

そして、そのことを前提として、当時(昭和初期)のことを扱った人文社会科学的な文献を読んでおりますと、たしかにこの時代には、我々日本人にとって「やるせない何か」が明瞭に刻印されているのではないかと考えております。

そして、戦後から現在に至るまでの様々な文化、流行一般とは、考えようによれば、この「やるせない何か」を必死に忘れる、蓋をするといった、いわば無意識的な意図が根底にあったのではないかとも考えさせられるのです・・。

そして、その「やるせない何か」あるいは「良心の呵責を生じさせるもの」の起点、原点とは「明治維新から西南戦争の間に生じた大きな価値観の変化ではないだろうか?」と、ほぼ直観的にではありますが考えさせられるのです・・。

このことをより精密に考えてみると、簡単にはいかないとは思われますが、こうしたことの根底には、どの国、地域そして時代の文化においても「男性的な要素と女性的なそれの抗争?」があるのではないかと考えさせられます。

そして『その何れか要素の過剰、均衡の崩壊などが、様々な大乱、天変地異などを引き起こしてきた要因、あるいは、そうしたものと「必然的」に同調するような性質を持つのではなかか?』とも考えさせられるのです・・。

このことは迷信的であると考えられますが、私はこうした要素は何らかの影響を歴史の進行に対し与え続けているのではないかと考えております・・。

また、最近不図思ったことは、国、地域の文化を荒廃させるには、その国、地域の女性に対して『何かしらの仕掛け』を施すことが、もっとも完全犯罪的にそれを成し遂げる方法ではないかということです・・。

これは戦前の日本を舞台としたものがたり、小説を読んでいて思ったことです・・。
さて、皆様はどうお考えになるでしょうか?」

ここまで興味を持ってこのブログ記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

今回の熊本の大地震で被災された地域の方々の生活インフラが早期に復旧し、同時に今後の復興そして、さらなる発展をされることを祈念いたします。