2016年5月5日木曜日

20160504 昭和について

先日より読み進めている野上彌生子著の「迷路」下巻はもうじき結末に至ろうとしています。

同著下巻においては、舞台背景となる時代の大きな変転から否応なく登場人物達の運命に対しても影響をおよぼし、また、読者たる私に対しても様々な感情・想念を惹起させます・・。

また、以前にもブログ記事にて記しましたが、前掲著作と類似するような物語のスジを持った著作・映画作品として「戦争と人間」が挙げられます。

原作となった五味川純平著の小説に関しては、これまでに読む機会がありませんでしたが、これも相当な長編であると思われますので、もし読む機会があるとすれば、大分先になるのではないかと思います・・。

ともあれ、映画作品に関しては、東京でのリバイバル上映を含めて、以前に何度か観たことがあります。

映画作品の方も小説と同様、かなりの長編ではありましたが、この時代(昭和初期)に興味を持ち、あるいは、この作品自体に多少なりとも興味を持たれた方々は是非一度観ることをおすすめします。

私見ではありますが、様々な環境に関しては当時と比べ(大きく)変化しましたが、その背景にある精神的な部分に関しては、昨今のニュースなどを見聞きしておりますと「この時代(昭和初期)からあまり大きく変化【進化】していないのではないか?」と考えさせられます。

また、さらにそこから「では、そうしたあまり変化が見られない精神的な部分とは、果たして我が国特有のものであろうか?」とも考えさせられます・・。

私は日本近現代史を自身の専攻分野とした経験は持っておりませんが、周囲の環境および自身の興味から、多少の知識は持ち合わせているのではないかと考えております。

そして、そのことを前提として、当時(昭和初期)のことを扱った人文社会科学的な文献を読んでおりますと、たしかにこの時代には、我々日本人にとって「やるせない何か」が明瞭に刻印されているのではないかと考えております。

そして、戦後から現在に至るまでの様々な文化、流行一般とは、考えようによれば、この「やるせない何か」を必死に忘れる、蓋をするといった、いわば無意識的な意図が根底にあったのではないかとも考えさせられるのです・・。

そして、その「やるせない何か」あるいは「良心の呵責を生じさせるもの」の起点、原点とは「明治維新から西南戦争の間に生じた大きな価値観の変化ではないだろうか?」と、ほぼ直観的にではありますが考えさせられるのです・・。

このことをより精密に考えてみると、簡単にはいかないとは思われますが、こうしたことの根底には、どの国、地域そして時代の文化においても「男性的な要素と女性的なそれの抗争?」があるのではないかと考えさせられます。

そして『その何れか要素の過剰、均衡の崩壊などが、様々な大乱、天変地異などを引き起こしてきた要因、あるいは、そうしたものと「必然的」に同調するような性質を持つのではなかか?』とも考えさせられるのです・・。

このことは迷信的であると考えられますが、私はこうした要素は何らかの影響を歴史の進行に対し与え続けているのではないかと考えております・・。

また、最近不図思ったことは、国、地域の文化を荒廃させるには、その国、地域の女性に対して『何かしらの仕掛け』を施すことが、もっとも完全犯罪的にそれを成し遂げる方法ではないかということです・・。

これは戦前の日本を舞台としたものがたり、小説を読んでいて思ったことです・・。
さて、皆様はどうお考えになるでしょうか?」

ここまで興味を持ってこのブログ記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

今回の熊本の大地震で被災された地域の方々の生活インフラが早期に復旧し、同時に今後の復興そして、さらなる発展をされることを祈念いたします。




 

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