2016年5月4日水曜日

20160503 久しぶりの対話形式について

A「これまでどうにかブログ記事の更新を続けてきましたが、最近、対話形式を止め、独白形式の文章にて記事を書いておりましたが、その内容についてどう思われますか・・?」

B「そうですね、内容としては特にAさんらしくて悪くないと思いますよ・・。
また、独白形式にて書かれた記事においても、時折ですが、面白いと思われるのもありますよ(笑)。」

A「はあ、そうですか・・それでしたらいいのですが。
あと、最近のブログ記事の1日の閲覧者は大体300~500人程度で大きな変動はありません。
それでも、時折、突風のように、1日の閲覧者が1000人近くになることもまたありますが、それはそれで「なんだか不思議だなあ・・」と思いますね・・。」

B「・・・なるほど、それではAさんの書かれた記事が対話形式から独白形式に変化しても、その読者層はあまり変化していないということになるのでしょうかね?」

A「・・ええ、数値的に考えればたしかに、そしておそらくそうなるのですが、また、独白形式を用いるようになり、より一層何といいますか、直近の投稿記事に対し、関連の強い、これまでに書かれたブログ記事を提示されているという現象を強く感じることがあります・・。
それ故、現在の独白形式に変化させることにより、より各々記事の主題が明確になり、その反応もまた明確に示すことができるようになったのではないかとも考えられます。
とはいえ、以前もこうしたことはブログ記事において示したかもしれませんが「対話形式の文章とは」独白形式のそれに比べ、相対的に、ある意見の生成過程を明晰に示すことができるという利点があるのではないかとも考えられます・・。」

B「はあ、なるほど、たしかにそういった指摘は適切であるかもしれません・・。
しかし、読み手側の立場から考えてみますと、独白形式の文章の方が、対話形式のそれに比べ、書かれた文章の主題、スジを理解しやすいのではないかと思われますが・・。」

A「まあ、たしかにそれはAさんのおっしゃる通りであるかもしれません。
そして、その点について考えてみますと、私が昨年の夏頃よりブログ記事を対話形式にて書き始めた理由とは、単純に「自分の文章が書けない!」ということで色々と自分なりに(いくらか深刻に)悩んだ結果でした・・。
その対策として対話形式にて記事を作成するということは、同時期に書籍の抜粋引用をしたことと同様「ある程度の長い目」で考えてみますと、多少なりとも有効であったと思います・・。」

B「・・なるほど、表出の仕方を変えることにより、その仕方(手法)が持つ何かが補助的な効果をもたらし、結果として、文章そのものを書くことが、それ以前に比べ容易(?)になったということですか・・。
そのようにいわれますと、たしかにそうした仕方、手法による効果といったものはあるのかもしれませんね。」

A「・・ええ、しかし、そこまで明瞭にまとめられてしまいますと、今度は果たして「そうした「効果」とは客観的な事実としていえるのか?」とも考えてしまうのです・・(苦笑)。
その意味において、対話形式の文章とは、独白形式に比べ、主題、論点などが明瞭にならない代わりに、より、表出した内容の持つ(持っていれば)微妙なニュアンスを提示することができるのではないかとも思われます。
そして、同時に、それはあくまでも書く側の視点に立ったものであり、読み手側としては
「もっと端的、明確に主題、論点を示してくれた方がありがたいのですが・・。」といった、先ほどのBさんの御意見に近いものも出てくるのではないかとも思われます。
それ故、こうしたことは、どちらか(対話形式、独白形式)が「絶対的に良い」と断言することは難しいのではないかと考えます・・(苦笑)。」

B「はあ・・いわれてみますと、そうかもしれませんね・・(笑)。
そして、それはAさんの書かれたブログ記事が読者にどのように読まれているかということを示しているのかもしれません。
つまり、対話形式から独白形式に表出の仕方(手法)を変化させても、その閲覧者数が大きく変動しないということは、少なくともAさんのブログ記事が効率性を求めるような文章としては読まれてはいないということになるのではないかと思います・・。」

A「はあ、それはなんだか、ありがたいことではないかと思います・・(笑)。」

ここまで興味を持ってこのブログ記事を読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。
また、今回の大地震により九州、熊本において被災された地域の皆様の様々な生活インフラが早期に復旧し、この地域が復興し、かつての活気が取り戻されることを祈念いたします。

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