2017年8月28日月曜日

20170827 『抽象化・解釈の仕方の傾向から我が国のことを考えてみると・・』

本日の首都圏は日中、夏らしい暑さではありましたが、日が暮れてきますと、日中の暑さは和らぎ、夜半においては幾分秋の気配らしきものをも感じさせました。

さて、ここ数日来ブログ記事題材において『抽象化』を扱っておりますが、抽象化とは換言してみますと『解釈の仕方』ではないかと思われます。

たとえば数人にてある実体としての動物を見た場合、その生物としての分類、かわいいかどうか、そして食用になるかなど、さまざまな解釈の仕方が存在するといえます。

そして、それぞれの解釈の仕方から、さらに深化したカタチにて考察、議論が為されていくのでしょうが、これにもまた各々の『解釈の仕方』が存在し、そしてそれに伴いまた抽象度が高くなっていくものといえます。

具体的な例を挙げますと『蛇』は生物的には爬虫類に分類(解釈の仕方)され、また他方、世界各地の信仰、宗教などにおいては、それぞれ地母神、豊穣、精力、死、悪魔といった多様な意味合い(解釈の仕方)を持っています。

さて、以上のことを踏まえ、特に普遍性をその学問的基礎に置く理系学問分野においては
さきの『蛇』の場合、その起点においては概ね生物学的な分類があり、そこから派生し、各々分野における特有の抽象化が為されるといえます。

とはいえ、こうした方向での考察、議論とは、その起点にあるものが(国際的な意味においても)普遍性を礎とするものであることから、たとえ言語が異なっていようが、その意味・内容を理解することが可能であるならば、多くの場合、既に為されている最先端の考察、議論に追いつく、キャッチアップすることは(比較的容易に)可能であるといえます。

そして我が国の国際間での理系学問分野における優秀さの基礎となるものとは、おそらく19世紀中葉頃において強く悟った西欧諸国の優秀な科学技術(理系学問の具現化されたもの)への効果的な対応の方法に拠るものであり、またそれ以前より古くから外来異文化の吸収を習い性としてきた我が国特有の一種のTraitにあるのではないかと考えます。

そうした(解釈の仕方の)結果として思うことは、我が国社会とは明治維新以降、断続的ではあるものの、同時に視野を少し大きく【倍率を低く】すれば継続的に、現在に至るまで、それまでも我が国社会において基調として存在していた即物、此岸的傾向を更に増強しつつ、また、まさにその一方で国際的視野において決して普遍的とはいえない固有の文化、伝統といったものを忘れ、捨て去りここに至っているようにも思われるということです・・。
【あるいは我が国の妖怪とはその象徴であるのかもしれないが、その妖怪すら現代的な解釈の仕方によって本来、古来からの意味合いを失いつつある、結句それは各時代時代において商売の道具、メシのタネにさえなれば、何でも良いのかもしれない・・(笑)

もちろんこれも解釈の仕方の一つにすぎませんが・・。

しかしその一方において(たとえ断片的ではあったとしても)事実・真実とされるものもまた、このご時世においては解釈の一つなのです・・(苦笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。