2021年9月24日金曜日

20210923 知識等の記憶に付随するものについて・・

先日投稿の記事にて述べた『通史的な記述を作成することの難しさ』ですが、これに関して私の場合、「その通史となる文章を組み立てる際に、どのような記憶を参照しているのか」ということが時代区分によって異なると云えます。

ここ最近が、何かに関する通史的な文章作成した記憶はなく、直近のもので、修士論文に「我が国における水稲耕作の伝播経路や起源などの歴史」についての文章を作成した時であったと思われます。

この文章を作成した背景には、ある地域の特徴を考察する際に、その地域をも包括する西日本における水稲耕作の伝播の様子などを概説的に述べる必要があり、その際に参照する記憶には、書籍に記述がある遺跡や遺物の出土地に赴いた時の、いわば身体感覚を伴ったものが多く、また、そのうちの多くには、嗅覚のはたらきと云える「匂い」の記憶があります。

その点において紀伊国、和歌山は、やはり古くは「木の国」であったことから、その山がちな地形を覆う森林から発する大気もまた、樹々や植物などの香気に少なからず由来しており、その大気が、吹き下ろす風により、低地にある現代の市街地にまで運ばれてくるという状態が、古くから現在まで続く当地のある種の「雰囲気」を規定しているものと云えます。

また、私がはじめに在住した和歌山県西牟婁郡白浜町は、古くからの有名な温泉地であることから、町中で見受けられる温泉からの湯気と、さきに述べた当地周辺樹々や植物などの香気が混淆し、何と云いますか「南方的な野趣に富む特徴的な大気」と感じられ、これは首都圏育ちの寒冷地である北海道から渡って来たの私としては、かなり新鮮なものであり、また、そうした経験がある程度積み重なった結果、自分の人生が変わったのだとも云えます・・。

他方で、近現代史に関する通史的な文章を作成する際に参照する記憶の場合、さきに述べた「匂い」の記憶が付随することは稀であり、概ねそれらは書籍の記述や、写真や記録映像あるいは映画等にて見知った当時の様相といった、主に視覚のはたらきに基づく記憶が参照され、そこには、さきに述べました通り「嗅覚のはたらきである「匂い」の記憶」は、「ない」とは云えないまでも、かなり少ないと云えます。

こうした、違った種類の記憶が参照されている状態にて、違った時代区分での「通史的文章」を作成していますと、我が事ながら少し面白いのですが、文章作成の仕方も変わってくるように思われるのです。

つまり、具体的には「匂い」といった嗅覚の記憶が、ある時代区分での通史的文章を作成する際に思い出されると、そこから、さらに別の「匂い」が想起せられて、その「匂い」による繋がりに、ある種の繋がりや文脈を見出し、それをアドリブ的に文章として作成し、追加することなども度々あると云えます。それに対し、近現代史を舞台とした通史的文章を作成する場合、そうした「匂い」に基づく記憶はなく、参照する記憶が少なくて済むことから、ある種、単純であると云えるのかもしれませんが、同時に、文章を作成しつつ、そこに更にアドリブ的に文章を追加するといったことは困難であるように思われます。

そしてまた、どちらが作成し易いといったことは、現時点においてはよく分かりませんが、こうしたことも、今しばらく記事作成を継続していきますと、徐々に分かってくるのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


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