2018年3月27日火曜日

20180327 叙情的・叙事的そして詩的・散文的の間に存在するある程度意味のあるコトバの連なりとは・・

驚くべきことに昨日投稿分の記事は投稿翌日にして300人以上の方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、これはこれまでに作成・投稿してきた中で最高の(投稿翌日での)閲覧者数であり、自身としては嬉しいと同時に、本日投稿分の記事に関しては、一体何を書けば良いであろうかとも思うに至ります(これは自身としては『バズった』と評しても良いのではないかと思われます・・)。

ともあれ、国際政治学分野の著作読了直後、民俗学分野の著作を読んでいる状態にて作成した、部分的には抽象的ともいえる文体の記事が、これだけ多くの方々に読んで頂けたということの背景には、単なる偶然ではなく、やはり何らかの『理由』といったものがあるのではないかとも思えてくるのです・・。

その『理由』について考えてみますと、一つにそれは日常的なレベルにおいて考えることが出来るような学問分野を持つことではないかと思われます・・。

そして、このように自身が認識し得る学問分野を持ち、そして、そこからの視座に基づいた見解(時にはいくらか抽象的であっても)をコトバの連なりとして表出することは、なかなか重要なことではないかと思われるのです。

そこで表出されたものは一面においては叙情的であり、他面においては叙事的でもあり、そしてまた同時にそれは詩的なるものと散文的なるものの間(はざま)に位置するのではないかとも思われるのです・・。そしてまた、それは単に『それらしい』ことを述べた皮相的なコトバの連なりとも一線を劃するのではないかとも思われます・・(面白いことにこうしたコトバとは男性の場合、二枚目・面相の優れた方々が述べると途端に胡散臭くなるような傾向があるのではないかと思われる・・(苦笑))。

また、これまでにも何度か述べてきたことではありますが、こうした感覚とは、自身をも含めて万人にとって不可欠であるのか分かりませんが、もしも、こうした感覚を得ようと試みるのであれば、それはさまざまな書籍・文献を読み込むのと同時に、ここからは私見ですが、手指を多用する理系学問分野の実験にある程度の期間従事することが有効ではないかと思われるのです。

そこで必然的に注視する実験の様子(動態)を言語化し、さまざまな段階の周囲の方々に『精確』に伝えようと試みることは、単にコトバの選び方のみならず、また礼儀作法とは異なったある種、原始的な能力が必要であり、それは我々が生身の人間と相対する必要性がある限りにおいては有効な能力でもあると考えることから、そのように考える次第であるのですが、しかしながら他面において、こうした能力に対して、我が国においては、古来よりそうした傾向があるのか、あるいは表層的に男女の平等化が為されつつある現在であるが故に特にそうであるのか分かりかねるところですが、それはある意味『強烈』とも評し得る要素でもあることから、排除されるといった傾向をもまた持っているのではないかとも思われるのです・・。また、この辺りに関しては平安時代末期の京都公家社会と同時期の地方武士社会の比較・接点そしてその後の歴史の経緯などを考えてみますと、ある程度図式化され得るのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年から現在までに日本列島各地において発生したあるいは今現在も継続的に発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った
(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。


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