2017年11月30日木曜日

20171129 合金について④

以前にも触れたが、これまで歯科用合金として多く用いられているものは、そのイオン化傾向の低さ(口腔内での安定性、人体為害性の低さ)から、貴金属を主たる組成とする合金であり、とりわけ金合金はその用途により、組成が異なる数種類が存在する(タイプⅠ~Ⅳ、白金加金)。

また、窩洞部への直接金修復(金箔充填)以外に用いる金合金とは、鋳造操作により所望の形状を得る手法(歯科精密鋳造)が採られるが、この手法により作製される補綴物とは、口腔内における用途により、その材料となる合金の選択が為される。

つまり、金本来が持つイオン化傾向が低く、そして展延性に富むといった性質から、その組成比が相対的に高い金合金とは、基本的に柔らかであり、大きな荷重のない部位への修復に用いられる、一方、耐食性を保持しながらも熱処理により機械的性質の向上を図ることが出来る程度に合金化された、すなわち他の金属が有意に含まれる金合金とは、荷重のかかる部位への補綴物の作製に用いられると評し得る。

とはいえ、この合金化された金合金と云えども、金の成分は70%程度以上は含まれていることから、その価格とは決して安価とは云えず、それ故、これら金合金とは保険適応の歯科用合金として用いられることはない。

そうしたことから、開発されたものが歯科用銀・パラジウム合金であり、これは通称金パラと称されているが、この合金とは分類としては銀合金であるのだが、JISの分類において金銀パラジウム合金と正式に称されていることから、以下金パラと記す。

さて、この金パラの主たる組成とはJIS規定によると金12%、パラジウム20%以上、銀40%以上(残り組成の多くが銅)と示されている。

とはいえ、その組成は時代と共に変化しており、我が国経済が振るっていた時期においては金の成分が20%含まれていた時期があったと聞く。

ともあれ、この金パラの主たる組成である銀とは、イオン化傾向は低いものの、硫化(銀の場合黒化する・『いぶし銀』とは表面が硫化した銀のこと)の傾向があり、この性質とは口腔内環境において決して望まれるものではない。

そして、この銀の硫化傾向を抑える性質を持つ金属が、金パラに含まれる他の貴金属成分である金・パラジウムであり、またパラジウムは銀の硫化傾向を抑えると同時に、熱処理によって銀・パラジウム規則格子の形成が為され機械的性質の向上にも大きく寄与している。

しかしながら、昨今は金のみならずパラジウムの価格も高騰し、この金パラの安定的供給もまた強く懸念されている。

そうした事情から近年注目を集めている歯科材料がセラミックスであるジルコニア、あるいは医科分野における人工股関節などにて以前より人体内にて用いられてきたチタン、コバルトクロム合金などであるが、これらに関しては現在もさらなる諸性質の向上が図られている実験、研究開発の最中であると云える。

ともあれ、いずれにせよ近い将来、これら材料は歯科分野において、より多く用いられることになるのではないかと考えられている。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そして力強い復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。








2017年11月29日水曜日

20171129 昔の神話・物語におけるきのこについて・・ (書籍三点よりの抜粋引用)


「アジア史概説」 宮崎市定著 中央公論社 p206
「インド文化と日本」
「日本では古来インドを普通に天竺、中国を唐(から)とよび、日本・唐・天竺の三国が世界の文化を代表するものと考えた。いわゆる三国一は世界一を意味し、三国伝来はもっとも珍奇貴重という意味であった。インドの文明は日本では仏教文化で代表されていたが、この仏教文化はたんに宗教思想としてでなく、インド文化全体日本に紹介する通路となったものであった。「今昔物語」にはインドの寓話が数多く転載され、盂蘭盆、施餓鬼などのインド行事は、中国社会を通じて日本にも伝わり、暦術、音韻学も日本に輸入された。今日もなお日本で盛んな囲碁や将棋もその起源はインドにあると認められている。」

「今昔物語」福永武彦訳 ちくま文庫 pp328-329
「今は昔のこと、京に住む木こりたちが連れ立って北山に行った事があった。すると道に迷って、どちらに帰ればよいのかわからなくなり、山の奥深く四五人ばかり集まって、嘆いていた。すると山奥のほうから人が来る様子。誰が来るのかと不思議に思っていると、四五人ほどの尼さんたちが、歌を歌い、手振り足振りで舞を舞いながら、姿を現した。木こりたちはこれを見て怖がり、舞を舞いながら来るとは、この尼さんたちはとても人ではあるまい、天狗かしらん、鬼神かしらん、などと顫えていると、尼さんたちは木こりを見つけてまっすぐにこちらに来た。
 とうとう尼さんたちがすぐそばまで寄ってきたので、木こりはびくびくしながら、「もうし、あなた方はどうしてそんなに踊りながら、山奥からおいでになったんです?」とたずねると、尼さんたちが答えるには、「わたくしたちがこんなに踊っているので、お主たちもきっと不思議に思っておいででしょうが、わたくしどもは某に住む尼です。花を摘んで仏さまにお供えしようと、連れ立ってこの山に登りましたが、道に迷って帰れなくなりました。そこにたまたま茸が生えているのを見つけて、ひょっとこれを食べたらあたるかもしれないとも思いましたが、空腹のあまり飢えて死ぬよりは、いっそ食べましょうと思って、焼いて食べました。たいそうおいしかったので食べて良かったと思ううちに、いつのまにか、その気でもないのに手足が動き出して、この様に舞を舞い始めました。不思議なことと思いますが、何とも止めようがありません」と言って踊っているので、木こりたちも話をきいてあきれはてた。
 しかしこれらの木こりたちも、やはりしだいに腹がへってきたので、尼さんたちが食い残してなお持っていたその茸を、死ぬよりはましだともらいうけて食べた。そうすると木こりたちも、ちっとも気がないのに同様に手足が動き出した。そこで尼さんも木こりも、お互いに舞い続けながら相手の踊るのを見て笑った。しばらく踊ったのちに、どうやら酔いがさめたような気分になって、どこをどう歩いたともわからぬうちに、おのおの自分の住まいに帰った。こののち、この茸のことを舞茸と呼んだ。思えばたいそう怪しいことである。近頃でもこの舞茸というものはあるが、それを食べても必ず舞うとは限らない。どういうわけか不思議千万だ、という話である。」(巻廿八第廿八話)


「ギリシャ神話・新版」ロバート・グレイヴス著 高杉一郎訳 紀伊国屋書店 pp8-9 
「あるエトルリアの鏡のイクシオーンの足の下に、一つの生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)が刻まれている。イクシオーンは神々のところで神々の食べ物(アムブロシアー)を食べたテッサリアの英雄だった。彼の子孫であるケンタロウスたちもまた、この生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)を食べたのだとする私の説は、いくつかの神話であきらかにすることができるし、のちになってノルウェーの「狂戦士たち」(バーサークス)が戦闘にのぞんで危険をかえりみぬ力を発揮できるように生のきのこ(アマニタ・ムスカリア)を食べたことは、何人かの歴史家たちが証言している。現在の私は、神々の食べ物(アムブロシアー)と飲み物(ネクタル)というのは、麻酔力のあるきのこだったと信じている。まちがいなく生のきのこだったし、ひょっとすると、なかに小さくてほっそりした糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)も混じっていたかもしれない。糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)は無害だが、ひどく楽しい幻覚をひきおこすのである。糞きのこ(パナエオロス・パピリオナケオス)に似ていなくもないきのこが、アッティカの壺の上のケンタロウスのネッソスのひづめの間に描かれている。神話の中で、神々の食べ物(アムブロシアー)と飲み物(ネクタル)が捧げられた「神々」というのは、前古典時代の聖女王と聖王だったのだろう。タンタロス王が犯した罪というのは、彼が禁制(タブー)を破って神々の食べ物を人間の友人たちにわけあたえたことだった。
 ギリシャでは、神聖な女王権も聖王権もやがて衰えていった。すると、神々の食べ物(アムブロシアー)は、ディオニューソスとかかわりのあるエレウシース、オルペウス、その他の秘教の聖餐になったらしい。どの場合も、その参加者たちは、何を食べ、何を飲んだか、どんな忘れがたい幻影を見たかについてはかたく沈黙を守ることを誓った上で、不死の生命を約束されたのだった。オリムピックの徒競走に勝利しても、もはや聖王権があたえられるわけではなくなったのちの優勝者に与えられる「神々の食べ物」(アムブロシアー)はあきらかに代用品で、いろいろな食べ物私が「ケンタウロスたちはなにを食べていたか」という本のなかに書いたように、その頭文字がギリシャ語で「きのこ」になるようないくつかの食べ物を混ぜ合わせたものだった。神々の飲み物(ネクタル)や、デーメーテールがエレウシースで飲んだはっか(ミント)の香りのする飲み物のつくり方を記している古典作家たちの文章を読み取るとどちらからも「生のきのこ」という文字が出てくる。
 私は、メキシコのオアハカ州のインディアンたちが遠い昔から神々の食べ物(アムブロシアー)だとしている幻覚を引き起こすきのこを自分でも食べたことがある。そのとき、女祭司がきのこの神トラロックを呼び出す声も耳にしたし、理解を超える幻覚も見た。だから私は、この古代の祭式を発見したアメリカ人R・ゴードン・ワッソンが、ヨーロッパ人の天国と地獄に関する観念は、これに似た秘教から生まれたのではないかという説に心の底から賛成である。トラロックの神は電光のなかからあらわれるが、ディオニューソスもやはりそうだった。ギリシャの民間伝承でも、メキシコのマサテクでも、きのこはすべて一般に、どちらの国のことばでも「神々の食べ物」になっている。」



ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」平凡社刊pp.32-36より抜粋

南北戦争(1861~65)において、実戦で役立つ機関銃が初めて現れ、それ以後、機関銃は急速に発達する。発展の舞台は、ほぼアメリカに限られるので、本書もこれから先はこの国を中心に論じることになる。
1860年には、アメリカはイギリスに次ぐ世界第二の工業国となっていた。なかでも、それまで熟練工がやっていた仕事を引き受ける機械の発達と、それらの機械を一つの工場に集めたという点で、他のいかなる国よりもはるかに先を行っていた。こうした工業的優位には、いくつかの理由がある。最も重要な理由は、19世紀初期のアメリカが深刻な人手不足に悩まされていたことだろう。
新しい工場が労働力を確保するためには、高賃金を支払わなければならなかった。製品の値段をあまり上げないとすれば、この高い賃金で雇った労働力の生産性自体を高めるしかない。
そこで、労働者一人当たりの生産性を高めるために、機械と合理化された集中生産設備が導入されることとなった。
二番目の理由として、初期に使われていた機械のうち、完全にアメリカ製のものはごくわずかしかなかったという事実が挙げられる。
殆どの機械はすべてヨーロッパのデザインもしくは製品を模倣したものだった。
しかし、こうした機械を初めて活用したのはアメリカ人だった。というのも、アメリカには、機械化された自分たちの伝統的な生活様式を脅かすものとみなす組織だった職人階級が存在しなかったためだ。
実をいえば、機械の能率に頼らず人間の技能を基になんらかの大量生産の試みに取り組める職人など、そもそもほとんどいなかったのである。
機械的な大量生産方式の先駆者、イーライ・ホイットニーは、こうした生産方法を取り入れた理由を簡潔に述べている。
その目的は、「長年の訓練と経験によってのみ培われる職人の技能を、正確で能率的な機械作業に置き換えることである。その種の技能は、わが国ではいまだに一定の水準に達していない。」こうして「物を作る機械を作るための新しい方式が、アメリカで生まれた。それは単純ではあったが、広範な影響を及ぼす変化であったため、伝統や制度、確立された技能に支えられたヨーロッパでは受け入れられるのがむずかしかった。」
かくして、アメリカ人は世界のどの国よりもずっと早く機械化された産業に依存するようになっていた。
さらに、こうした機械そのものを製造しなければならず、それも単なる人間の技能の限界ではなく、機械の能力という観点から考えなければならない必要性から、より高性能の機械を作り出すことに精力を傾ける専門家の集団が登場してきた。
この結果、工作機械産業の最初の重要な発展が見られ、切削、研削におけるさまざまな金属の特性が研究されるようになった。
そして、機械ならほとんど正確に、まったく同じ寸法の部品を何度でも作れるという特質に新たな関心が集まった。
19世紀アメリカでは、「人間ではなく、機械が専門家となったのである。」機械への依存は、もう一つかなり重要な側面を持っている、ごく初期から、工作機械はつねに小火器の製造ときわめて密接にかかわっていた。
どの国の軍隊でも、たえず同一の装備、たとえば武器、軍服、装具などを大量に必要としていたことを考えればおそらくこのつながりをよく理解できるだろう。
しかし、なかでもアメリカは特殊なケースだった。ヨーロッパの軍の発注、とりわけ銃の注文に対しては、昔から何人もの銃工たちが力を合わせて請け負うことになっていた。
16世紀から18世紀のあいだ、軍事技術はほとんど停滞状態にあったため、どの国の軍隊も、一度に大量注文を出さずに、長年こつこつと銃を蓄えることで、とくに問題を生じることはなかった。
しかし、アメリカでは職人の作った銃を蓄えておくという歴史もなく、さらに軍の需要を満たすだけの銃工がいなかった。
しかも19世紀はじめの軍の発注は特に急を要した。なぜなら「15年前、独立を勝ち取ったときに使っていたマスケット銃はフランスなどヨーロッパで作られたものだったからだ。
(中略)それ以来、アメリカでは軍の武器がほとんど作られていない。(中略)事実上、この国は無防備状態といえる。」この事態を解決するには新しい技術者たちに頼るほかなかった。
この分野での偉大な先駆者がホイットニーだった。1798年、アメリカは何の軍備も整わないままフランスとの戦争に突入しようとしていた。そこでホイットニーは、向こう二年四ヶ月以内に一万丁のマスケット銃を製造するという契約を政府と交わした。実際には、契約通り銃を納め終わるまでに十年の年月を必要とした。しかしここで重要なのはホイットニーが納期を守れなかったことではなく、このような早い段階ですら、アメリカでは、武器の製造と工作機械の結びつきがしっかりと確立されていたという点である。
この時代、初めて実用に耐えうる機関銃がアメリカに現れたという事実については、認められるかぎりで、主な理由が三つある。
まず第一に、19世紀初期のアメリカ社会の特殊性にために、生産能力を増強したいと思えば、機械化と効率的な生産方式に頼らざるを得なかった。
そのことが、より複雑な機械の製造に関する新たな専門知識と関心をもたらし、より耐久性のある金属と、ますます高い精度が問題にされるようになった。
第二に、こうした工作機械の発達がつねにアメリカの小火器産業の発展と密接な関連を持っていたことである。
したがって、信頼性のある機関銃を作るという難問を最初に解決したのがアメリカ人であったことは、さほど驚くにあたらない。
第三に、もっと一般的なレベルで、このような機械への依存が、機械のもつ無限の可能性という新たな信仰を、そして十分な努力を続けさえすればどんなものでも自動化できるはずだという信念を、生み出したことである。
したがって、アメリカ人が最初の機関銃を製造するための道具とノウハウを持つようになったのはごく自然なことであり、また同じように、殺人をクランクを回すかボタンを押すという次元の問題に変えてしまうことを本気で願ったのがこの国の人間だったというのも、まったく理に適ったことではないだろうか。
以上が、性能のいい自動火器がアメリカで発展するための前提条件だった。しかし、この武器が実際に日の目を見るようになるためには、もう一つ、きわめて特殊な事件がかかわっていた。それが南北戦争である。すべての専門家が口を揃えて言うように、この南北戦争こそ、まぎれもない史上最初の近代戦であり、ここで初めて新しい技術の威力が発揮されたのである。


機関銃の社会史
ISBN-10: 4582532071
ISBN-13: 978-4582532074

2017年11月28日火曜日

犠牲獣を伴う雨乞い祭祀について

水神の池や淵に牛馬の首など不浄のものを投げ込む、あるいは汚物を洗う」という雨乞い祭祀とは現代の我々から見て、その血生臭さ故に嫌悪感を覚え、自身の祖先達がその様な祭祀を行ったことを認めたくない気持ちが働くのではないかと考える。

しかし、現代の我々から見て過去に為された忌まわしいと感じるものの内部にこそ、我々が意識、無意識を問わず継承され続けている観念の重要な構成要素が存在するものと考える。

また、上記のような犠牲獣を伴う祭祀とは、田畑から収穫される作物を供物とする場合と同様、世界的に見て一般的であり、特に驚くに値しない。ただ、それが現代の我が国日常において見受けることがないという理由に因り嫌悪感を覚えるのではないだろうか?

そして逆説的ではあるが、それ故にこそ、犠牲獣を伴う雨乞い祭祀の背景観念、それが為された理由とは、その地域性を映すものとして検討・考察に値すると考える。
我が国における犠牲獣を伴う祭祀全般は、概ねその血生臭さ故に発達した血穢、道徳観念と折り合いが悪くなり、あるいは家畜の有用性に基づく観念が、神、神々に対する畏怖の観念を凌駕する様になった結果、形骸化もしくは廃された。
そしてそれに伴い原初よりその祭祀が保持していた可逆性・相補性の遂行と云う劇的な性格をも喪失したと云える。ここで、犠牲獣を伴う祭祀が本来保持していた可逆性・相補性の遂行の内容を以下の引用を以って説明する。

浄と不浄とは、可逆性・相補性を本質とする。もっとも穢れた不浄なものがときにもっとも強い神秘力(浄)を有する、と信じられている。月経または分娩のさいの血や、人肝・人肝が、不治の「業病」とされたハンセン病や疱瘡などに効くという信仰などは、日本をはじめ世界の諸民族にみいだせる。ことに、身体の内/外にまたがる分泌物としての血は汚染するものであると同時に清潔にするものであり、穢すものであると同時に浄めるものである、という両義性のよくしられたメタファーである(赤坂(2004)・p.92)。

以上引用部に示される観念とは、おそらく我が国において古来より存在し、縄文、弥生時代の人骨から多く見出される抜歯などの通過儀礼的風習なども、この観念が発露、顕現されたものであると考えられている。
苦痛、被害など人間に対し負の効果をもたらすものを不浄の要素であると考えると、逆に快楽、利益などは正の効果をもたらす浄の要素であると考えることができる。そしてこれらは分離、独立したものではなく、可逆・相補性を持つ、あるいは繋がったものであると古来より認識されていた。

そして以上の様な可逆・相補性に基づく観念に拠って犠牲獣を伴う祭祀は為されていたと考えられる。我が国におけるこの種の祭祀とは、遺跡等から縄文時代より行われていたと考えられているが、これらは主に猪、鹿等の野生動物であり、家畜でないと云う点において前述雨乞い祭祀の背景観念と異なると考えられる。

野生動物、家畜を犠牲獣として供する祭祀をそれぞれ検討した場合、野生動物とは、本来神に近い領域である自然からの恩恵として感謝を捧げ、また、その恩恵の継続を祈願する意味合いが強く、それ故、狩猟採集社会的色彩が強いと考えられる。また、一般的に野生動物を狩猟にて獲得する為には、その対象が何であれ闘争的要素を介さなければならない。
闘争を介することにより、その獲得の成功とは不可知の要素に大きく依存する。加えて、その獲得に払った犠牲等が多い程、多くの価値をそこに見出すことを可能にする。その結果、不可知の要素に感謝する意味で、神に対する感謝の念を惹起させる傾向が強くなる。

それに対し、水稲耕作を含む定住的な農耕社会における家畜としての性質が強い動物である牛を犠牲獣とする場合、神に対して感謝の念を示すと共に、その出自が神に近い自然でなく、人間に近い領域であることから、より神に対して祈願する為の人間側からの供物という意味合いが強くなり、その上で前述の可逆性・相補性の遂行と云う要素は継続、保持し続けた。

以上のことから、牛などの家畜を犠牲獣として供する祭祀とは、古来よりの可逆性・相補性の遂行という要素は継続、保持しながらも、同時に神に対する感謝よりも祈願の方により重点を置いたものであったと考えられる。

また、犠牲獣を伴う祈願とは、それが家畜である場合、単に犠牲獣を物質的に無化することではなく、そこに認識される有用性のみを破壊することであり、同時にそれは、祭祀に係る全ての人間が犠牲獣に感情移入することにより、自らを束縛する現状での有用性の絆をも一時的にではあるが断ち切り、新たな生まれ変わりを意味するものであった。

それ故、この祈願が日照り、旱魃といった現状の打破を強く望む状況において為されることはきわめて自然であり、また、これと類似した一連の作用機序(メカニズム)とは、現代社会においても多く見受けることが可能であると考える。



2017年11月27日月曜日

20171127 ニュートラル状態・マトリックスとしての散文形式文章の重要性について(820記事到達)

【本日分の投稿記事は散文形式にて作成します。】
本日分の記事投稿により、総投稿記事数が820に到達します。

これはあまり区切りが良い数字というわけではありませんが、今現在において820記事に到達することが出来れば、本年中にて無理なく850記事にまで到達することも出来る目算が立ちます。

またさらに、そのペースを保持し記事作成を継続することにより、来年2月中に900記事にまで到達することが出来る目途もまた立ちます。

しかし他方、ほぼ毎日日課のように作成しているブログ記事ではありますが、果たしてこの先どの程度まで継続しようかとは、あまり考えたことがありません・・(笑)。

案外とこうした(はじめと終わりの認識が希薄であり、現在の成り行きこそ(もしくは現代風にアレンジすると(今ここ)が重要であるといった感覚(中今の思想?))こそが本来の意味において日本的であるのかもしれません・・(笑)。

もとい、それでも1000記事程度まではどうにか続けてみたいと考えいますので、これまであまり面白くない記事が多いであろう、一連のブログ記事を読んでくださっている皆様、今後ともどうぞよろしくお願します。

そういえば昨日は休日ということもあり、歯科材料学関連の記事(書籍からの抜粋引用ですが)と古代史に関しての記事と二本立てにて作成しましたが、休日であるためか、双方共に思いのほか多くの方々に読んで頂けました(閲覧者数双方60程度)。

さらに、未だあまり多くはない歯科材料学関連の記事ではありますが、それでも多く読まれる記事と、そうでない記事といった傾向もまた認められます。

さきほど、そのことが多少気になり、それらの間にて如何なる相違があるのかと、いくつかの記事を読んではみましたが、残念ながらそれが何であるかは分かりませんでした・・(苦笑)。

ともあれ、歯科材料学関連の記事もまた今後定期的に投稿することにより、作成可能な記事数も増え、そして1000記事程度まで作成することが出来るかもしれないと考えさせられました・・。

そして
、それと多少関連するかもしれませんが、自身としては比較的重要であると思われることは歯科材料学、古代史、民俗学といった複数分野における比較的硬質な文章(記事)を作成する際、何と云いますかマトリックスのようなものとして、こうした散文形式の記事が存在することではないかということです・・。

このニュートラルあるいはマトリックスとも云える文体(散文形式)が存在するからこそ、各々どうにか書くことが出来るのではないかと思われます。

そして、このニュートラルな文体(散文形式)とは未だ自身に(完全に)定着しているものと断言することは出来ませんが、そうであっても、おそらくかつての自身が忘れていた、あるいは欠如していたのは(感覚的ではありますが)『これ』ではないかと思われるのです。

また別件ではありますが、先日来より遅々とではありますが読み進めているYuval Noah Harari著『Sapiens: A Brief History of Humankind』はようやく全体の20%程度にまで至りました。歯科材料学の洋書も大事ではありますが、こういった書籍も今後さらに読み進め、どうにか読了に至ることが出来ればと考えています・・(笑)。

今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでの日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った
諸地域のインフラの復旧・回復そして力強い復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。




















2017年11月26日日曜日

20171126 六世紀代における社会の変動と古墳造営の傾向について

さきにも述べたが五世紀代より六世紀初頭にかけてヤマト王権は列島各地に割拠していた土着豪族の制圧・服属を目的とする軍事活動を展開していた。

その最後の大規模なものがおそらく六世紀初頭、継体天皇御代における磐井の乱の鎮圧・平定であったと云える。

列島における一連の軍事活動に勝利をおさめた後、ヤマト王権は制圧・服属した地域に対し屯倉(ミヤケ)・国造・部の制度を導入し、土着勢力をヤマト王権内部に組み込み、税となる物品を収める倉庫を各地に築き、土着豪族をヤマト王権出先機関の長(国造)とし、王権に対し職業を通しての奉仕を行う集団(部民)もまた各地に設置した。

こうした国内での動きを反映したものが、さきに書いた六世紀代より爆発的に増加した群集墳であり、またそれと反比例するかのように、衰退したものが比較的大型の前方後円墳の造営であると云える。

これをさきに述べたヤマト王権の支配領域拡大(もしくは統一王権の成立)と連動させ考えると、土着豪族勢力の衰退に伴う、在地有力農民層の勢力拡大により、古墳造営が可能な層の絶対数が増加したことを示していると云える。

あるいはこれを異言すると、それまで土着豪族が地域の人々を使役し造営していた比較的大型の前方後円墳がヤマト王権による既存土着豪族勢力の制圧により、その造営が困難となり、その一方において、これまでは古墳の造営が困難であった有力農民層、あるいは新たに入植したヤマト王権の有力部民層などが、ある程度まとまって小規模の古墳を数多く造営したものが六世紀頃より爆発的に増加した群集墳であると云える。
(これは紀の川下流域、和歌山県和歌山市の岩橋千塚古墳群を実地に見学されることを推奨します。)

さらにこれを端的に表現すると、前方後円墳の造営が著しく減少するのに伴い、群集墳の造営が盛んとなり、そして、その背景にはヤマト王権の地方への勢力拡大と、陰の部分としての土着豪族勢力の衰退があると云える。

とはいえ、畿内ヤマト王権においては六世紀代においても大型の前方後円墳は造営され続け、有名なものとしては大阪府高槻市の今城塚古墳、奈良県橿原市の(見瀬)丸山古墳などが挙げられ、それぞれ継体天皇、欽明天皇の真の御陵ではないかと考えられている。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨年から現在に至るまでに日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。









20171126 Published by Wiley-Blackwell written by J. Anthony von Fraunhofer『Dental Materials at a Glance』p.35より抜粋

Published by Wiley-Blackwell
written by J. Anthony von Fraunhofer
Dental Materials at a Glance』p.35より抜粋
ISBN-10: 1118459962
ISBN-13: 978-1118459966


15.1 Gold and noble metals
1 Pure gold: Now of limited use, gold formerly was used as a direct filling material because it welds to itself under pressure. Gold is embrittled by Pb, Bi, and Hg and typically is alloyed with Cu, Ag, and Pt to improve its mechanical properties.


2 Noble metals: The noble metals are elements with high electropositive potential, i.e. resist electrochemical corrosion. They are dense, have a high melting point(MP), and resist oxidation at temperature.


3 Platinum: Pt foil is used as a matrix for fused porcelain(PFM)restorations because of oxidation resistance, high MP, and expansion coefficient similar to porcelain that prevent metal buckling or porcelain fracturing during temperature changes. Pt addition of ≤ to gold improve its hardness and elasticity but lighten its color.


4 Palladium: Pd has lower cost and is less dense than Pt and has the lowest MP of noble metals; it is used as alloying element for Au and Ag but whitens color of Au. White golds contain large amounts of Pd and Ag. Pd occludes hydrogen when heated, requiring care during melting.


5 Iridium, ruthenium, and rhodium: These are added in small amounts(ca. 50ppm)as grain refiners for casting alloys.


15.2 Precious metals
Precious metals have high cost but are not necessarily noble(e.g., silver). Silver is a precious but non-noble metal that is ductile, malleable, highly conductive, and harder than Au but has lower MP. It is susceptible to corrosion(improved by Pd addition), especially in S and Cl media. Pure Ag occludes air and O2 on melting, reduced by 5-10% additions of Cu. Ag readily alloys with Au and reduces red color of Au-Cu alloys.


15.3 Gold alloys
15.3.1 Carat and fineness of gold
Gold content is traditionally designated by the carat(1k=1/24 of the gold content )or fineness; these terms now are rarely used in dentistry.


15.3.2 Gold copper alloys
Au and Cu form a continuous series of solid solutions, stable above 424℃ but transforming into the ordered phase AuCu and AuCu3 below 424℃. The face-centered cubic AuCu3 phase structure is not found in dental alloys. AuCu has face-centeredtetragonal structure, the unit cell being a cube with Au atoms at the center of the side faces. The high-temperature cubic lattice transforms to a tetragonal lattice at lower temperatures, hardening the alloy by inducing localized strains that inhibit dislocation movement.

Specification of gold content of yellow alloys is 62-92.5 wt.% or 34-78 wt.%. AuCu contains 75% gold by weight but only 50% of the number of atoms; also, increasing Cu content decreases MP. Slow cooling to RT allows transformation to ordered tetragonal AuCu with attendant strength increase, which is the basis of gold alloy heat treatment. At minimum 75% gold content is required for corrosion resistance and for good castability.

20171125 しばらく歯科材料について書いて思ったこと(散文形式)

ここ数日にわたり歯科材料に関することを主題として記事を作成してきましたが、その間の閲覧者数はあまり大きく増減することなく現在に至っています。

その一方、それ以前に書いた民俗学、古代史、考古学などを主題とした記事と比較してみますと、若干その閲覧者数は減っているのではないかとも思われます。

とはいえ、未だ歯科材料について書いた記事の数はそこまで多くありませんので、今後しばらくこれを主題として書き続けた後に改めて考えてみようと思います。

また、記事の書き易さについては歯科材料であれ、民俗学などであれ現在のところはあまり大きく変わらないものの同時に『継続して書き続ける』ということに主眼を置き考えてみると感覚的ではありますが民俗学など文系学問に属することを書いた方が良いのではないかと思われました。

しかしながら、この歯科材料と文系の双方とは、記事作成において本質的に互いに対立し合うものではなく、作成者からすると単純に共に運用可能なものということになります。

あるいは記事によっては双方互いに連動させようとは試みているものの、これまでのそうした試みとは自身が納得出来る程度にまでは至っていません・・(苦笑)。

これは特に自身の達成目標が高いということでもなく、おそらく自身の知識あるいは文章能力の不足に因ると思われますので、今後も双方知識を合金化させたような文章を書くことが出来ることを目標として今しばらく記事作成を継続します。

また、そのように考えてみますと、たとえ現時点においては、さきに述べた通り、少なからず不足していると自覚される知識、文章能力ではあっても、それは同時にブログ記事作成をはじめた当初に比べますと、色々と書き、そして表現することは出来るようにはなってきているとも思われますので、少なくとも現時点においては『間違いではなかった』のではないかとも思われます・・。

本日はまた、散文的な文章にて書きましたが、明日よりしばらく再度歯科材料(貴金属合金)について書いていこうと思います。

ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

昨年から現在までに日本列島にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。



再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。










2017年11月25日土曜日

20171124 合金について③

歯科に用いる合金とはほとんどが固溶体であり、この固溶体とは、固体ではあるものの、幾つかの金属が溶け合っている状態であることを示す。

ある二種類の純金属に熱を加え、それぞれの溶融点以上にまで達し、坩堝の中にて溶け、混ざり合ったものが冷却されると、ある温度幅(固相点)にて凝固する。

そして、この凝固した状態においてもなお双方の金属が分離せず、混ざり合った状態であることを固溶体の合金と云う。

また、固溶体とは混ざり合う金属原子の大きさにより、さきに触れたが置換型、侵入型として分類される。

置換型とは固溶体構成金属各々の原子の大きさがあまり変わらない場合における合金であり、侵入型とは構成金属原子の大きさが大きく異なる場合の合金であると云える。

ほとんどの歯科用貴金属合金とは、前者の金属原子の大きさがあまり変わらない置換型であり、この場合、さきに述べたように各々の金属原子が互いに混ざり合っているのだが、その各々の金属原子の混ざり方、並び方が不規則である場合と交互に規則的に並んでいる場合があり、前者の並び方を不規則格子と云い、後者の並び方を規則格子と云う。

加えて合金とは、構成金属原子の偏り(偏析)が可及的に小さい方が機械的強度およびその他諸性質が優れていると云える。

とはいえ、実際の合金を用いた鋳造操作により、鋳上がった当初の補綴物とは、合金が溶けている液相状態から固相状態の固溶体に至るまでの凝固の過程において、合金構成金属の融点の相違、その他により多くの場合、金属原子の偏り(偏析)が生じる。

そして、この偏析を除去する操作が軟化熱処理(容体化処理)であり、歯科にて多く用いる貴金属合金の場合、700℃程度まで加熱した後、急冷する操作である
(*鋼でこの操作(赤熱~急冷)を行うと硬化熱処理となる)。

この軟化熱処理(容体化処理)を行うことにより、合金の機械的強さ、硬さなどは一時的に落ちるもののさきの金属原子の偏り(偏析)は解消される。

とはいえ、この状態においては各々金属原子の並び方は不規則であり、ここからさらに補綴物に対し機械的強度の向上を試みる操作が硬化熱処理であり、歯科にて多く用いる貴金属合金の場合、450℃程度まで炉内にて加熱し、15~30分間かけて250℃まで温度を下げ、そこから徐冷する操作である。

この硬化熱処理の操作により合金中の金属原子は規則格子を形成し、機械的強さの向上を図ることが出来る。

とはいえ、さきに述べた金合金の場合、これら熱処理に対応可能なものはタイプⅠ、Ⅱ以外の金合金であり、これはある程度の銅の添加量がないと金と銅の規則格子が形成されないことに因る。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


昨年より現在までに日本列島にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

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2017年11月24日金曜日

20171123 合金について②

歯科用合金とは、はじめに大きく分類すると貴金属合金と非貴金属(卑金属)合金となる。

貴金属合金とは主に金合金、銀合金などによって構成され、一方、非貴金属合金としてはコバルトクロム合金、チタン合金、各種ステンレス鋼などが挙げられる。

これら合金は貴金属合金の方が一般的に高価であるが、この『貴』という意味とは、価格あるいは市場経済に基づく価値の付与からの意味での『貴』ではなく、さきにも少し触れたが、金属のイオン化傾向の度合い、程度により決まる。

すなわち、イオン化傾向の低い金属が貴金属、そしてそうでない金属は非貴金属(卑金属)となる。

口腔内のさまざまな環境を考慮した場合、歯科補綴物、充填などに用いる金属とは当然ではあるがイオン化傾向の低い貴金属の方が適していると云える。

それ故、特に近年に至るまでは歯科用合金として最適、最高とされたのはイオン化傾向が金属内にて最も低く、かつ操作性に長けた(高い展延性)金を基調とする合金であった。

また、その産出が無限であり、且つ審美性(生体再現性?)および厳密なる生体適合性(生体為害性の排除)を追求するのでなければ、金合金とはたしかに理想的な歯科材料であると云える。

それ故、これまでに開発された金を基調とした歯科用合金とは、その目的用途に応じ数種類存在する。

そして、以下にそれら金合金についての記述を先ずはじめに医歯薬出版刊 『歯科技工辞典』より抜粋引用する。
ISBN-10: 4263430204
ISBN-13: 978-4263430200


タイプⅠ金合金
ADAS鋳造用軟質金合金、ビッカース硬さ90以下、伸び18%以上、20~22カラット金合金がこの合金に相当する。あまり応力のかからない単純インレーに適し、バーニッシュが容易である。

タイプⅡ金合金
ADAS鋳造用中硬質合金、ビッカース硬さ90~120、伸び12%以上、白金元素をほとんど含まないが、機械的性質に優れているため、インレー、クラウン用として利用価値は大きい。

タイプⅢ金合金
ADAS鋳造用硬質金合金、ビッカース硬さ120~150で、伸び12%以上のもの。硬化熱処理が可能であり、四分の三冠や高い応力を受けるクラウンブリッジに使用される。軟化状態でバーニッシュ可能で、広く使用される。

タイプⅣ金合金
ADAS鋳造用鋳造用超硬質金合金、硬化熱処理後ビッカース硬さ220以上。伸び2%以上のもの、クラスプ用、床用およびロングスパンブリッジに使用する。白金加金に相当する。

白金加金
金銀銅三元合金に白金ないしパラジウムを加えた金合金。都市ガス-圧縮空気炎で融解できるよう鋳造用のものは白金族金属の総量が10%未満で、タイプⅣ金合金と同じである。補綴物の維持装置用には最適。

参考サイトURL:http://www.yamakin-gold.co.jp/prdct_dental/alloy/golda03.html

こうして改めて書写しておりますと、他の書籍における同項目の記述が気になってきますので、次回の記事はそれらを抜粋引用してみようと思います。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


昨年から現在までに列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域のインフラの復旧、回復そして復興を祈念しています。

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2017年11月23日木曜日

20171122 合金について①

今回は合金について書きます。
歯科用金属とはさきに述べた金属箔充填以外においてはほとんど合金を使用している。

では何故それら金属を合金化して用いるのかと考えると、その一番大きな理由とは、合金化することによりさまざまな機械的性質が向上するからであると云える。

当然ではあるが、合金化とは二種類以上の金属元素を混ぜたものであり、これは金属元素が他の金属元素と置換したり、転位が生じたところに他の金属元素が侵入したりすることにより生じる。

そして、それら(金属元素の置換・侵入)が生じることにより、合金化され、より緻密な構造となり機械的性質が向上する。

その代表的なものが炭素を微量(~2%)添加した鉄の炭素鋼(侵入型合金)であるが、これは通常の鉄に比べ大幅に強度が向上している。

また、合金化することにより各々金属単体である場合に比べ溶融点、液相点が大きく下がることがある。

その代表的なものがロウ付けに用いるロウ(合金)であり、具体的には銀ロウなどはその主成分は銀と銅であり、各々の融点は961℃、1083℃であるのだが、これらを合金化した銀ロウになると、その液相点は大体620℃~780℃の範囲に収まり、かなり溶融温度が下がると云える。

加えて、それに関連することであるが、合金化することにより溶融に至る温度に幅を持たせることが出来、それにより鋳造などの操作がより容易となる。

事態の理解のために、逆の事例にて考えると金属単体にて鋳造を試みようとする場合、バーナーの炎にて熱を加え金属が溶融し、鋳造操作を試み、わずかに炎を金属から離すことにより、溶融状態の金属は即座に凝固してしまい、鋳型内部全体まで溶湯が侵入しない、いわば湯流れが悪くなるといった事態が生じ易くなると云える。

それ故、特に鋳造に用いる合金などの場合、その液相点と固相点はある程度の幅を持っていた方が操作性が良好であると評し得る。

次回もまた引き続き合金について書きます。


今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
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2017年11月21日火曜日

20171121 歯科材料の分類:② 金について

さきの記事において、その良好な諸性質により、金が最も歯科材料として優れていると考える方々が少なからずおられると記したが、その背景について今しばらく記すと、まず、金とは、他の金属のように鉱石より還元、精錬といった高温の炎を用いる工程を経ずに、砂金のように自然界からそのまま金属の状態にて得ることが出来ることが挙げられる(鉱石に対して炎を用いる精錬方法もあるが)。

もとより、その産出地域はある程度限定されるのだが、この性質に加え、比較低い温度(1064℃)にて溶融可能であることから、おそらく我々人類がはじめて用いた金属とは金であったのではないかと考えられている(銀の融点が961℃しかし還元、精錬が必要)。

また、純金であれば、その表面に酸化膜が生じないことから、たとえば、金箔の上に別の金箔を被せ、圧接すると、それは熱を加えずとも一体化する(粘土のように)といったことが生じる(一種の冷間加工が可能)。

さらに、この金の性質を生かし、う蝕部を除去した歯の窩洞部位に、金箔を積層、充填していく治療法(金箔充填)がかつては一般的に行われていた。

【以下暫時教科書よりの抜粋引用】
医歯薬出版社刊 『要説 歯科材料学』P.68
ISBN-10: 4263454499
ISBN-13: 978-4263454497

『2枚の純金を重ねて圧接すると、その接触点で金属結合が形成され、Auは熱を加えないでも鍛接される。純金充填物(pure gold filling)を築造するときに、この冷間鍛接性(cold welding)が利用される。2枚のAuの表面は密着するように完全に清浄にしておかなければならない。また加える力は、金属結合を形成するように十分に大きくなければならない。
凝着性金(cohesive gold)は一般に厚さ約0.001㎜の非常に薄い純金の板、すなわち箔(gold foil)の形で使用する。窩洞に充填するさいに、1枚1枚の箔が、すでに充填されている箔に鍛接されることになる。吸着したグリースやガスがあると鍛接の妨げになるので、これを除去するために、一般に金箔を使用する前に電気炉かガス炎で約250℃に加熱する。充填中の汚染を避けるために、充填する歯を唾液に触れないようにし、十分に乾燥させておかなければならない。』

とはいえ、この金属としては加工し易い、柔らかな性質を持つ金とは、窩洞部における金箔充填といった場合であれば、特に問題はないのかもしれないが、咬合などが関与する、ある程度の機械的強度が要求される部位の歯科治療を行うに際の材料としては不都合であると云える。

そのため、金の持つ優れた諸性質をできるだけ生かしつつ、その機械的強度を高める工夫が為された。

その工夫とは合金化そして熱処理であるが、それらについては次回の記事に記す。

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまで列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸地域のインフラの復旧、回復および復興を祈念しています。

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2017年11月20日月曜日

20171120 歯科材料の分類:①

歯科に用いる材料も含め、一般的に我々の身の回りにある『物』の材料とは以下の四つに分類することが出来ます。
①:有機材料 ②:無機材料 ③:金属材料 
④:複合材料

そして、全ての歯科材料とは、この四つのうちの何れかに分類されます。

これら四種材料の特徴を述べていきますと、印象材、レジンなどに代表されるの有機材料とは、比較的柔らかく、変色・着色が生じ易いと評し得ます。

次に各種歯科用セラミックスに代表される②の無機材料とは硬く(剛性が高く)変色・着色が生じ難く、審美性に優れ、生体為害性が極めて低いことが挙げられます。

次に各種歯科用合金に代表される③の金属材料とは機械的強度に優れるものの、特有の金属光沢を呈し、天然の歯に見られるような微妙な透過性、透光性がなく、また各金属においては生体為害性の発露と云える金属アレルギーが生じる可能性があることが挙げられます。

最後に、これらのうちの複数材料の長所を組み合わせることを試みた材料がコンポジットレジン、硬質レジンなどに代表される④の複合材料ですが、これらは一般的に①の有機材料に比べ機械的強度には優れるものの、審美性の高さ・生体為害性の低さでは②の無機材料には劣り、また機械的強度といった点においては③の金属材料よりも劣ると云えます。

そして、これらの材料の中で、有史以来、古くから歯科治療において材料として扱われてきたものが③の金属材料であり、そのなかでもとりわけ金は加工がし易く、イオン化傾向が小さく、口腔内においても溶出することなく安定であることからか、紀元前5世紀頃のイタリア半島中部にあった都市国家群であるエトルリアにて『差し歯ブリッジ』あるいは『可撤式部分義歯(歯根付)』と云えるものが出土しているが、このブリッジ、義歯の歯の結紮、結束に用いられていたのが『金の針金』であった。

また、これと構造的に類するものは同じ古代地中海世界の東岸、現在のレバノンに位置するフェニキアにおいても出土していることから、おそらくこれら古代の人々とは、様々な金属を実際に用いることにより、金のイオン化傾向の小ささ、ひいては生体為害性の低さもまた認識していたのではないかと思われる。

そしてまた、現在においても金あるいは金合金とは加工のし易さ(展延性)、生体為害性の低さ(イオン化傾向の小ささ)などから最高の歯科材料と考える臨床家の方々が少なからずいらっしゃると聞き及びますが、そうした御意見の背景には、おそらくこうした実際の歴史に基づく知見があるのではないかと考えます。

今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域のインフラの復旧、回復そして復興を祈念しています。

加えて、昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。










20171119 新たな記事主題について、850記事・100万文字到達まで・・

つい先日総投稿記事数が800に到達したと記憶していましたが、その後早いもので既に10記事の投稿を行ったようです。

そして、現在のペースを維持して記事作成・投稿を行うことにより、年内に850記事まで到達することが可能であるかもしれません。

この目標は、ある程度現実的であると思われますので、これを当面の目標として記事作成を継続をしていこうと思います。

さて、本日の首都圏は日中より気温があまり上がらず、徐々に季節が暮秋から初冬に移っていることが実感されます。

また、ここ最近はブログ記事の主題として我が国の古代史に関連するものを比較的多く作成してきましたが、今後もこの主題にて書き続け、同時にまた、他の何かを主題として、ある程度書き続けてみたいといった考えも生じてきました。

とはいえ、その主題として相応しいものは今現在に至るまで見つかっておりません(苦笑)。

そのため新たな主題となり得るものを探すべく、どうにか自身の文章にて(ある程度の期間)書き続けることが可能な主題について、本箱に収納してある書籍を参考としながら考えたところ哲学・思想関連および歯科理工学の書籍が割合多く出てきましたので、それらを参照しつつ、今後しばらく記事作成を行ってみようと思います。

また、そうであっても本日作成分のような散文的文章による記事もまた書き続けますので、こちらの方も引き続きよろしくお願いいたします。

そして、本日に関しては、ここまでにて、ある程度書き連ねてしまいましたので、さきに述べたいくつかの主題にて記事を作成することは明日から行うこととします。

そういえば、ここまで書いており、これまでに作成したブログ記事一つの文字数とはどの程度になるのかと、不図思いました・・。

感覚としては概ね一記事1000~2000字程度にて作成していると思われるのですが、平均すると1200字程度あたりになるのではないかと思われます(こうした場合は、どちらかというと低く見積もっておいた方が良いと思われる)。

そして、一記事1200字として、これまでの総投稿記事数を凡そ800として考えますと、これまでに大体960000文字書き続けたということになり、さらにはあと30記事程度記事を作成することにより1000000文字に到達ということになります(いや、あるいはこれまでのいい加減な数値化による誤差により、既にそれは到達しているのかもしれませんが・・)。

そうしますと、これはこれである程度の目安、適当な到達目標とも見做すことが出来ますので、今後850記事到達を目指す最中における、別の到達目標と、これを見做そうと思います。

ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。



























2017年11月19日日曜日

20171118 筑紫君磐井について 言向け和す(ことむけやわす)

さきにも少し触れたが、遅くとも六世紀初頭の北部九州(筑紫)においては筑紫君磐井を盟主とする、いわば北部九州連合政権といったものが存在していたことは同時代のことを記した日本書記の継体紀の記述からも推察することが出来る。

そしてまた同時に、この北部九州連合政権とは、畿内のヤマト王権と関係を持たない独立した存在ではなく、遅くとも五世紀代において既に畿内ヤマト王権との間に同盟関係を築いていたと考えられている。

この同盟関係とは、互いにある程度の身分秩序を持ちながらも、筑紫君とは北部九州においては、地域内諸豪族を束ねる、いわば盟主的存在であり、また同時にヤマト王権に対しては、高い自立性・独立性を保持した存在でもあった。

しかしながら、五世紀代のヤマト王権とは、倭王武(おそらく雄略天皇)による中国南北朝時代の国である宋の皇帝に対する上表文(宋書)、あるいは埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣の幾分猛々しい銘文からも推察されるように大王(おおきみ)自ら甲冑を環き(つらぬき)列島あるいは朝鮮半島における軍事行動を展開していた時代であった。

この軍事行動とは、端的に表現すると列島在地諸勢力の武力による制圧・征服である。

こうした専制的体制を志向するヤマト王権に対し、最後まであくまでも(平等に近い)相対的な同盟関係であると認識していた北部九州連合政権とは、ごく自然に独自に朝鮮半島とも交易を行い、またその国(新羅)とも対ヤマト王権に対してと同様、同盟関係を結んでいた。

そして継体天皇の御代である六世紀初頭、王権による朝鮮半島への派兵に際し、北部九州連合政権からの出兵を命じられた磐井は、これまでのヤマト王権より命じられた兵士、物資などの負担によって蓄積されていたであろう不満を表明し、そしてヤマト王権の朝鮮半島に渡る船に対して海路の妨害、あるいは朝鮮半島諸国からの来貢船を自領内の港に引き込むことなどを行うことにより徐々に状況が悪化し、そして戦端が開かれた・・。

九州に上陸したヤマト王権の対磐井討伐軍と、それに対する磐井の軍勢は筑紫国御井群(福岡県小郡市、久留米市周辺)にて決戦が為され、その結果、磐井を盟主とする北部九州連合政権側の軍勢が敗れた。

戦に敗北した後の磐井に関する記述は文献により異なり、討伐軍により処刑された、あるいは筑後川沿い東に逃亡し豊の国に至ったともされている。

以降、筑紫君の後継者となった葛子はヤマト王権に対し、服属の証として支配地域であった糟屋の屯倉を差し出し、またおそらく海路の要衝である博多湾沿岸地域の支配権をも王権に譲渡したのではないかと考えられている。

また、ヤマト王権の軍勢はこの戦の後、筑紫君磐井が生前に造営した墳墓とされる岩戸山古墳周辺にあった石像の人馬を破壊し、以降この文化(石人石馬)は廃れ、その後継としてあまり人目にはつかない石室を装飾する当地域独特の装飾古墳文化が生じたものと考えられている。

ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸インフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

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2017年11月18日土曜日

20171117 文章を書く際の大きな波と小さな波 および書籍からの抜粋引用『司馬朗太郎対談集』より

本日は帰宅が遅くなったことから、ブログ記事の作成は止めておこうと考えましたが、習慣とは恐ろしいもので、何かしら書いておかないとどうも落ち着きません。

とはいえ、本日に関しては昨日までの我が国の古代史もしくは民俗文化に関連する事柄を比較的硬質な文体にて書くことは困難であると思われたため、散文的な文体にて書いていこうと思います。

さて、ここ数日にて首都圏はまたもう一段階寒さが増したように思われます。ここ関東地方の冬も既に四回目ではありますが、未だにこれに『慣れた』といった感じはありません・・。

一方、ブログ記事の作成に関しては昨今は多少慣れてきたようであり、比較的硬質な文章も、こうした散文的な文章を書くことも『波に乗れば』特に無理なく書くことが出来るように思われます。

しかし、
こうしたものにも、さらに大きな視点での『波』があるようであり、おそらく現在の私とは、この大きな視点における『波』に関しては、そこまで悪い状態ではないように思われます。

また、毎度毎度ブログ記事作成時における『波』は、何かしら書き始めることにより、徐々にスイッチが入っていくような感じがあると思われます。

他方、
大きな視点での『波』とは、書き手自身の人生の『波』あるいは『バイオリズム』らしきものと少なからぬ関連があるのではないかと思われます。

また、毎度感じる、小規模な『波』に関しては、自身の工夫により、ある程度制御、調節することが出来るのではないかとも思われます。

くわえて、ここ(小規模な『波』)における工夫の仕方によって、そこで作成されたブログ記事を読んで頂く方々の数が変化するのではないかと思われます。

しかし、現段階において文章として表現することが可能であるのは、ここまでであり、その先にある『具体的に如何なる工夫により記事閲覧者数を増やすことが出来るのか?』といったことは未だよく分かっておりません・・(苦笑)。

あるいはそれは、その時・その時にて読んでいる書籍からの半ば無意識における影響によるものであろうか・・?

それでも
、自身がここまで実感を以って考えることが出来るようになった背景には、これまでに継続してきたブログ記事の作成があると思われますので、その意味においては、これまでのブログ記事作成とは、自身にとって多少の成長を与えてくれたのではないかとも思われます・・。

そしてまた、閲覧して頂いている方々の中で、それら記事を読むことにより、何らかの新たな発見あるいは興味、関心の対象が生じたのであれば、それは記事を作成した者にとって望外の僥倖と云えます・・(笑)。

さて、ここまで書いており、先日偶然読んでいた書籍にて少し気になった部分を以下に抜粋引用します。
朝日新聞社刊 司馬遼太郎対談集 『日本人の顔』pp.38-39
対談は司馬遼太郎江崎玲於奈
ISBN-10: 4022602732
ISBN-13: 978-4022602732

江崎 試験の話に戻りますと、日本の試験制度はたしかに創造的にものを考える人間には不向きだと思います。しかし、それは日本が創造性を必要としない社会だからでしょう。考えようによっては、これで日本人がクリエイティビティをもったらとんでもないことになるし、あんまり繁栄し過ぎるんじゃないですか。(笑)

司馬 国立がみな同じ入試形態でやっているのはおかしいですね。つまり東京大学はそうだけれども、京都大学は違う方法でやる。数学が出来るやつは全部入れちゃうとか、数学ができなくても、おまえはこういう方面の才能が伸ばせるような席だけは与えてやるとかいうことがないでしょう。全部画一です。どういう民族をつくるつもりでそうするのか、よくわからない。いま、一番の秀才の集まるのは医学部だそうですね。医学進学コースは平均七〇点ぐらいとらなきゃ入れない。医者が重んぜられる社会は無目的社会といえませんか。医者になるというのは、生活の安定を望むというだけが目的の場合が多いから、それだけエネルギッシュな秀才少年たちの志としたら、どうしようもない。ところがいま優秀な少年の志がまさにそれでしょう。

江崎 全国画一の試験が実施できる国だということは、逆にいえばメリットの一つでしょう。日本は創造性をあまり必要としない国であってよいのかもしれません。金をため込むことが目的だったら、金をため込むこと自体に快感を感じればいいわけです。だけど金色夜叉みたいになってしまう・・・(笑)。

司馬 知能の限り傾けて金をためる。一種の復讐かな。(笑)

江崎 戦争に負けた復讐かもしれませんよ(笑)。日本は戦争に負けて、もうだめになるかもしれないと思われたのに、経済を復興させたうえ、経済進出を三十年かけて成し遂げた。その実績から言えば、日本人は今後もかなりの難問題でも、実行能力にものを言わせて何とか切り抜けるでしょう。しかしそのような行き方には限界がありますね。戦争という形ではカタストロフィーは起こらないでしょうけれども、抽象的な意味で日本沈没が起こる可能性はなきにしもあらずではないでしょうか。それはどういうことかといいますと、カタストロフィーに向かったときにブレーキをかける社会的な力が弱いということです。

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を受けた諸地域のインフラの復旧、回復そして復興を祈念しています。

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2017年11月17日金曜日

20171116 英雄と逆賊 筑紫君磐井と西郷隆盛

九州の人々には『我々の祖先が日本古代史の幕を開けた』といった自負心がどこかにあるように思われる。

それは日本が未だ統一国家として成立する以前から九州北部諸地域は大陸、朝鮮半島と交易を行い、そして数多くの銅鏡、特に前漢鏡の出土がこの地域にて認められることからも実証される。

くわえて、福岡市の志賀島にて江戸時代に出土した金印『漢委奴国王』は、当時の文献とも符合し、当時(後漢・AD25~220)より交流が為されていた証拠と云える。
(奴国とは、現在の博多湾沿岸地域にあった古代国家の一つである。)

以上のことをも含め、大陸からのさまざまな文化事物の集積が為された九州北部は、地理的に大陸に近いという有利な点が大きく作用し、古代の文化先進地であった。

しかしながら、九州の人々にはそれ以上に『我々の祖先こそが日本で最初の新たな文化を創造したのだ』といった思いを大切にしたいという気持ちが強くあるように思われる。

こうした気持ちは古代国家群が統一され、政治、経済、文化の中枢が畿内にて形成されることによって、九州の人々にはさきに述べたような辺境意識が徐々に形成され、そして、さきの気持ちとの葛藤が生じると云える。

そして、そこで生じる葛藤こそが、さきに述べた九州の人々の中央に対する凝集性、求心性およびそれとは反対の遠心性の根源にあるものではないかと考える。

また、そうした辺境意識、葛藤に訴え九州の人々の心を鼓舞し、そして悲涙を誘うのが古代においては筑紫君磐井であり、また近代であれば西郷隆盛であると云える。

西郷隆盛は西南戦争後、明治維新における功績によって逆賊の汚名は返上され、英雄と見做されたが、筑紫君磐井は1945年以前の天皇が社会において、より重かった時代においてはあくまでも逆賊のままであった。

しかしその反面、地域においては、より身近な、正しいとも云える筑紫君磐井に対する態度は継承され続けた。

筑後国風土記逸文により筑紫君磐井の墓所と比定される福岡県八女市にある岩戸山古墳では磐井の乱以後も祭祀が為された痕跡が古墳周囲にて発見されている。

継体天皇の御代、六世紀前期における磐井の乱から1945年の太平洋戦争の終結に至るまで、この古墳が地域において残されてきたことには地元の方々の間で継承され続けた(筑紫君磐井に対する)温かい素直な気持ちがあったからではないかと思われる。

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


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2017年11月16日木曜日

20171115 九州における凝集性・求心性と遠心的な傾向について

さきにも述べたように九州は日本列島の最西南端にあたり中国、朝鮮半島、台湾といった周辺諸国、諸地域と最も近接している。

また同時に、このことは我が国の中枢からは遠い、いわば辺縁地域として認識されてきたということでもある。

九州は、我が国の都が奈良であろうが京都であろうが東京であろうが、そのいずれにおいても中枢から僻陬の地、辺縁地域と見做され、こうした意識は、九州人の精神にも少なからず作用し、時代の流れ・情勢等に疎い田舎者といった自意識となり、そして時の権力に対する事大主義といった行為態度にも結節し、さらには自己の意見を持たないとも見受けられる早急な中央への迎合的態度になるのではないかと思われる・・。

しかしその一方、そうした自意識が生み出す影の部分が、歴史上多く見られる九州諸地域勢力による中央に対する反乱となり、また同時に、こうした噴出・噴火的とも云える精神活動の他の側面が、海賊行為をも含む海外との交易といった活動に結実したのではないかとも思われる。

また、そうした活動とは、多くの時代を通じて、あまり評価されることはなかったものの、鋭敏な国際感覚と自己の文化全般に対する自覚をも生じさせたのではないかと思われる。

そして、ここまでに述べたように九州の人々の中央に対する凝集性・求心性(事大主義的、中央迎合的態度)と、それに反発をする遠心的な傾向(反乱、海外進出)とは、古代から現代に至るまでのこの地におけるさまざまな文化、出来事、事物を考えるうえにおいて、より重視されることであると考える。

他方、九州は古来より長きに渡り、大陸、朝鮮半島の先進文化のはじめの摂取口、上陸地としての役割をも果たしてきた。

ここで特徴的であると思われることは、特に古代における独立的傾向が強い土着豪族以降の時代においては、より強化された中央に対する凝集性・求心性によって、たとえ外来事物がはじめてこの地に上陸しても、そこに定着することは少なく、速やかに中央に持ち去られたことである・

すなわち、在地土着豪族が中央のヤマト王権により、圧迫され、弱くなると(九州とは)、単なるターミナル、通過路としての役割のみしか果たせなくなる、与えられなくなると云える。

そしてまた、我が国が軍事的な緊張が生じた場合においては、対外進出あるいは防衛のための前線基地としての役割を担い、また実際に軍事的衝突が生じた場合においては、その攻撃を受け、被害を被るといった事態がこの地域に集中した。

こうした政局中枢から辺縁地域、対外的活動の拠点と見做される九州における時代を通じての大きな問題点とは、政局中枢に、真の意味で、この地域のことを考える特定の中央権力者、政策立案者等が長らくいなかったことではないかと思われる。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに日本列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸インフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。
























2017年11月14日火曜日

20171114 講座・医局について思ったこと(昨日投稿と少し関連するかもしれません)

『本日もまた、何かしら古代史、考古学あるいは民俗、地理的な内容にて記事を作成しようと考えていましたが、昨日投稿分の記事が思いのほか多くの方々に読んで頂いていたことから、本日は敢えて趣向を変え独白形式にて記事を書くことにしました。

とはいえ、その内容とは昨日投稿分の記事にも多少関連することであり、また、これまでにも何度か述べてきたことではあるのですが、大学の理系学問領域においては、研究室、講座あるいは医局といった単位にてさまざまな行動をとることが多いと云えます。

これはおそらく文系学部におけるゼミに相当すると思われるが、それらの単位における凝集性とは、感覚的ではあるものの、文系に比して理系、特に医歯学系の方が相当強いのではないかと思われます。

おそらくその根本においては、修業年限が長いことから、より、そうした行為態度が強化、定着される期間が多く与えられるといった事情があるのではないかとも思われます。

またその一方で、文系の場合、卒業後に就く職業とはさまざまであり、むしろ学生時代よりそうした各自の多様性を認め、保持している方が諸事都合が良いのかもしれない。

その面において医歯学などの場合は特に卒業後に就く職業とは、ほぼ限定されることから、学生時代より、そうした(職業に付随する)受け継がれるべき行為態度とは、当初多少無理やりであっても研究室、講座そして医局といった小規模での集団行動を通しておぼえ、定着した方が大局的に見れば良いのかもしれない・・(おそらくそれは個人の教育観にも影響を与えるであろう)。

とはいえ、文系もまた大学院まで行くと、それはそれで少なからず変わっているのであろうが、その全体数が理系学問分野と異なり(理系の方が多い、特に工学、理学、さらに博士課程となると医歯学が最も多くなる)、同時にそれぞれの背景文化もまた大きく異なると思われることから、こうした集団行動とは、文系の場合においては、あくまでも各個人が自発的、能動的に従うものでないとダメであるように思われるのです(それが文系学問の大事な要素であると思うのですが、一方、そればかりであると今度は世の中が治まらなくなるかもしれない・・)。

そして、この両学問分野間に存在する『違い』というものをある程度広く、そして明瞭に認識することにより、何といいますか、我々の社会にて生じているさまざまな出来事の雛型、原型のようなものを認識することが出来るのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸インフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。

昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』






20171113 九州の文化が持つ海洋民的性質について

九州島は日本列島弧と琉球弧が接合するところであることから、双方の特徴を持っていると云える。

さらにまた、九州本島は中央構造線の九州版とも云える臼杵・八代構造線により南北に二分され、その北部には中国山地の延長である筑紫山地、また南部には四国山地の延長である九州山地がそれぞれ北東から南西にかけて走り存在する。

この九州島南北の両山地の間は大きく溝状に陥没し、太古においては瀬戸内海の延長とも云える海域(阿蘇水道)であったが、周辺の九重山、阿蘇山などの火山噴火による噴出物や河川の堆積物などにより、徐々に陸地化され現在の地形を構成しているが、このかつては海であった地域には現在においても火山が集中している(中央火山帯)。

九州南部の薩摩、大隅半島の地形は琉球弧の形状と方向的(北東から南西に走る)に一致し、両半島以南に位置する南西諸島が琉球弧の主要部を構成している。

また、この琉球弧の内側を走り、阿蘇山にはじまり遠く台湾まで至るのが霧島火山帯(琉球火山帯)である。

概ね以上のように山地、火山帯、弧などにより地域が劃される九州島であるが、それにより地域毎の気候風土、民俗文化などは共通する要素をも持ちながら、それぞれの特徴を持っていると云える。

九州地方は日本列島の最西南端に位置し、本州とは関門海峡にて隔てられ、また四国とは豊後水道、豊予海峡にて隔てられ、北方の朝鮮半島とは対馬海峡そして西の中国とは東シナ海によって隔てられている。

そして南は南西諸島を島づたいに進むと琉球を経て台湾にまで至る。

その意味にて日本列島のなかにおいても、九州地方とは際立って海と島々により構成される地域であると云え、さらにまた、古来より脈々と続く我が国(本来の)国際性(対外的感覚)の最先端の地域と評しても過分ではないものと考える。

また同時に、対外的な交易・漁業といった側面においても九州地方とは我が国の中でも特に海洋民的性質が強いのではないかとも考える。

当然といえば当然であるのだが、文字文化が普及定着、ある程度一般化する以前の社会においては最高の国際人(異文化を知る人)とは漁民、海洋民といった船を操る人々であった。

この漁民、海洋民の持つ民俗文化の特徴とは、おそらく自然といった神を畏れ、敬いながらも陽気であり、屈託がなく、精神的には伸びやかなものがあると思われる。

加えて冒険心、射幸心も少なからずあり、且つ勇猛果敢であり、思弁的、観照的であるよりかは行動的、実践的といった傾向もあるのではないかと考える。

さらに航海とは一人では困難であることから集団行動に長け、また経験豊富な指導者(船長)の価値をも知り、そしてその下すことには従わなくてはならないといった権威主義的なところがあり、また同時に実力主義的な要素をも加味されるのではないかと考える。

こうした社会が男性的なものであると考えるのは、特に論理の飛躍ではなく、自然であり、そしてまた、それが九州出身の男性を示す九州男子といったイメージに対し、無意識ながらではあるかもしれないが、少なからず影響を与えているのではないかと考える。

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