2017年11月29日水曜日

ジョン・エリス著 越智道雄訳「機関銃の社会史」平凡社刊pp.32-36より抜粋

南北戦争(1861~65)において、実戦で役立つ機関銃が初めて現れ、それ以後、機関銃は急速に発達する。発展の舞台は、ほぼアメリカに限られるので、本書もこれから先はこの国を中心に論じることになる。
1860年には、アメリカはイギリスに次ぐ世界第二の工業国となっていた。なかでも、それまで熟練工がやっていた仕事を引き受ける機械の発達と、それらの機械を一つの工場に集めたという点で、他のいかなる国よりもはるかに先を行っていた。こうした工業的優位には、いくつかの理由がある。最も重要な理由は、19世紀初期のアメリカが深刻な人手不足に悩まされていたことだろう。
新しい工場が労働力を確保するためには、高賃金を支払わなければならなかった。製品の値段をあまり上げないとすれば、この高い賃金で雇った労働力の生産性自体を高めるしかない。
そこで、労働者一人当たりの生産性を高めるために、機械と合理化された集中生産設備が導入されることとなった。
二番目の理由として、初期に使われていた機械のうち、完全にアメリカ製のものはごくわずかしかなかったという事実が挙げられる。
殆どの機械はすべてヨーロッパのデザインもしくは製品を模倣したものだった。
しかし、こうした機械を初めて活用したのはアメリカ人だった。というのも、アメリカには、機械化された自分たちの伝統的な生活様式を脅かすものとみなす組織だった職人階級が存在しなかったためだ。
実をいえば、機械の能率に頼らず人間の技能を基になんらかの大量生産の試みに取り組める職人など、そもそもほとんどいなかったのである。
機械的な大量生産方式の先駆者、イーライ・ホイットニーは、こうした生産方法を取り入れた理由を簡潔に述べている。
その目的は、「長年の訓練と経験によってのみ培われる職人の技能を、正確で能率的な機械作業に置き換えることである。その種の技能は、わが国ではいまだに一定の水準に達していない。」こうして「物を作る機械を作るための新しい方式が、アメリカで生まれた。それは単純ではあったが、広範な影響を及ぼす変化であったため、伝統や制度、確立された技能に支えられたヨーロッパでは受け入れられるのがむずかしかった。」
かくして、アメリカ人は世界のどの国よりもずっと早く機械化された産業に依存するようになっていた。
さらに、こうした機械そのものを製造しなければならず、それも単なる人間の技能の限界ではなく、機械の能力という観点から考えなければならない必要性から、より高性能の機械を作り出すことに精力を傾ける専門家の集団が登場してきた。
この結果、工作機械産業の最初の重要な発展が見られ、切削、研削におけるさまざまな金属の特性が研究されるようになった。
そして、機械ならほとんど正確に、まったく同じ寸法の部品を何度でも作れるという特質に新たな関心が集まった。
19世紀アメリカでは、「人間ではなく、機械が専門家となったのである。」機械への依存は、もう一つかなり重要な側面を持っている、ごく初期から、工作機械はつねに小火器の製造ときわめて密接にかかわっていた。
どの国の軍隊でも、たえず同一の装備、たとえば武器、軍服、装具などを大量に必要としていたことを考えればおそらくこのつながりをよく理解できるだろう。
しかし、なかでもアメリカは特殊なケースだった。ヨーロッパの軍の発注、とりわけ銃の注文に対しては、昔から何人もの銃工たちが力を合わせて請け負うことになっていた。
16世紀から18世紀のあいだ、軍事技術はほとんど停滞状態にあったため、どの国の軍隊も、一度に大量注文を出さずに、長年こつこつと銃を蓄えることで、とくに問題を生じることはなかった。
しかし、アメリカでは職人の作った銃を蓄えておくという歴史もなく、さらに軍の需要を満たすだけの銃工がいなかった。
しかも19世紀はじめの軍の発注は特に急を要した。なぜなら「15年前、独立を勝ち取ったときに使っていたマスケット銃はフランスなどヨーロッパで作られたものだったからだ。
(中略)それ以来、アメリカでは軍の武器がほとんど作られていない。(中略)事実上、この国は無防備状態といえる。」この事態を解決するには新しい技術者たちに頼るほかなかった。
この分野での偉大な先駆者がホイットニーだった。1798年、アメリカは何の軍備も整わないままフランスとの戦争に突入しようとしていた。そこでホイットニーは、向こう二年四ヶ月以内に一万丁のマスケット銃を製造するという契約を政府と交わした。実際には、契約通り銃を納め終わるまでに十年の年月を必要とした。しかしここで重要なのはホイットニーが納期を守れなかったことではなく、このような早い段階ですら、アメリカでは、武器の製造と工作機械の結びつきがしっかりと確立されていたという点である。
この時代、初めて実用に耐えうる機関銃がアメリカに現れたという事実については、認められるかぎりで、主な理由が三つある。
まず第一に、19世紀初期のアメリカ社会の特殊性にために、生産能力を増強したいと思えば、機械化と効率的な生産方式に頼らざるを得なかった。
そのことが、より複雑な機械の製造に関する新たな専門知識と関心をもたらし、より耐久性のある金属と、ますます高い精度が問題にされるようになった。
第二に、こうした工作機械の発達がつねにアメリカの小火器産業の発展と密接な関連を持っていたことである。
したがって、信頼性のある機関銃を作るという難問を最初に解決したのがアメリカ人であったことは、さほど驚くにあたらない。
第三に、もっと一般的なレベルで、このような機械への依存が、機械のもつ無限の可能性という新たな信仰を、そして十分な努力を続けさえすればどんなものでも自動化できるはずだという信念を、生み出したことである。
したがって、アメリカ人が最初の機関銃を製造するための道具とノウハウを持つようになったのはごく自然なことであり、また同じように、殺人をクランクを回すかボタンを押すという次元の問題に変えてしまうことを本気で願ったのがこの国の人間だったというのも、まったく理に適ったことではないだろうか。
以上が、性能のいい自動火器がアメリカで発展するための前提条件だった。しかし、この武器が実際に日の目を見るようになるためには、もう一つ、きわめて特殊な事件がかかわっていた。それが南北戦争である。すべての専門家が口を揃えて言うように、この南北戦争こそ、まぎれもない史上最初の近代戦であり、ここで初めて新しい技術の威力が発揮されたのである。


機関銃の社会史
ISBN-10: 4582532071
ISBN-13: 978-4582532074

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