2018年8月16日木曜日

20180816 煎じ詰めると感覚と理性の問題であるのか? あるいはディオニソスとアポロンか?

どうしたわけか本日の日中のブログ閲覧者数は、これまでに比べ、かなり多くなりました。
これらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
また、その原因について考えてみますと、本日の日中に送信したメール・メッセージの数が何かしら関連があるのではないかと思われました。
 これを異言しますと、本日は必要により比較的多くのメール・メッセージを送信し、それが同じ名前で作成している当ブログの閲覧者数にも繋がったのではないかということになります。
 無論、そこには単純な比例関係のようなものがあるとは思いませんが、しかしそれでも、何かしら作用し合うものがあるのではないかとも思われます。
 さらに、面白いことに、こうしたことは、これまでに3年以上ブログ記事の作成を行ってきましたが、おそらく本日初めて気がついたことなのです・・(笑)。
 こうしたいわゆる仮説を着想する力は、年齢を経るごとに徐々に減衰していくと云われ、また、たしかに、ある程度の年齢にまで達すると、仮説をその場で顕現・凝集させるための力のようなものが弱くなってくるようにも思われます・・。
 おそらく、これは年齢の上昇により、外部から得たある感覚を素直に受け入れるといった心の習慣がなくなり、他方でそうした当初得た感覚への猜疑心が高じ、疑い深く、抜け目がなくなっていくのでしょうが、これがさきの仮説を顕現・凝集させる力の減衰につながるのではないかと思われるのです・・。
 また、この仮説を生み出す力は、創造性とも関連性があり、そしてそこから我が国社会について考える上での、何かしらの視座・仮説らしきものを得ることが出来るのではないかと思われるのです・・。
 つまり、若い時分の修行期間の中で行われる、悪意か善意によるものか分からない、ある種のしごきのようなものにより、我々の多くは疑い深さ・抜け目のなさを身に着けていくのでしょうが、その反面において仮説を生み出す力・創造性といったものを(顕著に)無くしてしまっているのではないかとも思われるのです・・。そして長い期間で考えてみますと、こうした全体のメカニズム・構造(あるいは時代精神のようなものかもしれない)こそが我々人間が創造性を発揮し時代で活躍できる期間、もしくは社会全体の寿命を決定しているのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

そのように考えると、やはり率直さ、すなわち何らかの裏の意味を持た(せ)ない言語の運用は大事であるのかもしれません・・(忖度の反対?)。


『ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。』

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