2021年3月27日土曜日

20210327 岩波書店刊 丸山 眞男著 古矢 旬編「 超国家主義の論理と心理 他八篇」 pp.385‐388より抜粋

岩波書店刊 丸山 眞男著 古矢 旬編「超国家主義の論理と心理 他八篇」 pp.385‐388より抜粋
ISBN-10 : 4003810430
ISBN-13 : 978-4003810439

19世紀における世界市場の形成は、従来「世界史」の激動の彼岸にあった広大な「未開地域」を国際社会の中に引き入れた。この歴史的変動は、ふるくから独自の文化と伝統を形成してきた極東諸国にもっとも大きな衝撃として現れた。

日本は種々の歴史的条件によって、いち早くこの衝撃を主体的に受け止めて、一応ヨーロッパ型の主権的民族国家を樹立することに成功し、19世紀末にはやくもヨーロッパ帝国主義と轡をならべて植民地分割競争に乗り出した。

しかし他の極東諸民族は日本の勃興に刺戟されて民族的独立の方向に歩み出す以前に、あるいはその動向の脆弱な間に、集中的な帝国主義の侵略を蒙って植民地ないし半植民地の境涯に陥った。

やがて帝国主義による資本輸出は伝統的生産様式を押し潰し、交通網の発達は多かれ少なかれ閉鎖的な共同体秩序を破壊したために、資本と軍靴の無慈悲な足跡の下から、ほとんど不死身のエネルギーをもった民族解放運動が20世紀に入って至るところに勃興した。

ヨーロッパにおける英・仏・独・オランダなど主要植民帝国の弱化と、今次大戦における日本帝国主義の崩壊といった一連の歴史的過程を経て、現在アジア・アラブの民族運動は世界政治のもっとも重要な因子の一つとなっている。

これをヨーロッパ的なナショナリズムの範疇でどこまで捉えられるかは、大きな疑問が存在するが、やはりそこにはナショナリズムとよばれて然るべき要素が作用していることも否定できない。

むろん、一口にアジア・ナショナリズムといっても、その間にかなりの地域差があるが、その内部的相異を超えて、これをヨーロッパ・ナショナリズムから共通に区別する特性に着目すれば、まずこれら地域の社会構成において、ヨーロッパともっとも顕著な対照をなすのは、いわゆるミドル・クラスの欠如である。

上層部には60パーセントから80パーセントにおよぶ超高率の地代を収奪する半領主的な巨大地主や、先進国の外国商社と結んだ買弁資本が位し、そのすぐ下には人口の圧倒的多数を占め、ほとんど文盲な貧農と、恐ろしく劣悪な労働条件下にある鉱業その他、主として原料生産業および交通関係の労働者、および種々の雑役に従事する半プロレタリアの大群が位する。

その間にわずかに小規模の民族資本、小商人、ヨーロッパ的教養を受けた知識層(官吏・軍人を含む)が擬似ミドル・クラスを形成するにすぎない。

ナショナリズムの巨大なエネルギーを提供するのは、いうまでもなく下層の極貧大衆であり、彼らの非人間的な生活条件と擬似ミドル・クラスの不安定性とは、そのナショナリズムにきわめて急進的な、しばしば熱狂的な性格を賦与している。

富と権力を持った土着支配層は、外国帝国主義との取引を有利にするため、こうした大衆運動を利用し、ある場合には指導するが、決定的な状況ではしばしば帝国主義と結んでこれを押し潰す役割を演ずる。したがってアジアのナショナリズムはイデオロギー的にも政治運動としても非常に屈折がはげしく、その「急進性」も、ときにはコンミュニズムとして、ときにはウルトラ・ナショナリズム(とくに激烈な反西欧主義)の様相を帯びて発動する。