2016年11月17日木曜日

20161111 「楡家の人びと」から「迷路」「神聖喜劇」などの長編について・・☆☆

A「昨日は風が強く、またそこそこ寒いなか、屋外にいる時間が長かったためか、風邪をひいてしまい、今現在多少頭が重く、体全体が気怠い感じがしております。

それ故、本日の記事更新は止めにしようと考えましたが、これまでに培った習い性とは、意外と強いものであるようで、こうして本日分の記事作成に取り組んでいる次第です・・(笑)。

また、面白いもので、一旦記事作成に取り掛かりますと、多少頭の重さ、気怠さも忘れるか、軽減されるようであり、こうしていくうちに、何かしらの主題が見つかるのではないかと思われます・・。

さて、先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は、残すところ第三部のみとなりましたが、これは明日早々に購入し読んでみようと考えております。

そして、おそらくこの調子にて読み進めますと、来週中には全巻読了に至るのではないかと思われます。
そうしますと、また久々に野上彌生子著「迷路」以来の長編読了ということになりますが、この比較的新しい読書記憶に基づき、両著(「楡家の人びと」、「迷路」)を比較してみますと、後者前者に比べ思想的あるいは内面の情緒的な記述の分量が多く、そのことにより、著作内容の理解が多少困難となり、また、そのことから読み進む速度においても相違が生じるのではないかと思われます・・。

あるいは、これはあくまでも私見ではありますが、各々著作に対象年齢を設けるとすれば「迷路」の方が、多少その年齢層が高くなるのではないかとも考えます。

また、そのような視点にて考えてみますと、我が国の長編小説の一つの金字塔?ともいえる大西巨人著「神聖喜劇」は一体どのような扱い(対象年齢)となるのでしょうか・・(笑)。

この著作に関しては端的、一言にて感想を述べることが困難であり、ただ「面白く、大変勉強になると思いますので機会、興味がありましたら、是非読んでみてください。」といった感じになります・・。

また、私も機会がありましたら、この著作全巻をもう一度読み、そして、その面白いと思われる部分をタイムリーに抜粋引用してみたいとも考えております・・。

しかし「迷路」にても、そうした傾向はあると思われますが、特に、この著作(「神聖喜劇」)に関しては、そうしたことを行っていると「何かしら問題が生じるのではないか・・」といった危惧もまたありますが・・(苦笑)。

そして、その危惧を含めて、この著作を大変魅力的なものにしているとはいえますが・・。

また、何といいますか、我が国の社会、歴史の深層、古層からの問題点を作中にて抉り出し、あからさまに提示しているという意味において「神聖喜劇」、「迷路」とは類似した要素を持っているともいえます。

とはいえ、前者の方がより強烈であるとは思いますが・・(笑)。

そして、そこから正直なところ「神聖喜劇」は女性向けの著作ではないと考えます。

また、そのよう考えてみますと、不図疑問に思ったことは、加藤周一著「日本文学史序説」下巻にて野間宏著「真空地帯」という「神聖喜劇」と類似した主題を扱った著作に関して割合長く述べられているのに対し「神聖喜劇」には一行も触れられていないのは、一体何故であろうか・・?ということであり、これは単純に双方の出版年度によるものなのでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

先日の博多駅前の道路陥没事故の復旧、さる熊本での大地震、山陰東部での大地震にて被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」