2017年3月26日日曜日

20170325 『シン・ゴジラ』を観て思ったこと、別件からの対話形式

昨日レンタルした『シン・ゴジラ』を視聴しました。
はじめに強く思ったことは「こうした作品とは大画面で見るべきである。」ということです。

また、面白く感じたことは、作品途中にてゴジラが変態することであり、これはオリジナルの第一作にはなかった要素です。

この要素とは「同監督が以前に制作した某アニメ作品からの影響ではないだろうか?」思いましたが詳細については不明です。

さらに作品内の我が国政府の対米姿勢とは自嘲気味に描かれておりましたが、果たしてそれが現実に近いのかどうかは分かりかねるところではありますが、ともあれ、少なくとも現在の我が国の様相から考えてみますと、案外適当なところではあるのかもしれません・・(苦笑)。

さらに、この作品では会議、話し合いの場面が比較的多かったように思われますが、それらの場面で各々俳優によって為される会話が全体的に端的、早口である割には話した内容が一度できちんと相手に伝わっている様子が逆に少し不自然ではあるまいかとも感じられました・・。

それは何といいますか、作品全体に決然たる雰囲気そして、そこから生じる悲壮感らしきものの演出を狙った、いわばゴジラの出現という天変地異が生じた際のリアリティーを追求した結果であるとは思われますが、元来、我々が用いる日本語とは、そのような会話には向いていないのではないかと思われるのです・・(笑)。 

また一方、それに対し別の見方をすれば、こうした作品内での会話の傾向(早口、端的)とは、ライン、ツイッターといった比較的短文(端的)でのやり取りに慣れている方々、世代に対しての効果を狙った演出であったのではないかとも思われます・・。

ともあれ、作品全体としては途中退屈することもなく、最後まで楽しく観ることができました。

さて、昨日分の記事を投稿した後、どうしたわけか昨年5月18日作成記事『最近不図思ったこと・・三重県県名の由来など・・』の閲覧者が増加しました・・。

その為、あらためてこの記事を読んでみますと、少しは面白いことが書いてあり、殊に末尾に近いお師匠から伺ったハナシとは我ながら悪くないオチではあるまいか?と思った次第です・・(苦笑)。

そこで以下に、そのハナシを題材にした対話形式の作成を試みます・・。
~2009年の年末が舞台です~

A「おい、コーヒーが入ったから、一旦実験を切り上げてこっちに来い!」

B「あ、はい、分かりました!この最後の試料切片が切れましたら、超音波洗浄にかけて、そちらに行きます!」

(講座休憩室にて)

A「それで、お前の実験、試料作製は上手くいっておるのか?」

B(手拭いで手を拭きながら)「・・ええ、まあ最初の頃よりかは安定した数値が出てるとは思うのですが、それでも先行研究に書かれている値に比べますと、かなり全体的に低いので、基材の薄さや焼成後に得られる基材の表面粗さのできるだけの均一化が案外重要ではないかと最近は考えています・・。」

A(コーヒーを飲みながら)「・・そうか、まあ進捗しているんならそれでええ・・結構、結構。
それで新しく入ったダイアモンドカッターはええやろ、しかし、あれであまり焼成後の試料切ったらアカンで、せっかくの吹き付けたダイヤモンドがすぐにワヤになってしまうからなあ・・。
・・・ああ、研磨の講義で習ったやろ、あれと同じ理屈や。
まあ、それはええ、それでオマエは年末クニに帰るんか?
わしゃ**日に帰るから、もし年末年始に実験に来るんやッたら火元に気いつけいよ。」

B「あ、はいわかりました!
年末年始は**先生も時折実験でいらっしゃるそうですが、もちろんわたしも火元に気を付けます。
それでA先生は飛行機で帰郷されるのですか?」

A「ああ、飛行機が一番早いからな、それでもお前、わしも院生の頃はバイト代で買うたカブに乗っていてな、お前が今乗っているののもっと古いタイプやけどな、あれでお前、名古屋から大阪まで乗って帰ったんやが、途中伊吹峠で吹雪に遭うて、いきなりやぞ!あれはホンマエライ目に遭うたで・・。」

B「・・先生、今のお話しと似たようなことを『古事記』で読んだことがあります!
あれはたしか景行天皇の御代のことですが、その皇子である倭健命(ヤマトタケルノミコト)が東征からの帰路、伊吹山の麓でそのような状況に遭遇したのです・・。
また、その時に倭健命は憔悴して亡くなってしまうのですが、その際に云ったコトバが現在の三重県の名前の由来になっているとのことです・・。」

A「・・お前はホンマそういうしょうもないことをよう知っておるなあ・・それでヤマトタケルは三重のことを何ていうてたんや・・?」

B「たしか「とても疲れて足も腫れ上がり三重に曲がってしまった」という意味のことが書かれていましたが、この『三重に曲がる』とは棒状の餅をひねって現在のパンのツイストみたいな形状にした当時の菓子を連想しているのではないかと思います・・。」

A「はあ、なるほどなあ・・。
そういや、わしは毎年初詣には北野天満宮に行くんや、お前あそこは知っとるか?」

B「ええ、やはり菅原道真公、学問の神様をお祀りしている神社ですので・・しかし、それでしたらここ九州の太宰府にも有名な太宰府天満宮がありますが・・?」

A「ああ、あそこも**大学で学会があった時に何度か参拝したなあ・・そやけどお前、わしが北野天満宮に初詣に行くんは、菅公さんが学問の神様だからだけやないでえ・・。
菅公さんのおっかさんはなあ、わしの御先祖様の家の出なんや・・。」

B「はあ、そんな理由があったのですか・・しかし、そういった考えとは関西、近畿文化圏あたりでは、わりかしポピュラーかもしれませんが関東、首都圏ではあまり聞きませんね・・わたしとしては、そうした関東、首都圏の文化はどうも味気ないとは思うのですが・・。」

A「そやな・・よっしゃ!そうだ、お前、来年わしが戻って来たら開聞岳に一緒に登るか?この季節のあの山頂は空気が澄んで遠くの屋久島の宮之浦岳まで見えるんや、気持ちええぞお。」

B「あ、それはいいですね!是非お供させてください!」

A「よし!この調子で年末年始の実験もがんばれい!」

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

去る2016年、熊本、山陰東部、福島県周辺にて発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」