2016年11月19日土曜日

20161119 根源的な変化と継続的な文章の作成の関係について・・

これまでに480記事以上を既に投稿しているため、本日に関しては特にブログ記事の作成、投稿を行わないでも良いのではないかと不図考えましたが、あとになり500記事到達を前にして書けなくなる可能性も否定できないため、とりあえず何か書きはじめようと思いたちました・・(苦笑)。

しかし、このような、いい加減ともヨコシマともいえる考えに基づき書きはじめてみても、何かしら書いておりますと、それなりに主題、テーマは思いつくようです・・(笑)。

さて、そういえばここ最近は映画をレンタルDVDをも含め観ていないことに気が付きました・・。

以前の鹿児島在住時は週末によく映画をDVDにてレンタルして観ておりましたが、その後からは不思議なことに、その習慣がほぼなくなっておりました・・。

しかしそれは「日常の生活が映画よりも面白いからである」といった考えには結び付きません・・。

それとは異なる次元にある、自身の根源的な「欲求」において何かしら変化が生じたからではないかと思われます・・。

また、こうしたことは、ある程度の年齢になりますと、頻繁に生じることはないように思います。

そして、変化が生じた後になると、むしろ変化以前の状態、嗜好を不思議に思ってしまうようなところもまた、あるのではないでしょうか・・?

そして、このような現象を「憑き物が落ちた」と表するのではないでしょうか?

そのように考えてみますと、現在、どうにかブログ記事を継続的に作成を出来ている状態とは、「何かに憑かれているのではない!」と断じ切るのは困難であるように思います・・。

加えて、昨春に強烈に感じた「文章を書くことが出来ない!」という思いは、さらにそれ以前の、ある程度文章を書くことが出来ていた時期と比べた結果であり、それは正直なところ、精神的な圧迫・苦痛を伴うものであり、漠然とした生命力の枯渇を感じさせる自身としては極めて恐ろしいものでした・・。

そして、その当時に比べますと、現在の状態とは、どうにかブログ記事として継続的に文章の作成が出来ていることから、かつてほど強烈な危機感(生命力の枯渇)を感じさせる状態ではありません・・。

とはいえ、あくまでも、これまでの継続的なブログ記事作成とは、その次(大学での研究支援、コーディネーターなどの職に就くこと)に目標を据えた、創造力の枯渇を防ぐためのものであり、その目標とは今現在、残念ながら達しておりません。
あるいは、今後それを達した場合においても、何かしらの方法に依り、こうした文章の作成そして発信を継続したいと考えております・・。

そして、それは、克己心といった積極的・前向きな性質のものではなく、どちらかというと、自身の鹿児島在住時における週末の散歩のように、自身の精神衛生を保つための消極的、防御的な性質のものであると判断されます・・。

しかし、そこで面白いと思うことは、こうした消極的・防御的な手段に拠って積極的といえる創造性の保持を図っているということです・・(笑)。

とはいえ、こうしたことは、さまざまな運動などの練習目的においてもいえるのでしょうが、このように、その「流れ」をこれまでの文章の流れにより書いてみますと、なかなか面白いものであると感じると同時に、命題、反対命題の止揚・揚棄により(創造的な)新たな統合された意見を得るといった考えにも一脈通じるのではないかと思われることです・・(笑)。

しかしながら、これもまた一つの仮説ですので、その実相とは、今後更なる検証を通じ判断していくのが良いのでしょう・・。

また、最後に不図思ったのは、もし今現在のブログ記事の継続的な作成が、何かに憑かれて為し得ているのであるとすれば、それは一体何に憑かれているのでしょうか・・?

あるいは、それは単に自己の行ってきた結果、自然に付随するものであると判断しても良いものであるのだろうか・・?

また、そうであると判断出来る自信とは、どこに由来するのであろうか・・?

しかし、現時点の自身としては何れでも構わず、とりあえず500記事まで作成するのみではあるのですが・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部での大地震により被災された地域の今後の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。