2016年4月4日月曜日

20160404 記憶と表出の間にあるもの・・

本日も朝の電車の中でブログ記事の内容について考えていたのですが、またもや実際にそれを書く段になってみるとキレイに忘れておりました。

そして現在、その内容を思い出そうとして、こうしてブログ記事を書き始めた次第です。

こうして何かしら書き始めてみると、それを思い出したり、また時によっては、以前考えていた内容よりも良いと思われる、感じられる内容が思い浮かぶこともあります。

では、そうした感じを抱くに至った時、何故それが以前考えていた内容よりも良いものであると認識されるのでしょうか?

そうしたことは一般的には、上手く論理立てて説明することは難しいのではないかと思います。

実際、以前考えていた内容の方も、うろ覚えになっていることが多いのですから、それらを比較することは難しいです。

しかし、それでも私はこうした直感とは、なかなか重要なものであると思います。

あまりそればかりに頼るのも如何なものであるかと思いますが、そうした直感、すなわち瞬時に押し寄せる多量の感覚とは、一体どのようなものなのでしょうか?
あるいはどういった原因によるものなのでしょうか

大体の方々は、過去にそうした経験をされることがあったのではないかと思います。

そして、そうした感覚とは、外国語の文章をはじめ、未知なる何かの理解において極めて重要なものであるのではないかと私は思います。

あるいはまた、同程度の頁数、字の密度といった性質を持つ複数の書籍において、比較的読み易いものと、そうでないものがあるといったことにも同様に関係があるのではないかと思います。

そうしたことは単純に好みの問題であると結論付けることができますが、では、その自身の持つ「好み」とは一体どのようにして生成されたものなのでしょうか?

私は、そこには、さきほどの直感、瞬時に押し寄せる多量の感覚の質に何かしら関係があるように思います。

また、こうしたことは科学的に解明することができるものなのでしょうか?

そして、そうであるとすれば、どのような実験手法により、その作用機序、メカニズムを解明そして証明することができるのでしょうか?


さて、ここまで書いていて井筒俊彦の「意識と本質」の抜粋内容を想起しましたが、その内容とは、ここで書かれた記事の内容と何かしら関連があるのでしょうか?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。