2017年9月23日土曜日

20170923 目標への到達によって得られるもの・失うもの・・

A「特筆するようなことでもありませんが、先日の750記事到達以降も変わらぬ調子にてブログ記事を作成しておりますが、そうしますと、おそらく11月半ば頃に800記事まで無事に到達することが出来る目算が立ちます。
そうしましたら、しばらく記事作成を休止してみたいと考えております・・。
そこに特に大きな理由はなく、単なる休息です。

また、800記事に到達した後、しばらくしますと、その次の目標もまた、現実のものとしてイメージすることが出来るようになるのではと考えます。

以前もブログ記事にて書きましたが、かねてより私はそのようにして目標としたものに到達してきました(もちろん到達出来なかったものも多々ありますが)。

それは具体的には、実験に基づく学会発表、さらにはその延長線上ともいえる学位もまたそのように、にじり寄るようにして、まさしくどうにかこうにかやってきました・・。

その間、技巧的なことは行いませんでしたが、それでも、実際にそれら目標(表立っては目標とはしないものの、やはり内心においては強く存在するといえる・・)に到達してみますと、やはり到達の前と後では、何かしら自身が少なからず変化していると思われることがあるのです・・(苦笑)。

そして、困ったことに、そこで認められる変化とは、往々にして自身にとってはあまり嬉しいものではないことが多いのです・・(苦笑)。

そのようなことから、また往々にして『ああ、実のところ自身は未だこの到達された目標に対して見あっている人間ではないのかもしれない・・』といった反省的な感覚をおぼえるに至り、そしてまた、何といいますか、その達せられた目標により得られた感覚を自身内面に静置せられ、一体化されるように、それに見合う人間に為すべく、何かしら創造的とされる活動への衝動が生じるのではないかととも思われます・・(苦笑)。

あるいは別の視点としては、根源的ともいえる力強い創造性・バイタリティー・勢いなどは学位取得以前の方が明らかに強かったようにも思われるのです・・。

また、私見ではありますが、学位取得とは一種の『去勢』にも近いような意味合いがあるのではないかと思われるのですが、如何でしょうか?

たしかラカンがどこかで述べていた『人は父性的なるものにより『去勢』されることによって、はじめて「語る存在」になる』とは、あるいはそれと類似した意味合いがあるのかもしれません・・。

ともあれ、その意味において、たしかに、これまで継続的に作成した一連のブログ記事とは、そうした側面(創造への衝動)があるといえます・・。

また、この文章を作成し続けるといった行為とは、その先の変化が如何なるものであったとしても、全く役に立たないということは少ないのではないかとも思われます。

とはいえ、もとより、このブログ記事の作成とは、未来における功利的な目標のみのためにて行っているわけでもないのですが・・(苦笑)。

そして、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等といった大規模自然災害により被災された地域における諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。」





0 件のコメント:

コメントを投稿