2017年10月12日木曜日

20171011 継続を意識しなくなった時にこそ(有意な)変化は生じるのであろうか?

A「これまで二年以上にわたり、ほぼ毎日ブログ記事を作成投稿してきましたが、その過程により、自身とは多少は進化発展を遂げたのかと自問してみますと『明確には、それは分からない・・。』といった答えになります。

ただ、文章を書く技術に関しては多少の進歩が認められるのではないかと思われますが、これに関しても、かつて自身の知性が最も高い水準にあった時期と比べますと『果たしてその時期以上の段階にまで達しているのであろうか?』といった疑問が生じてきます・・。

とはいえ、明らかに進歩していると思われることは、継続的にある程度の長さの文章を作成することであり、これに関しては、これまでの人生で最も充実しているのが現在であるといえます。

そして、そのように考えてみますと、冒頭に書いた進化発展の有無などもまた『特に気にすることでもないのかもしれない』と考え得るに至るのです。

一方で『長い期間書き続けるのは結構ですが、それより大事であるのは、やはり中身ではないだろうか?』といった、もう一つの内心からの声が聞こえてきます・・(苦笑)。

とはいえ、そこで抗弁させて頂きますと『おそらく、作成された文章のうちのほとんどが駄文であろう、しかしそうであっても、とりあえず書き続けないことには中身(文章)の進化発展もまたあり得ないことから、少なくとも(現在をも含む)書き始め当初の時期においては、相対的に中身云々よりも、とりあえず(多く・長く)書き続けることの方が大事ではないかと考える。』といった感じになります。

そうしますと今度は『では、どの程度の量・期間を書き続ければ、その中身とやらの進化発展は生じるのか?』といった質問が為されるのではないかと思われます。

すると『それに対しては最終的には私自身が判断を下すのであろうが、書くことを継続している際に為される一つ一つの小さな無意識ともいえる文章に対する工夫、改良などは『わずかな変化』とは評することが出来るのかもしれませんが、しかし、それらは必ずしも『進化発展』であると評することは出来ないものと考えます。それ故、どの程度の量・期間といった具体的なことがらに対しては、当然であるのかもしれませんが、明確に返答することは出来ないと考えます。

むしろ、ある程度何かを調べて分かることであるのならば、積極的に御教示を賜りたいところではありますが、残念ながら、これまでにそうした具体的な数値を示した書籍・文献・事例といったものを見受けることはありませんでしたので、おそらく今後しばらくは、そうした状況が続くのではないかと思われます・・。

要するに、そのその先については(毎回)未知の状況であるのです・・(笑)。

そして、毎日書き続けるなかで、どのような変化が生じるのかと考えるのにも飽きた頃に、そうした変化とは、さりげなく生じるのではないかと思われるのです・・。

つまり、あまり『変化』という自覚を生じさせない、感知し得なくなった時期およびその継続にこそ、さきに書いた(毎回生じる)未知の状況と混然一体となり、漸進的なものであれ新しい精神の位相となっていくのではないかとも思われるのです・・。

とはいえ、それは主体として明確に認識可能なものではないのでしょうが・・(笑)。

それ故、結句として、こうしたことはあまり気にしてもしょうがないことであり、同時にとりあえず書き続ける以外に有効と思しき選択肢はないのではないかと思われるのです。

また、書き続けておりますと、時折は多くの方々に読んで頂ける記事が作成されることもまたありますので・・。

そして、それらは当然ではあるのですが、あくまでも企図したものではないのです(笑)。

しかし一方で、それらを企図して行うことが出来るようになれば、それはそれで一つの進化発展の様式ではあるのかもしれませんが、同時にそれのみが(有効な)進化発展ではないとも思われるのですが如何でしょうか?

また、おそらくここまでの思考のこの地点に理系・文系学問間に存在する考え方の大きな相違といったものが横たわっているではないかと思われるのですが、これも如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

また、つい先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』






















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