2017年1月21日土曜日

20170120 楽曲から惹起される情感について思ったこと・・時代、季節など

昨日投稿したブログ記事はどうしたものか、それなりに多くの閲覧者を得ることが出来ました。

興味を持って読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

とはいえ、本日こそはブログ記事の投稿を止めておこうと考えていたのですが、これまた上記のような状況により、記事を書くことに決めた次第です・・(苦笑)。

さて、昨日投稿した記事後半に記した抜粋引用部とは、なかなか面白い箇所もあったのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

戯曲と小説の違いとは、考えてみますと、たしかに抜粋引用部にて述べられているような傾向があるのではないかと思われます・・。

そして、こうしたことを音楽についてかりそめに適用してみますと、現代の一般的な音楽とは、ほぼ、そのメロディーより感じ得る情感、あるいは歌詞にて述べられている世界観、物語といったものは概ね戯曲的(直線的)なものではないかと思われます。

それに対しクラシックの楽曲などを考えてみますと、たとえばそれが戯曲に用いられた楽曲であった場合においても、現代の楽曲一般ほど戯曲的特徴(直線的)を備えるものではなく、何といいますか、そのメロディーから惹起される情感とは、悪くいえば悠長、あるいは良くいえば壮大といった感じを受けるのではないかと思います。

たとえばワーグナーの「リエンツィ(最後の護民官)」序曲ベートーベンの「エグモント」序曲あるいは戯曲用の楽曲でなくともベートーベンの第5交響曲「運命」などからは共通してある種の勇壮さと共に激動、悲劇といった複数の情感を惹起させ、同時にそれは現代の楽曲一般ほどにメロディーから惹起させる情感が限定されていないと考えられます・・。

そういえば、エグモントの序曲は、どうしたわけか歴史映像、映画などで革命の場面で用いられることが多いように思われます・・。

もとい、しかし、そうであるからといってクラシックの方が現代の楽曲全般より良い、優れていると主張したいわけでなく、おそらく、それぞれ楽曲が作曲された時代の音楽そのものに対する感覚、価値観が異なり、また、より単純な視点からは、楽曲一つの長さも大きく異なることから、上記のような感じを受けるのではないかと思われます・・。

そして、ここまで書いていて思い起こした楽曲はスタンリー・キューブリック監督「バリー・リンドン」にて用いられたシューベルトのピアノ3重奏曲第2番作品100であり、この楽曲はまさに、現在の季節にふさわしく、同時にその変化する旋律から複数の情感が惹起せられるのではないかと思います。

また、シューベルトよりも150年近く前のバロック期の作曲家コレッリによるヴァイオリン・ソナタ作品5番内の通称「ラ・フォリア」(この楽曲は映画「ジェファーソン・イン・パリ」に用いられていた)もまた、さきの楽曲と同様、この季節に合っているのではないかと思います・・。

そして、今度は、その映画題名から時代は現代に移りスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」を思い起こさせます・・(笑)。

そして、この楽曲もまたそのメロディー、旋律からこの季節が相応しいのではないかと思います。

しかしながら一方において、何といいますか、それら時代の異なる楽曲から得られる情感とは、さきに述べたように「冬に合う」という意味においては共通していると思われるものの、やはりさきに述べたようにそれぞれ(惹起される情感が)異なるのではないかと思いますが、さて如何でしょうか?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

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