2017年1月15日日曜日

20170115 年代記的な事柄を記すにあたり思うこと・・

A「先日ブログ記事にて記した2010年の出来事とは、その後の2011年に入り、多少は自身に対しても影響を与えたようであり、各々の期間に撮影された自身の写真などを見ますと、何かしら異なった印象を受けます・・。

そして、このように多少年代記的に自身のことを書いてみるのもまたなかなか面白いものであることが理解できました・・(笑)。
こうしたことは日常生活においてあまり意識することはないと考えますので・・。

また、そのように考えてみますと時間の経過とは、一般的に云われるように残酷であると同時に、意識してみますとなかなか面白いこともまたあるようにも思われます・・(笑)。

さて、こうしたことを書いておりますと、想起されるのはトーマス・マン著「魔の山」であり、この著作においては、主人公が従兄のいるスイス・ダヴォスの療養所を訪れてからの数カ月間に多くの文量が割かれ、それに対し、その後、療養所を去るまでの期間はどちらかというと飛び石的に描かれております。

このことは、著者自身その著作内にて意識の流れと関連させ述べており、またトーマス・マンに心酔していた北杜夫も、その著作「楡家の人びと」のなかで、さきのトーマス・マンと類似した見解を述べておりました・・。

とはいえ、こうした意見、見解が普遍的であるかどうかは分かりませんが、私にとっても2009~2013年の鹿児島在住期間においては、たしかにその前半といえる2009~2010年の期間においてさまざまな出来事が大挙して生じており、この意見、見解にある程度合致しているといえます。

それに比して、後半である2011~2013年とは、どちらかというと前半の期間に生じた出来事から派生、対応するようなカタチで、また、さまざまな出来事が生じていたように思えます・・。

とはいえ、こうしたことは畢竟、感覚的なことでありますので、その判断(実際にそうであるのか?)とは、なかなか難しいように思いますが、さて如何でしょうか?

しかしながら、ヒトはこうした年代記に類することを述べる際、たとえ無意識あるいは結果的であったとしても、上記のような何かしらの観念的な基軸あるいは物語のスジといったものを採用しなければなりません・・。

そうでなければ、それは単なるグラフ的な年表といえるでしょう・・。

そのように考え、私の鹿児島在住期間を当て嵌めてみますと、前半に生じた出来事を後半に生じた出来事に対応させるカタチにて述べるのが適当ではないかと思われるのですが、そのような場合、どうも記述の手法において心もとなさをおぼえるため難しいように思われるのです・・(苦笑)。

また、個人的には後半である2012年以降に生じた出来事の方が自身に与えた影響は大きかったのではないかとも思われますので、それぞれ記しながら、その都度、それらの関連性について示唆していくのが適当ではないかと考えるに至ります・・。

ともあれ、今後もまた、機会がありましたら、それら期間での出来事を記していきたく思います。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年発生した熊本、山陰東部、福島周辺での大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

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