2024年4月5日金曜日

20240405 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.302-304より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
pp.302-304より抜粋
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

実際には、人間はつねにポスト・トゥルースの時代に生きてきた。ホモ・サピエンスはポスト・トゥルースの種であり、その力は虚構を創り出し、それを信じることにかかっている。

自己強化型の神話は石器時代以来ずっと、人間の共同体を団結させるのに役立ってきた。実際、ホモ・サピエンスがこの惑星を征服できたのは、虚構を創り出して広める人間ならではの能力に負うところが何より大きい。

私たちは、非常に多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳動物であり、それは人間だけが虚構の物語を創作して広め、膨大な数の他者を説得して信じ込ませることができるからだ。誰もが同じ虚構を信じているかぎり、私たちは全員が同じ法や規則に従い、それによって効果的に協力できる。

 だから、新しい、ぞっとするようなポスト・トゥルースの時代をもたらしたとして、あなたがフェイスブックやトランプやプーチンを責めるなら、何世紀も前に何百万ものキリスト教徒が自己強化型の神話のバブルの中に閉じこもり、聖書の記述が事実どうかをけっして問おうとはしなかったことや、何百万ものイスラム教徒がクルアーンを疑うことなく信じ込んでいたことを思い出してほしい。何千年にもわたって、人間の社会的ネットワークの中で「ニュース」や「事実」として通ってきたことの多くは、奇跡や天使、魔物、魔女についての物語であり、想像力に富む報告者が奈落の底から直接、生中継したものだ。イヴがヘビに誘惑されたことや、異教徒はみな死ぬと地獄で魂が焼かれることや、宇宙の創造主はバラモンの人が不可触賤民と結婚するのを好まないことを裏づける科学的証拠はいっさいない。それにもかかわらず、何十億もの人がこうした物語を何千年にもわたって信じてきた。フェイクニュースのなかには、いつまでも消えないものもあるのだ。

 私が宗教をフェイクニュースと同一視したため腹を立てた人も多いかもしれないことは承知しているが、それがまさに肝心の点だ。でっち上げの話を一〇〇〇人が一カ月信じたら、それはフェイクニュースだ。だが、その話を一〇億人が一〇〇〇年間信じたら、それは宗教で、信者の感情を害さない(あるいは、怒りを買わない)ために、それを「フェイクニュース」と呼ばないように諭される。とはいえ、私が宗教の有効性や潜在的な善意を否定していないことに注目してほしい。むしろ、その逆だ。良くも悪くも、虚構は人間の持つ道具一式のなかでもとりわけ効果的だ。宗教の教義は、人々をまとめることによって、人間の大規模な協力を可能にする。宗教の教義は人間を鼓舞して、軍隊を組織したり刑務所を設置したりさせるだけでなく、病院や学校や橋も建設させる。アダムとイヴはけっして存在しなかったが、それでもシャルトル大聖堂は美しい。聖書の大半は虚構だろうが、それでも何十億人の人に喜びをもたらすことができるし、慈悲深く、勇敢で、創造的であるようにと、人間を促すことに変わりはないー「ドン・キホーテ」や「戦争と平和」や「ハリー・ポッター」といった、他のフィクションの名作と同じように。

 私が聖書を「ハリー・ポッター」になぞらえたので、またしても機嫌を損ねた人もいるだろう。もしあなたが科学を重んじるキリスト教徒なら、聖書はもともと事実に基づく説明としてではなく、深い叡智を含むたとえ話として意図されていたと主張して、聖書の中の誤りや神話の釈明をするかもしれない。だが、それは「ハリー・ポッター」にも当てはまるのではないか?

 もしあなたがキリスト教原理主義者なら、聖書の言葉は一つ残らず文字どおりの真実だと言い張る可能性が高い。それならば、あなたは正しいと、しばらく仮定しよう。聖書は本当に唯一の真の神の絶対信頼できる言葉だ、と。では、あなたはクルアーンやタルムード、モルモン書、ヴェーダ、アヴェスタ〔訳註ゾロアスター教の教典〕、古代エジプトの「死者の書」はどう考えるのか?こうした文書は、生身の人間が、(あるいはことによると悪魔が)創作した、手の込んだ虚構だと言いたくならないだろう?そして、アウグスゥスやクラウディウスのようなローマの皇帝の神格は、どう見るか?古代ローマの元老院は、人を神に変える力を持っていると主張し、そうして生まれた神々を、帝国の臣民が崇拝することを求めた。それは虚構だったのではないか?実際、自らの口でその虚構を認めた偽りの神の例が、歴史上に少なくとも一つは存在する。前述のように、日本の軍国主義は一九三〇年代から四〇年代前半にかけて、昭和天皇の神格に対する熱狂的な信心を拠り所としていた。日本の敗戦後、天皇は、それが真実でないこと、自分はけっきょく神ではないことを公に宣言した。

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