2016年5月8日日曜日

20160507 音声言語と文字言語が混淆する相・・?

A「これまでに作成、投稿したブログ記事は280以上となり、もうじき300記事に達するのではないかと思われます。

また、現状において、自身の作成した記事が全体の半数以上であり、このままのペースで自身の文章にて記事を作成し続ければ、300記事あたりで200記事程度にはなるのではないかと思います。

それに加え、過去(昨年の夏~秋)に記した対話形式のブログ記事のいくつかは、記した本人が申すのもおかしなハナシではありますが、おそらく現在よりも色々と深く考えて記していたのではないかとも思われます・・(苦笑)。

しかし一方、それら記事の読み易さにおいては、おそらく、半分ルーチン化している、ここ最近に作成したブログ記事の方が多少、優れているのではないかとも思います・・。
これらを読んでくださっている皆様は如何お考えになるでしょうか・・(笑)?

とはいえ、このブログとは、当初、多くの閲覧者数を狙ったものではなく、また現在なお基本的にはそうであると考えます。

しかし、自身の作成した記事を投稿することにある程度慣れた現状においては、やはり自身の発信した文章、記事内容が「より」多くの閲覧者を得ることができるということは「多少なりとも痛快であると思う」というのもまた正直な感想です・・(苦笑)。

そして、そうした状況とは、ある程度(おそらく100記事程度)記事を作成した頃から徐々に認識し、強く思うようになり、そのために、とりあえず、ブログ記事の内容よりも、(とりあえずは)その記事数、つまりブログ開始当初においては「質より量の方が重要」であると考えるようになり、出来るだけ継続して記事の更新を行うようにしました・・。

何度か当ブログ記事において、当初、自身の文章にて記事を作成することは、大変面倒くさく、困難であったと記しておりましたが、以前から読んでくださっている方々からの面白く知的な反応、自身によるいくらかの工夫などにより、どうにか以前よりかは面倒、困難さを感じずに、散文的(?)な文章を書くことができるようになったものと感じております。
この、私としては「進化」と捉えたい変化とは、いうなれば「日常的なハナシコトバと、頭の中で意識的に構築される性質、傾向が強い書きコトバ、言い換えると自身の口語と文語あるいは音声言語と文字言語の層が互いに近づき、接することにより生じた」のではないかと考えます・・。

そして、こうした経験とは「文章を作成することを常とする職に就かれている多くの方々は経験されていることではなかろうか?」と不図考えましたが如何でしょうか?

そして、こうした経験がある程度(どの程度?)普遍的なものであれば、それは普遍性を有するもの、一般的な事実(法則に近いもの)であると認識され得るのではないでしょうか・・?

そして、そうであれば、たとえ過去において類似した意見、見解を述べられた方がいらっしゃったとしても、それは「私としては」新たな発見、知見であり、また読んでくださっている方々が、そのことを私のブログ記事により新たな知見として認識していただいたのであれば、「多少なりとも記事を書いた意味があった」ということになるのかもしれません・・。

とはいえ、もちろん私はこれまでに読んだ書籍を全て諳んじているわけではありませんので、こうしたことも畢竟、どこかの書籍で読み、あるいはどこかで語り、時間の経過に伴い、うろ覚えになっいたことが、自身が、それと符合、適応する経験を持ったことにより、心の深層から、そうした観念が浮上、明瞭化されたのではないかとも思います。

そしてそれ故に、読書およびそれに伴う議論が、極めて有効であり、大事であるかを教えてくれるのではないかと思いますが如何でしょうか?

そして、私の場合、本格的にそうした経験あるいは訓練を積んだのは、大学院修士課程の時期であったといえます・・。
また、その当時に抱いた、抱くことができた、言語化しにくい、おぼろげながらも、ある大きな包括的な観念、考えとは、その後には持つことが困難であり、またそれが一般的なのではないかと考えております・・。

こうしたことは学問、研究分野によって多少異なるかもしれませんが、この記事を読んで頂いている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

今回の熊本の大地震にて被災された地域における諸インフラの復旧、好天、適温の継続、そして今後早期のハートオブ九州(熊本)の復興を祈念いたします。

また、ここまで読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
皆様のおかげでここまで書き続けることができております。
今後ともどうぞよろしくお願いします。」