2017年9月3日日曜日

20170902 『銃・病原菌・鉄』上下巻読了・・読書の種類について思ったこと・・

A「本日さきほど先日来より読み進めていた著作を読了しました。

これは上下巻各々400頁程度といった、それなりに読み応えのあるものでしたが、同時に長編文学作品などと比べますと、その読了後の感覚はやはり異なると云えます。

しかし、どこが異なるのかとは今現在上手く言語化出来る自信はありませんが、強いて書いてみますと、それは本日読了した通史的な著作とは、頭脳に対しての負担をより強いるのに対し、感性(情感?)に対しての負担はそこまでないものと云えます。

また、これは、昨日投稿したブログ記事にて書いたことでもありますが、そうした種類の著作(感性よりも頭脳を使わせる)を読んだ直後における能動的な活動に対して抑制的な影響をもたらすのではないかと思われます・・。

とはいえ、そうした著作の読書が能動的活動に対して徹頭徹尾、抑制的な影響しかもたらさないというわけでもなく、それはおそらく筋肉でいうところの持久力に富む遅筋の発達を促すものであり、特に体力のある若い時期において、こうした種類の著作に数多く触れておくことは、後に続く青年期以降の知的活動全般を励起、活性化するといった効果があるのではないかと思われます・・(とはいえ、それはわざわざ意識して行うことでもないと思われますが・・)。

一方で、どちらかというと読み易い文学作品などに関しては、頭脳よりも感性により働きかけるといった効果をもっているようであり、これは特に日常的に頭脳を使う文章を扱っている方々からすれば、表層的なコトバのお遊び程度の認識であるのかもしれませんが、しかし、こうした言語の用い方の方がおそらく言語それ自体としては古来より正統な用い方であり、そして今後もまたそうであるのです・・。
【ここの視座を掘り返してみるとかなり深いのではないかと思われるのです・・。】

それ故、小説、物語特に古典などをあまり価値のないもの、あるいは科学的ではないと考えている理系学問分野全般の方々は、御自身が能動的な興味を持って読み込むことが出来る一つの著作、一人の著者といったものを書店での立ち読み等を通して見つけ、それを継続していますと、保証は出来かねますが、いずれ少なからぬ確率にて、何かしら面白い(小さくても・新しい)発見をすることが出来るのではないかとも思われます・・。

何れにしましても、こうしたことは行ってみても特段損をすることはありませんので、また、もうじき読書の秋ということもありますので、試みては如何でしょうか・・(笑)?

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂いて、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」


0 件のコメント:

コメントを投稿