2018年11月12日月曜日

20181112 喜ばしくない経験の価値と生活至上主義的の拮抗?

おかげさまで、去る11月9日投稿分記事『『野良犬』であった自分が思ったこと・・』は、かなり多くの方々に読んで頂き、また現在においても少しづつではありますが、その閲覧者数は増加しています。

そこでは触れていませんでしたが、この『野良犬』であった時期を精神的に支えてくださったのは文系分野での知人の方々も同様であり、特にイヤミな態度を取ることもなく、2012年以来、半年毎に開催される勉強会に呼んでくださったのは文系院時代からの知人、先生方であり、また以前と同様、落語や演奏会に呼んでくださり、さらに必要な時には速やかに推薦状を作成・ご送付くださったのは文系分野の師匠でした。

おそらく、こうした接点もなく、ただただ日々の仕事をこなしていたのであれば、どこかで力尽きていたのではないかとも思われます・・。また、もちろん、こうした状況は決して自分が望んだものではありませんが、しかし一方で、こうした経験を経ることなく、ある程度安定した生活を手に入れることが出来るのであれば、こうした経験をしない方が良いとは全面的には思うこともまた出来ないのです・・。

これは二律背反・矛盾するような心情ですが、しかし、さきの記事にて述べたような喜ばしいとは云えない経験を経ることにより、我々の精神は、それを乗り切った時に、それ以前と比べて、少しは良いものになることが多いと思われるのです・・。おそらく、こうした考えは陳腐と云えるほどに古く、さまざまなイニシエーションの儀式の背景にある考えのその基層にも、こうした考えがあるのではないでしょうか?

しかしながら、現在の我々の社会では、こうした喜ばしくない経験を出来るだけ避けようとする傾向があり、また、それらをクレバーに避け、ハイ・コストパフォーマンスに生きることが良いことであるとされる、ある意味、合理的ではあるものの、精神の進化発展の機会・契機を削ぎ落としたとも云える考えが一般化しているように見受けられます。

また、おそらくこれは我が国全般に確固とした言語化された宗教・思想・哲学がなく、何と云いますか生活至上主義的であることから生じると思われるのですが、さきのイヤと感じられる経験を全面的に排除しようとする強い傾向があり、その結果『井の中の蛙』さらには『夜郎自大』となり徐々に国際競争力も先細って行ってしまうのではないかと思われるのです・・。

それ故、昨今、我が国において盛行を見るナショナリズム(国家主義)的活動・言動からは『愛国主義はならず者の最後の避難場所云々』よりも、より端的にこの『夜郎自大』の方がよりアジア的であり適当であるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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ISBN978-4-263-46420-5

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