2018年11月30日金曜日

20181129 ベートーベンの第九交響曲と阿波踊りに共通・通底することディオニソス的?

昨日来の風邪は、いくらかはよくなりましたが、やはりまだ風邪気味であるといえます。さて、そうした中、本日は所用のため博多に出向いておりますが、やはり博多は九州第一の都会であり夜になっても街全体が明るいです。ともあれ、そうした街並みを移動のために歩いていますと、さまざまな建物、店、看板などから、その街の個性・特徴のようなものを感じとることが出来ます。

また、このようにして、ある地域・街の個性・特徴などを看取しようと試みるのは、社会学者や民俗学者がよく行う手法であると云え、あるいはフィールド・ワークを研究方法として用いる文系学問領域にて共通する手法であるのかもしれません。

さて、そのような視座から、今現在離れている徳島について考えてみますと、以前の記事においても述べましたが、徳島県は日本で、アジアで初めてベートーベンによる第九交響曲が全楽章演奏された場所とされています。この第九交響曲は、元々18世紀半ば頃にはじまる疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)の時代のドイツの思想家・詩人であるフリードリッヒ・フォン・シラーの『歓喜に寄す』という詩を題材として作曲されたものですが、この詩いや、同時代の時代精神自体が、疾風怒濤と評されるほどに、理性に対する感情の優越を主張するような傾向を持っていました。また、そうした視座を得ることにより、しばらく後のドイツの哲学者・思想家であるフリードリッヒ・ニーチェがおそらく、その著作『悲劇の誕生』にて『ベートーベンの第九交響曲はこのうえなくディオニソス的な楽曲である。』と述べていたことが了解され得るのではないかと思われます。【*この著作が『悲劇の誕生』であったかどうかは確信がありませんが、ニーチェがその著作の何れかにて、そうしたことを述べていたことは、大分以前の記憶ではあるものの、間違いではありません。興味のある方は是非、ご確認してみてください。】そういえば、古代ギリシャの文化に精通していたニーチェによる、さまざまな文化のディオニソス的、アポロン的といった類型分類は、かなり大雑把に述べますと、ディオニソス的とは不可視とも云える陶酔的、情熱、内面にある、未だカタチを有さない混沌としたエネルギーに満ちたものであり、他方アポロン的とは、理知的・造形的であり可視化・洗練されたものといった感じが強いものと云えます。

その上でベートーベンの第九交響曲が『このうえなくディオニソス的な楽曲である』という評価は、確かに納得出来るのではないでしょうか?さて、そうした特徴を持つとされる楽曲がアジア、日本で最初に全楽章演奏されたのが丁度100年前(1918年)の徳島県であり、またその同じ県では、阿波踊りの際の『踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損』といったフレーズ、そして、この祭りの際のよく分からない熱気(情熱と言い換えても良いかもしれない)からは、洋の東西の違いはあるものの何かしら共通・通底するものがあるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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ISBN978-4-263-46420-5

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