2016年3月3日木曜日

20160301 「Deus Ex Machina」機械仕掛けの神

A「おかげさまで昨日(20160229)で全期間のブログ閲覧者数が40000人を越えました。
以前20160209で30000人を越えたばかりでしたので、この閲覧者数の増加はなかなか早いのではないかと思います。」

B「・・ええと、たしかAさんは昨年の6月にブログははじめたと聞いていましたので、それは大体8ヶ月程度で30000人そして9ヶ月あたりで40000人ということになりますから、直近10000人の増加とは、たしかにこれまでに比べると早いですね・・。」

A「先日来の風邪もあり、また、その他色々とありまして、ここ最近はブログの更新が多少辛かったです・・(苦笑)。とはいえ、記事を更新しないのもどうも気持ちが悪いので、とりあえず書いておりました・・。そして、これまでに何度か思ったことなのですが、文章の作成とは、当初においては質より量であるとよく聞きますが、私の文章、つまりブログの記事とはこれでいいのかと時折、不図思うことがあります・・。」
B「・・うーん、これまでにAさんのブログが炎上したりしないで、一応順調に閲覧者数が増加しているのですから、そのままの調子で続けて特に問題ないのではないかと思いますけれども・・。私としては、むしろAさんのブログに1日数百人の閲覧者がいること自体が未だに不思議なのですが・・(笑)。それでも時折は面白いと思う記事もありますけれども・・。それ故、閲覧者数といった周囲の状況が多少変わっても、そうしたことをあまり気にしないで、記事を書き続ければいいのではないでしょうか?」
A「・・まあ、それはたしかにそうなのですが、また、このようなことをBさんにいうのは「釈迦に説法」であるとは重々承知しておりますが、それでも自分の書いた文章が1日数百人の方々に読んでいただいているというのは、なかなか緊張するものです・・。あまりウカツなことも書けませんし・・。その点、書籍の抜粋とは、ある程度楽なのですが、そればかりを続けていると今度は自分の文章が書けなくなるのです・・(苦笑)。
ともあれ、そのようなことから時折「もしかしたら私は泳がされているのかもしれない・・」などといった漠然とした不安を覚えることもあります(笑)。
無論、こうした考えとは、自意識過剰の所産ではあるのですが、そのあたりもある意味、原始的な感情と理性との葛藤であるのかもしれませんね・・(笑)。それでも古代ギリシャの劇に出てくる機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)あるいは水戸黄門一行のようなものがこの先突然登場し、一気に状況が変わるといったこともないと思いますので、まあ、とりあえず今現在は記事を書き続けることが大事ではないかと思います・・(苦笑)。」

B「・・まあ、そうでしょうね。しかし、それよりも、今のハナシでギリシャ悲喜劇の機械仕掛けの神と水戸黄門を類似したものとして示したのは、なかなか面白いですね(笑)。
しかしながら、私が思うに、この両者とは、たしかに類似している要素もあるのですが、また同時に相違もあると思います。つまり、ギリシャ悲喜劇における機械仕掛けの神とは大体が劇終盤に突然登場し、大団円の方向に持ってゆくようなものであるのに対して、水戸黄門に象徴されるような我が国の時代劇におけるヒーローの多くとは、物語のはじめから登場しており、それが物語の事態悪化を好転させるということなのですが、これは、さきほどの機械仕掛けの神というよりもむしろ、トリック・スター的な要素の方が強いのではないかと思います。また、我が国のそうした民話、伝承的なヒーローとしてのトリック・スターとは、スサノオそしてヤマトタケルのあたりから連綿と続いているのではないかとも思いますね・・。とはいえ、こうしたトリック・スター的なキャラクターとは海外の神話、物語でも多く見られるとも思いますが・・。」

A「・・なるほど突然登場して事態を展開に至らしめる機械仕掛けの神に対して、当初から登場はしているが事態の要求により、突然別の側面を露わにして物語を展開に至らしめるトリック・スターということですか・・。たしかにそうであるかもしれませんね・・。
そして、そうしますと、どうも夏目漱石の「夢十夜」の第三夜を思い出しますね。
これはトリック・スターとはいえませんが、主題的には概ね、さきほどの筋に沿っているのではないかと思います・・。そうしますと、我々日本人とは、既知でありながらも、ほぼ無意識化されていたものが、何かの契機により突然姿を現し、物語を展開させる、あるいは何か重要なことを気付かせるといった主題が、それこそ無意識的ではあるのかもしれませんが、嗜好するような傾向があるのかもしれませんね・・まあ、あくまでも思いつきですが(笑)。」
B「・・ううむ、それはなかなか面白いかもしれませんね・・。あるいはそうしたことは、我が国の様々な文化、事象などにおいて、何か深い意味があるのかもしれません・・。
また、そうしますと日本人が歴史などの記憶を忘却の彼方に追いやるといったよく聞く傾向に対してもまた、異なった視点で見ることが出来るかもしれませんね・・。」

A「・・ええ、我が国の公的な近代以降の歴史の叙述とは、結局のところ欧米的な方法論によるものであると思います。無論、それはそれで大変重要、大事であるとは思います。
しかし、一方において、そうでない在来の方法論にて述べられた歴史もまたあるのではないかと思います。そして、それを理解しようと試みると、また異なった我が国あるいは他の国の歴史、文化に対する視座が出来て、それはそれで面白いのではないでしょうか(笑)?」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」

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